七夕の願い

今日は七夕か…。例年通り雨だな。仙台では七夕祭りが8月に開催されるために7月に七夕という認識はやや薄く感じる。

子供の頃、どんな願い事を書いたんだっけ…あまり覚えていないな。

地球からアルタイルまでは17光年。光の速さで願いを届けても17年もかかる。その願いが叶うとしたら更に17年だ。計34年かかるわけだ。

せめて10歳の頃にした願い事が思い出せればいいのだが全く思い出せない…。子供の頃は毎日生きるのに大変だった。およそ『普通の子供』が得られる幸せはなかった。自分が大人になるなんて微塵も思ってなかったし想像すらしていなかった。よって幸せの展望など全くなかったのだ。

周りが進路で賑わう中で私はどうなっていくのか全く考えていなかった。ただ漠然と不安だけが頭の中を支配していた。

七夕は特に何の思い入れも無い。でも彦星と織姫が1年に1度だけ会える日。なんてロマンチックなんだろうね。

でも1年に1度でも会えるならそれも贅沢な話だなと思えてならない。私の大切な人はもう二度と会えないのだから。そして、この世界には私の心の中にしか生きていないのだから。

今七夕の願いを思うならどんな願い事をしようか?今から17年後に願いはアルタイルに届く。それから17年後にその願いは叶う。今から34年後に…そうだなぁ。なんにしようかな…。

大人になると願い事なんて簡単に思いつかないものだな(笑)贅沢な願いかもしれないが…心を許せる誰かが身近にいてくれたらな。

 

 

愛した記憶

かつて誰かを愛した記憶はある。でもそれは忘れようと必死になっていたが結局忘れられなくてぼんやりとしたものになってしまった。

当時二人で通ったレストランはまだ営業している。いつもオムライスを食べていたっけ…。お互いまだ若くてお金が無くてたまにの贅沢だった。

君が旅立ってから22年が過ぎようとしている。あれからずっと喪失感を抱えて生きてきたし、幸せになることが烏滸がましく思えてならない。そもそも幸せとはなんだったのだろうか?

たらればを言ったらキリが無いが、もしあの時に一緒に同棲する方を選んでいたら?と悔やむことはある。

でもこの世界はとても静かだった。雑音もなかったし、静寂そのものだった。君の声はまだ忘れてはいない。余計な音を聞かなかったからね。

ただ、叶うならばもう一度話をしたかったなぁ。どんな事でもいい。

生きることってのはそれだけで苦しいものだな。君がいない世界というものは酷くつまらなく思えてならない。

愛した記憶はある。それ以上に失ったショックの方が大きかったのだ。

こんな気持ちを抱えながら生きなければならない人達が今現在もいる。飲酒運転はクソだ。クズがすることだ。死刑でも気が済むものでもない。

どうして悲しみは伝えられないのだろう?どれほどの涙が流れればわかるのだろう?

何度も思うんだ。時間が戻ればって。

1日の訪問者は…

私のホームページへの訪問者は平均して一日1人か2人だ(笑)まぁ、特に収益化とか全く考えていないしSNSのように不特定多数が来るようなことを想定していない。自由に書き殴って生きた記録として残せればいいかなと軽く考えている。

軽く考えているけどサーバー代はバカにならないのが現実だ。せめて収益化を目指してサーバー代はチャラに出来れば理想なのだがそういう技術も知識もない。あと収益化を考えると毎日更新しなければならない負担も生ずるので嫌になったら辞めるでいいと思っている。

単純にアクセス稼ぐくらいならニュース記事を転載していけば簡単なんだがね。それよりも日々の思いや考えを綴ってる方が我得って感じだ。

まとめサイトみたいに時事的な記事を書くのも面倒くさいしいちいちニュースを追いかけるのも疲弊してしまう。元々は小さなSNSで小説を書くのが好きだった。交流などはまるで出来なかった。

当時からブラックな事業所で働いていたためにかなり精神を病んでいた。プライベートは無いに等しく休日も仕事のことが頭から離れずに悩んでいたのだ。いつの日か何にも考えずに空を眺める日が来るのかと思う程に脳がエラーを繰り返していたのだ。

