【 仙台のラーメン 】太平楽六丁の目店の朝ラー太麺大盛りを食す!

仙台で人気の朝ラーメンの店!!朝から活気がいいぞ!

平日ともなると目覚まし時計よりも早起きして適当に朝飯を作り、喉の奥にかきこむと咀嚼しながら車に飛び乗る。

そんな忙しい日常を送っているのだが、その日は日曜日である。

超ド底辺労働者にとっては最良かつ、最高の一日。

日曜日はダイヤモンドなのだ!

朝に軽い運動をし、体を温めると車に乗り込んだ。その日は、あいにくの雨ではあったが早朝から仙台へと向かった。

目指すは六丁の目。

朝ラーで超絶人気の

『太平楽六丁の目店』

である。

太平楽は宮城で展開するお店で県内に4店舗を構えている。

その内の六丁の目店は特に人気のお店だ。

ここのお店の特徴はなんと言っても店員の元気の良さ。

あれぐらい元気があれば一人でもフリーザを倒せるくらいの元気玉ができるんじゃないかと思うくらいだ。

朝ラーはダントツ人気のメニュー!

券売機は店に入って左奥にある。

太麺と細麺で分けられているので注意が必要だ。

細麺も美味しいのだが私の好みは太麺。太平楽の太麺は特に美味しい。

食券を渡すと席に案内され腰掛けた。こうしている間にも次から次へとお客さんが入ってくる。なんて人気だ。

朝からよくラーメンなんて食うよな、まったく。

見た目がとにかく豪華!具沢山のお得な朝ラーメン!

これだよこれ!

この具沢山のビジュアルが食欲をそそる。

全体的にとても華やかだ。

以前に比べてかなり値上がりしたが、具材をケチらずに素直に値上げしたのは好評価と言える。

よくネギを省いたり、卵をはぶいたりして価格維持するケースもあるが、客としては具材や素材をそのままに値上げしてもらった方が気楽ではある。

いろんな物をケチってしまうのはまことに残念な気がするものだ。

スープは魚介強めだがエグミはなく清廉な味わい。

スープを一口…ズズ…。

うんめぇ〜!これだ!

この魚介が強めだが塩味も程よく、かえしの味わいが突き抜ける。

こんな美味いスープをよく作れるなぁ〜天才かよ!

背脂の甘みも手伝って飲みやすく、飽きがこない。

それに合わさる麺は…!

太平楽ここにあり!ブリブリ太麺は食べごたえ抜群!

この太麺、いいよなぁ。たまに思い出すとやけに食べたくなってしまう。

そんな印象強く記憶に残ってしまう太平楽の太麺である。

モチッとしており、絶妙な縮れ具合で唇から舌、喉を通過するまでにとても幸せな時間を与えてくれるのだ。

すべてが計算された具材は適材適所の極み!

そっと添えられた、さやいんげん。

そして細切りメンマ、海苔、味玉、チャーシュー、ネギ…すべてがこの一杯を彩る名脇役たちである。

この内、どれかが欠けたら寂しく感じてしまうほどの存在感を出している。

朝ラーのお得感を演出するには欠かせない存在なのだ。

日曜日の朝にスタートダッシュを決めることができる太平楽の朝ラーは、元気の源なのだ。

ごちそうさまでした!

また来ようっと♪

太平楽六丁の目店の店舗情報

住所:〒984-0004 宮城県仙台市若林区六丁の目東町2−10

営業時間:6:30〜9:45

11:00〜14:45

18:00〜22:00

定休日:毎週火曜日

【石巻のラーメン】支那そばや石巻の塩らーめん大盛り+味玉

石巻の人気店!支那そばや石巻!で塩らーめんを食す!

皆様、ラーメンはお好きですか?

私は大好きです!!

栄養とか度外視しても大丈夫なら毎日ラーメンを食べたいと思うくらい大好きです。

しかし、私のライフスタイルと体調を考慮…いや、家計を考慮するとラーメンを頻繁に食べるわけにはいきません。

どうして体に良くないものほど美味しいのか?

