九州の味うまかっちゃんを食す!

コンビニで変わったものを見つけた!

東北じゃ絶対にお見かけしないインスタント袋麺の『うまかっちゃん』である。

うぉぉぉぉ!?マジか!?

袋麺において三本の指に入る美味さと評判だが東北では見る機会はなかった。

地域限定なんて夢でありロマンだ!

例えばどん兵衛なんかは東と西で出汁が違う。
名古屋のソウルヌードルといえばスガキヤだ。

東北にいながら他地方の麺が食べられるなんて素敵じゃないか!!

私はなけなしの金を払って速攻買った。これは買わねばならぬという使命感が働いたからだ。

帰宅し早速調理にかかる。

丼を取り出し麺を開ける。
お湯を沸かし、麺を入れた丼に注ぎラップをかけレンジで500wで二分でチン!

あーっちちちちちゃーっ!!ほぁっちゃーっ!!
丼が激アツい!!

粉末スープと調味油を入れてかき混ぜ、予め準備しておいた刻みネギをふりかけて完成!!

ウホッ!ビジュアルはめちゃ美味そう!

麺は至って普通のインスタント麺。

さてスープを1口…ズズズズ…。

う、美味い!コクがあってあっさりした豚骨味だ。臭みも少なくて美味しいぞ!

王道の袋麺の味だ。これは好きだな!
いくらでも食べられる!

こういうのでいいんだよ!うまかっちゃんうめぇーっ!!

これまた買おうっと♪

入手したのは米山町のセブンイレブンです。

セブンメルシーの向かいの店ね!

 

哀愁の釜石ラーメン

全線開通した三陸自動車道を走り宮古まで行った帰りに釜石へと立ち寄った。
釜石は私にとっては心の故郷だ。

既に時刻は17時を回っていたために果たしてやっている飲食店があるかどうか…最悪イオンでもいいだろうと街を走る。
釜石のメインストリートである大町を走ると目に付いたのが赤い看板。

『新華園本店』である。

懐かしいなぁ…若い頃によく食べたよ。
元祖釜石ラーメンというとこの店かな。

店の中には地元の方と思しきお客様がいた。

メニューを見ると…結構種類あるなぁ。でもここはオーソドックスにラーメン半チャーハンでいこう!

10分ほどで着丼!
んん~…いい香りだ。王道のあっさりスープに縮れ細麺が釜石ラーメンの特徴。

釜石は漁師町でせっかちが多いから茹で上がりが早い縮れ細麺になったとか。

なるほどこの細麺ならすぐに茹で上がる。

 半チャーハンはかなり残念な量…幸楽苑よりも少ない…美味しいけど。

ラーメンは最後まで飽きずに食べられる味わい…。

ラーメンって思い出の味なんだよなぁ…子供の頃に家族で食べた味…。
それが強烈に記憶に残っててそれを追い求めて食べてる気がする。
あと若くて多感な頃にいろいろあって食べた時の感情を呼び戻すためとか。

何を言ってるのかよくわからなくなってきたがラーメンってそういう食べ物の1つであると思うんだ。

美味しかった!また来よう!

【悲報】プラスチックスプーンも有料化へ!?

元記事 スプーンを有料化すれば持ち歩く人が増える!

レジ袋に続きプラスチックスプーンも有料化になるそうです。

小泉環境相「プラスチックスプーンを有料化すれば自分で持ち歩く人が増える!キリッ」

スプーンを持ち歩く人なんている?マイスプーンって…。
自分でスプーンを持ち歩いてるのはユリ・ゲラーくらいのものじゃないの??

働かない議員も問題だけど働く無能も考えものだぞ!?

いや、てか誰か身近で「それはちょっとやめとけwww」って言ってくれる人いないんですかね?

次は割り箸も有料化になりますよ。

何でもかんでも悪にしないでほしい。それらを作って生活している人もいるのだから。

それよりもマイナンバーカードを使ってリサイクルに協力した場合ポイントが貯まって地域振興券とかに交換出来るシステム作った方が良くないか?