そして、同年代が結婚して家を建て子供が出来るようになると今の自分には何もないということに気付いた。ブラック事業所で働いてきた時間は全てが浪費だったのだ。自分には何も無かった…。いつか豊かになる、いつかは悩みから解放されて穏やかな日々を過ごすことが出来る。そのために粉骨砕身踏ん張ってきた。

だが待っていたのは人生の絶望だ。全てを失い…全てを諦めざるを得なかった。

体は決して健康とも言えず、節々が痛みまともに動くことすらままならない。もう後戻りも出来ない程に人生の崩壊が進んでいたのだ。

残された救済は全て諦めることだった。人並みの幸せのありとあらゆることを諦めたのだ。ようやく穏やかな気持ちを得た時はおそらくは何も残されてはいないだろう…。

 

でも自分が書き綴った物語だけは残したいと思った。それが誰かの心の中に少しでも残ればいいかなと思っている。

だがその物語すら書くことが困難である。ああ、どうしてこんなにも疲弊してしまったのだろう。

とてもじゃないがこんな愚痴は数百人が訪れる場所で書けるものではないだろうな。

 

これが噂のダールラーメン

腹が減っては走ることもならぬのですよ!

私は大欠伸をしながら目を覚ます。やや曇天な空は惰眠を貪るに相応しい環境である。

社会の底で働く超ド底辺労働者の私は阿呆の極みであり、週に一度あるかないかの貴重なる休日を惰眠に費やし、インターネットの検索履歴には何故か『象の尻』などと前衛的な検索ワードが上がる。

そんな私だが厄介なことに邪悪なことに関しては人一倍敏感であり飲酒運転事故を起こしたニュースに関して一言コメントを残そうかとヤフコメを開いたものの、言葉のやりとりは苦手ゆえにそのまま閉じて天井を仰いだ。所詮個人的な鬱憤晴らしにしかならん。

「…そういえば風呂に入ったのいつだっけ?」などと実に下らないことを考えながらぼんやりしていたらいつの間にか昼になっていた。

これでは一生涯に一度しか訪れない今日を無駄に終わらせてしまうと重い腰をあげて車に乗り込んだ。そういえば車を動かすのは1週間ぶりだ。

川崎町へ…

車の運転は苦手だ。自分だから信用などできるものでは無い。とにかく恐る恐るハンドルを握っているのだ。それでも他の車の流れに乗ろうとしがみついて運転している。

ことにプリウスを見るとまた『特攻』してくるのではないかとトラウマになっている。すれ違う10台に1台はプリウスだ。本当に怖い。

2時間のドライブで川崎町に着いた。とにかく遠かった。

『ドライブインみしま』に到着。

今時ドライブインという響きはなかなか心に響く。ちょうど昼のピークが過ぎた…はずなのに駐車場は溢れんばかりの車でいっぱいだ。決して狭い駐車場ではない。田舎のコンビニと同じくらい広い駐車場が満車なのである。こんなことってある?人込みは嫌いだがここまで来て食えないのも釈然としないので少し捌けるまで駐車場で待つ。店内に空きが生じた辺りで入店。

まるでアイドルのような可愛い店員さんに促されテーブル席へ。テーブル席と言ってもでかいテーブルでおひとり様専用のようなものだ。

迷わず注文したのはダールラーメン半ライス付き。

ダールラーメン登場!

この価格は安い!下手すれば意識高い系ラーメン屋の『らぁ麺』よりも安いではないか。

これで普通盛りである。一般的なお店なら『特盛り』でもおかしくないボリュームだ。ピリ辛の餡掛けでとにかく熱い!湯気が出てないので騙されるが相当に熱い。いきなり口に放り込もうならば結構な火傷を負ってしまう熱さだ。それにつけ加えてピリ辛だからとんでもない汗が出る。

海老が入っているおかげで彩り豊かである。うずらの卵も2個入っているのが何気に嬉しい。一つは中盤で食べて残り一つは最後の楽しみにとっておける。もやしもシャキシャキで歯応えがあり美味しい。近場であれば毎週食べたいくらいだ。

