2.日本が揺れた日

酷く疲れていた。
重い体を引きずり散らかった家財道具を部屋の隅に追いやり寝る場所を確保する。
何かあった時に逃げやすいようにリビングで寝ることにした。

3mの津波はどうなったろう?
とにかく今は寝よう…と布団を被るとまた緊急地震速報が鳴った。そして激しく揺れる。家は軋み地面からは不気味な地鳴りが聞こえる。

「う、うわぁ…」
全く寝付けない。とにかく何度も揺れる。何度も緊急地震速報が鳴る。
朝まであと何時間だ?今何時だ?
震えながら寝ようとしたが眠れない。

そして、耳を疑う言葉がラジオから聞こえた。

「荒浜付近で2、300人の遺体が発見されたようです!」

もう日本は終わりだと思った。ただ絶望した。
このまま朝を迎えることが出来るだろうか?

朝起きたらいつもの日常で実はこれは夢でした~なんてならないだろうか?

全く眠れないまま朝を迎えた。
部屋の中にいても息が白くなる。相当な寒さだ。

明るくなって家の点検を行う。基礎や外壁に亀裂が入っている。家屋も斜めになり惨憺たる光景だ。

電気はまだ復旧していない。水道の蛇口を捻ると水も出ない…これはまずいぞ。

そしてこの寒さだ。我が家は全て石油ファンヒーターに替えてしまったため電気がないと暖も取れない。

ラジオからは徐々に被害が明らかになってくる。だが女川方面と連絡が取れないということだ。
情報収集のために役場へと向かうととんでもない人集りが出来ていた。さすがに中に入るのも躊躇う。
役場の人は混乱の中対応していたが未曾有の災害でマニュアルもない中で奮闘していた。

津波被害に遭った区域は立ち入り禁止になっていた。まだ水もひいてないようだ。

後に津波は3mどころではなく6~10m…それ以上の高さにまでなっていた。
情報が錯綜していた。

役場の掲示板には手書きのメモ用紙がたくさん留められていた。どれもが家族の安否や行方の情報提供を募っていた。

その中には知っている人の名前が多数出ていた。

時折繰り返される余震に震えながら食料を確保するためにスーパーに向かうが人集りが出来ていて店舗の中まで進めない状況だ。
何分昨夜から何も食べてないのでここで体力を消耗する訳にはいかないだろう。夕方になれば落ち着くはずだと一旦家に戻り後片付けをすることにした。

電気も無い水も出ないとはこんなに不安になるものかと痛感した。

幸いながらトイレは簡易水洗だったので風呂の残り湯を使えば流すことが出来た。
ストーブは近所の方が石油ストーブを持っていたので一機借りることが出来た。
とりあえず上に鍋でも設置すれば簡単な料理をすることが可能だ。

午後に再びスーパーに向かうが相変わらずの人込みだ。
ここまで来たならと我慢して並び店舗で買い物を済ます。多少タンスに現金を置いてたので重宝した。
この状況ではクレジットカードも使えない。

スーパーではカップ麺は軒並み品切れ。
あとウイダーinゼリーのような部類も無い。あるのは野菜と多少の肉だけだ。

肉に関しては停電で保存が効かないことから敬遠したのだろう。
とりあえずカゴに肉を放り込む。今はスタミナが必要だ。
飲料水も全滅していた。ペットボトル関係は全てない。
菓子は多少残っていたので喉が渇くだろうが少しだけ買っておいた。