つまり、プラスチックゴミ専用のリサイクルボックスを設置して重量に応じてマイナンバーカードにポイントが加算されていくシステムで、入れるゴミに関しては拾ってきたものでも構わない。材質を自動で検出するシステムを作る必要はあるけどそれは誰かが作ってくれると思う。
それが確立されれば地域のプラスチックゴミが無くなる上に地域振興券によって地域の経済活動にも繋がる。100%リサイクルによって火力発電の燃料として使える。
財源はどこから?という問題は後から考えるとして…

重要なのは出てしまうゴミをいかにして不法投棄を少なくすることだと思います!

こういうシステムが出来ればお小遣い稼ぎとしてゴミ拾いとかあるかもしれませんよね?

 

3.日本が揺れた日

水が無い!

これは深刻だった。
だが、ご近所に生活で使っている井戸があったのでそちらを借りれば良いかと思っていたが夜の内にたくさんの人が訪れ水を汲んでいった。
翌朝には井戸が枯れて水が無くなっていたのだ。

深夜になれば幾分人は減るがひっきりなしに訪れる。
今までこんなに人が訪れる場所ではなかったし、井戸があるなんて知らない人も多かったはず。

とりあえずその日は寒くて体力も回復していなかったので家の中に引きこもっていた。
前の日に購入した豚肉は雪の中に隠していたのだ。
それを石油ストーブの上に置いたフライパンでジリジリと焼いて食べた。

時折揺れはしたが体の疲れはピークに達していてその場で横になった。

目が覚めると外は既に暗くなっていた。結構長い時間寝ていたようだ。
ペットボトルを持ち井戸に向かうがまだ多くの人がいた。

もう1箇所山の湧き水が出ている場所がある。そこは飲める水だが噴出量が少なくてペットボトル一つ貯めるにも時間がかかる。それでも背に腹はかえられぬと向かうと誰もいない。
幾つかペットボトルに汲み家に持ち帰り喉を潤した。

たったコップ一杯の水がこんなにありがたいとは…。

その日はまた横になり体力の回復を待つことにした。

翌日には役場に出かけ情報収集してると給水車が来るという情報を得たが肝心の場所がわからない。役場の人もわからないという。

これにはやや混乱したが多少の水の蓄えがあったので焦らずに済んだ。夜になればまた水を汲みにいける。

だがどこから情報を得たのか夜になるとその湧き水が出ている所に長蛇の列が出来ていた。
ペットボトル一つ汲むにも何時間と待たねばならない。

だが異変が起きていた。肝心の湧き水が濁って泥水になっている。余震で水脈が変わったのかもしれない。

しばらくは水無しの生活だったが頭は洗いたいとシャンプーで泡立て近くの小川で流した所頭の血管がブチ切れるのではないかと思うくらいに冷たかった。

あれから何かをしていれば気持ちも落ち着くだろうと水を高齢者宅に届けるボランティアをしていた。
自分にできることはこんなに小さいことだが高齢者には大変感謝された。

「神様のおかげだァ…神様に感謝せねばぁ」
って水を運んできたのは私なんだけどね…。

それから復興事業に関わり8年目にしてその役割を終えたが復興はまだ終わってはいない。

あれからもう10年…

まだ10年…

そしてこれからも…。

2.日本が揺れた日

酷く疲れていた。
重い体を引きずり散らかった家財道具を部屋の隅に追いやり寝る場所を確保する。
何かあった時に逃げやすいようにリビングで寝ることにした。

3mの津波はどうなったろう?
とにかく今は寝よう…と布団を被るとまた緊急地震速報が鳴った。そして激しく揺れる。家は軋み地面からは不気味な地鳴りが聞こえる。

「う、うわぁ…」
全く寝付けない。とにかく何度も揺れる。何度も緊急地震速報が鳴る。
朝まであと何時間だ?今何時だ?
震えながら寝ようとしたが眠れない。

そして、耳を疑う言葉がラジオから聞こえた。

「荒浜付近で2、300人の遺体が発見されたようです!」

もう日本は終わりだと思った。ただ絶望した。
このまま朝を迎えることが出来るだろうか?