麺は普通の卵麺だ。良くも悪くも特徴はないがこれだけ熱い餡掛けの中にありながら終盤まで伸びることなく食べることが出来た。適度に餡掛けを絡ませてくれるので食感も良い。全てが計算され尽くされたものだ。

麺を食べたあとはライスをぶち込み中華飯にして食べる。これもまた美味い。最後の最後まで楽しませてくれる。だが完食し時計を見たら午後3時になろうとしていた。なんとも寂しい気持ちになりながら帰路についたのだった。

そういえばダールラーメンといえば青森県の八戸市にもあったな…店舗の名前は忘れたが…。

ドライブインみしまさんはこの辺ではかなり老舗となるお店だろう。長く続くには理由がある。ひっきりなしにお客さんが訪れては汗を流して食べていく。日頃の鬱憤などどこへやら。

また食べに来よう♪

コードレス掃除機を買ったワシ

人生初!コードレス掃除機を買う!!

今まで気にはなっていたのだが購入を先送りにしていたコードレス掃除機。充電して使うのだが購入を先送りにしていたのはまだ使っている掃除機が現役で動いていたからだ。

掃除機は長寿命の家電の一つだ。下手すりゃ爺さんが買ったものを孫が使っていても不思議ではない。だが物には限界というものがある。壊れもするし最新家電ともなれば電気代が安く済む場合がある。だが掃除機にかかる電気代など知れたもので年間数百円の節約のために買い替えなどしないだろう。

そんな私がコードレス掃除機を買うきっかけになったのは先日、部屋の床を猫の毛が毛玉になってコロコロ転がってるのを見ていた。

さすがに着るものや布団に舞い降りたのではなかなか厄介なので掃除機をかけることにしたのだ。我が家のは20年前に購入したが壊れもせずに現役で稼働している。コードを引き出しスイッチオン!すると全く吸う気配がない。モーターは動いているのに吸わない。すぐにタンクを開けると中に入っている紙パックがパンパンだ。

うむ、これでは吸うわけはない。物置を漁り紙パックを探す。無いな…。これは面倒くさくなってきた。

あっちの部屋、こっちの部屋、タンスの引き出しから冷蔵庫の中まで探したが見つからない…これは…使い切ってしまったのかもしれない。

それではホームセンターに買いに行くしかあるまい。しかし20年前の機種に適合する紙パックなどまだ売ってるのだろうか??

家電コーナーを見ているとコードレス掃除機があった。へぇ、これがコードレス掃除機かとスイッチオンしてみたらこれはなかなかパワフルではないか!しかも軽くて吸ったゴミがタンクの中でクルクル回ってるのが見える。これは…面白いぞ!!

今年初めて一万円以上の買い物をしたのだ。意気揚々と帰宅し早速充電して使ってみる。

ギュオオォォォンと音と共にゴミがみるみるタンクに溜まっていく。2段階のパワー調整ができるが弱でも十分な吸い込みだ。

タンクはあっという間に髪の毛で一杯になった。なんて言うか…阿寒湖のマリモみたいな感じだ。結構大きい毛玉になっている。猫の毛よりも明らかに私の毛の方が多い…。

捨ててまた掃除機をかける。またタンク一杯になり捨てる。また掃除機をかけるとまたタンクが一杯に…そしてまたかけると繰り返したらゴミ箱の中には結構な髪の毛が…。

頭に乗っかってる髪の毛よりも多くないか!?

あまりの量に不安になったが髪型など気にしない年齢に達したので別にどうでもいい。むしろ髪など無い方が人生は豊かになるのだ。無いものねだりが一番の不幸の原因だ。去る者は追わないのが私の主義である。

しかし、コードレス掃除機はめちゃくちゃ面白いぞ!ゴミがみるみる溜まっていくのを見ると達成感が得られる。そして綺麗になった部屋を見て感慨深いものを感じた。

掃除こそが人生を豊かにするメゾットなのだ。楽しい掃除機ライフは始まったばかりだ。