レジに長蛇の列でなかなか進まなかった。なによりも暗い中店員さんが電卓を叩き会計していたのだ。

これでは進まないと私はバッテリーが残り少ない携帯電話を取り出し店員さんの手元を照らした。

「本当にありがとうございます!貴重な電気を·····」

そしてその中に息子が帰ってこないと嘆いている女性がいた。
情報では仙石線は津波の影響を受けて電車ごと流されたことを知っていた。

女性の息子はその電車に乗っていたというのだ。
偶然にもその電車に乗り合わせたという知り合いの男性がいた。

「ああ、その電車に乗っていた人達なら全員避難して無事なはずだよ。今は近くの避難所にいるんじゃないかな?」
と聞いた途端に女性は泣き崩れた。

「ありがとうございます!ありがとうございます!!」
嗚咽を漏らしながら何度も男性にお礼を言う。
家族の無事を知り安心したのだろう。

誰も不安に晒され押し潰されそうな状況にいたのだ。

携帯の画面を見るとまだ電波は繋がってないらしい。

また不安な夜を迎えることになる。

続く

日本が揺れた日

2011年。3月11日。午後2時46分。
マグニチュード9.0。最大震度7を記録する東日本大震災発生。

その日私は仙台で仕事をしていた。

脚立の上で作業をしていたら緊急地震速報が鳴った。
この時はまだ緊急地震速報が導入されて間もない頃だったので大した事ないだろうと思っていた。

ところが地鳴りと共に激しく揺れ始めたために近くで作業していた人に逃げるように叫んだら背中を丸めて逃げ出していたところだった。

「早っ!?」
と私も脚立から飛び降り建物から逃げ出した直後にドーン!と隕石でも落ちて来たような衝撃と共に今まで体験したことが無い凄まじい横揺れが襲ってきた。
立っていられない程の揺れだ。

建物を見るとRC造にも関わらず豆腐のように歪んで揺れている。
近隣の家電量販店のガラスが割れて崩れる音がし煙が上がり始めた。

ただならぬことが起きたのだ。

すぐに速報が入り携帯の画面を見ると目を疑った。

──高さ3mの津波に注意

高さ3m!?たった1mの津波でも女川は冠水したのだ。3mも来たら無事では済まない。

「3mがぁ…おらい(自分の家)もうダメだなやぁ…」
石巻に住んでいる職人さんが項垂れていた。
それから混乱のまま各々帰宅することになった。

既に道路は渋滞が発生しており街は停電して信号機も機能していなかった。
誰もが同じ思いだったと思う。

早く家に帰って家族の無事を確認したいと。
渋滞にも関わらずそれぞれが順番を譲り信号機が無くても適度に流れていた。

直感的に海沿いや川沿いは危険だと思い、かなり遠回りして山沿いを走っていった。

この日の帰りに給油しようと思っていたので車の燃料は残り僅かしかない。

たどり着けるのか?
信号機も無い一本道の山道にも関わらず長い車列が出来ていた。
車のラジオから信じられない報道がされていた。仙台空港に津波が押し寄せたのだ。

「車が…津波に押し流されていきます!恐ろしい…光景です!」
アナウンサーの僅かに震えながらも冷静に伝えようとする悲痛な叫びが異常事態を伝えるには十分だった。

隣で携帯のワンセグを観ていた同僚が呟いた。

「ああ…もうダメだ…」

その日、3月にしては異様に気温が低かった。とても寒い…小雪もちらついてきた。風も冷たい。

携帯の電池を見ると残り僅かしかない…充電をしておくべきだったと後悔しながらも温存のために電源を切った。どうせ通信も途切れていたのだ。

「おい!やばいぞ!」
同僚が指差した先の橋の継ぎ目が20~30cm程の段差が出来ている。地盤がズレたのだ。

登れるか?
ゆっくり進み若干擦りながらも段差を乗り越えて無事に通過。
脇の駐車場等は地割れどころの騒ぎじゃない。まるでゴジラでも歩いたあとのようにアスファルトが隆起しめくれあがっていた。

会社の駐車場に到着すると車がズレてあさっての方向を向いていた。これだけ揺れたのだ。
車に乗り込みいつもの通勤路を走るが渋滞で思うように進まない。私の車にも燃料は僅かしか入っていない。当然ながらガソリンスタンドも閉まっている。
日が傾き山の影になると一気に暗くなった。

渋滞を回避するために脇道に迂回していくとヘッドライトの照らされた先に水が見えた。道路が冠水している。津波が到達したのだ。

「え?ここまで水来る!?」
後にも先にもあの道路が冠水してるのを見たことがなかった。海からは多少離れてはいるもののその距離を超えて津波が来たのだ。
フルブレーキかけるも間に合わなくて前輪が水の中へ飛び込んだがすぐに後退して事なきを得た。
諦めて再び渋滞の列に加わった。

家に着いたのは陽が完全に落ちて暗くなった頃。
本当に暗い…こんなに暗くなるものか。自分の手すら見えない程に暗い。
真っ暗な家の玄関を開けると家財道具が散らかっている。
足の踏み場もない。

リビングに入ると親父殿が猫を抱えて座っていた。
「おお、無事だったか!?」

電話も繋がらずに不安だったが無事を確認して安心した。

だが本当の戦いはこれからだったのだ。

続く

スーパープラチナム日曜日は気仙沼の旅!