朝起きたらいつもの日常で実はこれは夢でした~なんてならないだろうか?

全く眠れないまま朝を迎えた。
部屋の中にいても息が白くなる。相当な寒さだ。

明るくなって家の点検を行う。基礎や外壁に亀裂が入っている。家屋も斜めになり惨憺たる光景だ。

電気はまだ復旧していない。水道の蛇口を捻ると水も出ない…これはまずいぞ。

そしてこの寒さだ。我が家は全て石油ファンヒーターに替えてしまったため電気がないと暖も取れない。

ラジオからは徐々に被害が明らかになってくる。だが女川方面と連絡が取れないということだ。
情報収集のために役場へと向かうととんでもない人集りが出来ていた。さすがに中に入るのも躊躇う。
役場の人は混乱の中対応していたが未曾有の災害でマニュアルもない中で奮闘していた。

津波被害に遭った区域は立ち入り禁止になっていた。まだ水もひいてないようだ。

後に津波は3mどころではなく6~10m…それ以上の高さにまでなっていた。
情報が錯綜していた。

役場の掲示板には手書きのメモ用紙がたくさん留められていた。どれもが家族の安否や行方の情報提供を募っていた。

その中には知っている人の名前が多数出ていた。

時折繰り返される余震に震えながら食料を確保するためにスーパーに向かうが人集りが出来ていて店舗の中まで進めない状況だ。
何分昨夜から何も食べてないのでここで体力を消耗する訳にはいかないだろう。夕方になれば落ち着くはずだと一旦家に戻り後片付けをすることにした。

電気も無い水も出ないとはこんなに不安になるものかと痛感した。

幸いながらトイレは簡易水洗だったので風呂の残り湯を使えば流すことが出来た。
ストーブは近所の方が石油ストーブを持っていたので一機借りることが出来た。
とりあえず上に鍋でも設置すれば簡単な料理をすることが可能だ。

午後に再びスーパーに向かうが相変わらずの人込みだ。
ここまで来たならと我慢して並び店舗で買い物を済ます。多少タンスに現金を置いてたので重宝した。
この状況ではクレジットカードも使えない。

スーパーではカップ麺は軒並み品切れ。
あとウイダーinゼリーのような部類も無い。あるのは野菜と多少の肉だけだ。

肉に関しては停電で保存が効かないことから敬遠したのだろう。
とりあえずカゴに肉を放り込む。今はスタミナが必要だ。
飲料水も全滅していた。ペットボトル関係は全てない。
菓子は多少残っていたので喉が渇くだろうが少しだけ買っておいた。

レジに長蛇の列でなかなか進まなかった。なによりも暗い中店員さんが電卓を叩き会計していたのだ。

これでは進まないと私はバッテリーが残り少ない携帯電話を取り出し店員さんの手元を照らした。

「本当にありがとうございます!貴重な電気を·····」

そしてその中に息子が帰ってこないと嘆いている女性がいた。
情報では仙石線は津波の影響を受けて電車ごと流されたことを知っていた。

女性の息子はその電車に乗っていたというのだ。
偶然にもその電車に乗り合わせたという知り合いの男性がいた。

「ああ、その電車に乗っていた人達なら全員避難して無事なはずだよ。今は近くの避難所にいるんじゃないかな?」
と聞いた途端に女性は泣き崩れた。

「ありがとうございます!ありがとうございます!!」
嗚咽を漏らしながら何度も男性にお礼を言う。
家族の無事を知り安心したのだろう。

誰も不安に晒され押し潰されそうな状況にいたのだ。

携帯の画面を見るとまだ電波は繋がってないらしい。

また不安な夜を迎えることになる。

続く