スーパープラチナム日曜日を迎えた私はすこぶる上機嫌で目を覚ました。
なんて言ったって週一しか休めない超ド底辺労働者にとって日曜日は何事にも変えがたい大イベントだからだ。

まず日曜日の始まりは朝のランニングから始まる。

私は住友生命のバイタリティをやっているので保険料を安くするために一日の歩数を稼がねばならない。

これについては多くの不満があるがとりあえず続けている。

ランニングするにあたって風光明媚な松島へと向かう。

朝日を浴びながら景色を楽しみ走れば健康にもいい。

とても良い景色と朝の澄んだ新鮮な空気。日曜日ともなれば車の排気ガスも少ない。

砂浜に車を停めて林道をランニング。とても気持ちが良い…のだが、どうも過度な運動が祟り坐骨神経痛を発症してしまい微妙なフォームで走っている。

多分動かないよりは動いた方がいいかもしれないと運動し続けているが悪化しているような気がする…。

何よりも歩数を稼がねばならないのだ。

バイタリティは最高12000歩で最高ポイントの60ポイントを得ることが出来る。8000歩以下は0だ。
ゴールドランクになるには24000ポイントを貯めなければならない。

60×365=21900…ん?

1年間毎日12000歩歩いても足んなくね???

でも現実問題として社会人が仕事終えてから毎日1時間~2時間歩くってなかなか無いよなぁ…。

ランニングを終えた後は定番となりつつある
『支那そばや石巻』さんで早めのランチ。

塩かけラーメン大盛り

いやぁ、このマイルドな塩スープは絶品。そしてストレート細麺がベストマッチ!
舌に絡まる複雑な旨みがたまらないね。

店主さんから味玉をいただきました。

スープまで完飲し朝のランニングの成果は帳消しになりましたね。

店を出て空を眺めるとどこまでも青い空。雲一つない。

これなら気仙沼に行ってみよう!
三陸自動車道が宮城県では全線開通したのだ。

石巻港ICから乗り込み一路気仙沼へ。

さすがに日曜日だ。いつもよりも混んでいる。ましてや全線開通してからの初めての日曜日。

こりゃあ、法定速度マンもいるだろうなぁ。
長旅になるのでここで思いっきって100kmまで加速。

実は三陸自動車道は過去最高速度70km時代がありましてその癖で80kmくらいでしか走ってないのですよ。

ギュンギュン加速していくが80kmくらいで頭打ちに…あれれ?

アルトCはターボ車なんだけどロープレッシャーターボなので高回転はスッカスカなんですよね。
日常使いに特化してるので低回転から中回転域はフラットだが力強い加速をするけど高速は苦手。

ようやく100kmまで加速すると車体がフワフワして気持ちが悪い。三陸自動車道は結構路面状況が良くない。橋の継ぎ目付近に穴が空いてて脳天まで突き抜けるような衝撃と共にCDが音飛びしたのだ。信じられん…。

その後は三滝堂の道の駅に寄ろうとしたら超絶渋滞…道の駅内の駐車場で転回しそのまま気仙沼まで走ることにした。

三陸自動車道は面白い。アップダウンもあり、海が見えてトンネルもある。目まぐるしく景色が変わる。
退屈な東北自動車道とはまるで違う。東北自動車道は山しかない。

新しく出来た気仙沼の橋に到達。凄い橋だ!
残念ながらドラレコ未装着のために写真はありませんが…とてもいい橋だ。

しかしだね…この橋を渡りきるのに10分もかかった…物凄い渋滞!!

信じられるか?橋の真ん中辺りで停車or減速して写真撮ってんだぜ?しかもデジカメやらスマホやらだ。そりゃあ混むわ!
私もスマホで撮影すれば良かったのかな?とも思ったがハイドラでさえ運転中は画面を見ない。
なによりも自分自身を全く信用していないために万が一事故を起こす可能性もあるので辞めました。
素直に通り過ぎるが吉だなと。

どうせならこのまま宮古まで行ってみようと気仙沼を通過しました。反対車線も同じように橋の中心部を起点に大渋滞でした…ここから帰るよりも宮古を観光してから帰った方がストレスが少ないと思いましたね。

この先にあるトンネルも反対車線が大渋滞になってまして排気ガスがとんでもない事になってました。
なんていうか…サイレントヒルみたいになってましたね…。

結局宮古までは3時間で到着。

かつては下道6時間かかったのが約半分!
渋滞して3時間だから通常ならば2時間半前後で到着するのだ。

凄いなぁ…群馬に行くよりも遠かった宮古がこんなに近くなるなんて信じられない。

宮古に到達した時点で17時を回っていたために近くの道の駅で缶コーヒーを購入して帰路についた。

帰りはスイスイと走りライトアップされた気仙沼の橋を渡り。

おっと忘れた!釜石でラーメンを食べたのだった!
それはまた別の記事で。

そういうわけで私のスーパープラチナム日曜日は移動距離500キロのとんでもない旅になったのでした。

 

支那そばや石巻

支那そばや石巻

ラーメンの鬼と呼ばれた佐野実の直系の弟子が営む人気ラーメン屋さん。
あっさり中華そばの系譜だがそのスープは手間をかけて作られ複雑な旨味と香りを醸し出す。


麺はそれに合わせて製麺された細麺ストレート。
全粒粉が爽快なのどごしを演出してくれると共に小麦の芳醇な味わいを楽しむことが出来る。

かけ醤油ラーメン

かけ塩ラーメン

週替わりで醤油、塩味が入れ替わる。

 

開店前から並ぶ人がいるほどの人気店だが回転が早いためにそんなに待ち時間は発生しない。

現在は初代店主が引退し、若い二代目店主がその味を引き継ぎ元気に営業している。テキパキした仕事ぶりは一見の価値がある。

私は『かけラーメン』が大好きでシンプルに麺の味わいとスープの旨味を堪能している。濃厚な味わいの味たまとメンマも美味しい。

 

慢性的に千円札が不足しているようなので千円札を予め準備しておくと良いかも…。

個人的には県内三本指に入るラーメン屋だと思っている。駐車場も未舗装の部分はあるものの広くて駐車しやすい。しかし、貸金のATNがあるあたりは車止めの位置が微妙で停め方がわからずに変な間隔が空きやすい。

営業日、醤油、塩の切り替えは公式Twitterより

支那そばや石巻公式Twitter

 

鹽竈神社の階段に立ち向かえ!

日曜日に支那そばや石巻で昼食を済ませた後に塩竈に向かった。

本当は石巻のあゆみの公園でワークアウトをしたかったのだが大変な人出で駐車場も満車だったので諦めた。

そこで思い出したのが塩竈だ。

(そういえばまだ初詣してなかったな…)

とふと思い立ったので鹽竈(しおがま)神社へと向かった。

だが普通に神社に向かったのでは面白くない。北浜から歩くことにした。

 

北浜は階段の街だ。至る所に階段があって複雑な道を構成している。
建物は見えているのだが行き方がわからないなんてことはざらにある。

体を慣らすためにいくつもの階段を上ることにした。

だが気を付けなければならないのは不用意に上がっていくと他人様のお庭に出てしまうこともあるので注意しなければならないのだ。
なんの用事もないのに私有地に立ち入るのは明らかに不審者だ。

そういうわけで注意しながら歩く。

面白そうな階段を発見。手すりがうねうねしてて面白いな!

段に合わせているわけか。
これは良いような悪いような…なんか手すりとしては使いづらいような気がする。

いくつかの階段を利用して迷路のように入り組んだ狭い道を歩く。
この高低差が意外と膝に来る。上る時は一気に下る時はゆっくりと。

全く舗装されてない裏道や

雑な作りの階段を上っていく。


階段の途中に鳥居があったりとなかなかの異世界チックな景色が…。

宮町に抜けると重なる建物が。どうやってあそこに行くのだろう?と歩いていくワクワク感は堪らない。

これまた知らない道。初めて来た。

古い階段や古い建物の間を抜けていく。

急勾配で狭い道は面白い。転んでしないように慎重に歩いていく。
細路地からメインの道路に出て丹六園の脇を通る。これは文化財として指定されている。
『志ほがま』という銘菓を作っているのだが実は食べたことが無い…機会があれば食べてみたいものだ。

さて、鹽竈神社に到着したがここまで結構歩いてきた。体力も消耗している。

目の前には長い階段が存在していた。なんというラスボス感…。

私は毎日毎日10km近く走って鍛えてきた。
一分もかからず上りきれるのではないか?
香川の金比羅山だって休憩無しで上りきれたのだ。それもインフルエンザを発症しつつある状態で!

体も温まっている。
呼吸を整え地面を蹴りスタートした。

ストライドを大きくして反動をつけ体を前へ前へと繰り出す。
たちまち中心部まで到達。まだ30秒もかかってないはずだ。

しかし、まだいけると思っていたのだが急に体が重くなり動かなくなった。膝を支えないと上がっていけない…こんなはずじゃ…。
残り三分の一はおじいちゃんのようになってゆっくり上るはめになってしまった。

体力を消耗し過ぎていた事もあるが坐骨神経痛もあったのでベストコンディションではなかった。それにしたってもっと上へ行けた気がする。

こんなヤワだったの?と愕然とした。

結局タイムは1分30秒…。

この時私は思った。

今年は30秒で上りきれるくらいになりたいと。
もっと頑張ろう…。