よく野菜が大好きだと言ってアオムシのように葉っぱを食べてる人がいるが本当か?!と疑ってしまう。

本当は野菜じゃなくてマヨネーズの方が好きなんじゃないか?などと邪知な考えを起こしてしまうのだ。

最近は日曜日とくればプロレス観戦やら溜まっている家事を消化するためになにげに忙しい休日だったのだが、その日は何も予定も入れず、家事もコツコツとこなしていたおかげで完全な自由な時間を手に入れた。

その日の朝に『30キロマラソン』というトチ狂ったことをしなければより良い一日になったのかもしれん。

久しぶりに得た自由な休日…それを大いに満喫するにはあの店に行くことにした。

筋肉痛の体を引きずって向かったのは

石巻の人気ラーメン店、 支那そばや石巻

ここはあのラーメンの鬼と呼ばれた佐野実氏の弟子の弟子の店である。

先代店主さんがどの時期に佐野氏に弟子入りしたのかは不明であるが、おそらくかなり初期の頃だと思う。

佐野実氏といえばテレビ番組『ガチンコ!』の中の企画『ラーメン道』でかなり有名になった。

頑固一徹ラーメン屋のオヤジといえば佐野実氏のイメージだ。

昨今のSNS時代では大炎上を招きかねない展開だったと思う!

スープの寸胴をひっくり返したり、弟子の店を訪れては火加減云々て胸ぐらを掴んで引っ張り回したり、時には候補生を椅子ごと担がせて会場から追い出し『神輿やないねんから!』と迷言を生み出すきっかけになったりと平成の時代を駆け抜けたラーメン界の鬼才だった。

庶民の食べ物であるラーメンをハイエンドな食べ物に引き上げた功労者は間違いなく佐野実氏だったと思う。

残念ながら私は佐野実氏が作るラーメンは食べたことがなかった。

食べられる機会はあったかもしれないのに、テレビに洗脳されすっかり私の中では『怖いおじさん』だったのだ。

そして過去に二回ほど、この支那そばや石巻で食べる機会があった。

今から20年ほど前だ。

その当時は

熱いものを食べると高確率で鼻血が出る!

という奇妙な症状で二回食べたが二回とも鼻血が出て血の味しか感じなかった…。

それ以来、ご無沙汰だったのだが先代店主さんが引退する直前に運良く食べることが出来てそのおいしさに感動したものだった。

…もう無くなるのか…という残念な気持ちだけがモヤモヤと残っていた所に現在の二代目店主さんが味を継承したのだった。

行列の店だが回転は早い!

行列の最後尾について10分くらいで入店できた。

実はこの日は親父殿を伴って来ていた。

たまにおいしいラーメンでも食わせてやるかと気まぐれに思ったのだ。

食券は待合室にいる時に店員さんが回収し厨房にオーダーを通すために着席してからすぐにラーメンが出てくる。

オペレーションが実に小気味よく動いているので客は何にも考えずに席について出てきたラーメンを啜り、平らげ店を出るのだ。

何も難しい事はない。

佐野実氏が厨房に立っていた頃は

『私語厳禁』

などと店のルールが敷かれていたが、それはテレビのイメージであり、実際はうるさくしなければ何にも怒られることはなかったらしい。

そしてこの支那そばや石巻も私語厳禁という雰囲気はなく、至って普通のラーメン屋である。

しかし、不思議と店内には店主さんが麺上げをする音と客が麺を啜る音しかしない。

それだけ夢中になるほどうまいラーメンということだ。

すぐにラーメンが到着すると隣にいた親父殿が

「ん?これ俺のか?」

などと言う。

なぬ?間違えたの?

思わず店主さんがオーダーを確認するが間違いはないようだ。

親父殿は「俺のはネギラーメンだ!」と言ったが

そもそもネギラーメンなんてメニューは無ぇッッッ!!

自分で何の食券を買ったのか完全に忘れたらしい…オイオイ…勘弁してくれ…。

いささかトラブルが起きたが親父殿も納得したみたいでラーメンを食べ始めた。

もう本当にポカした!スマンかった!

スープは豊潤かつ沁みる至高の味わい

スープを一口…ズズ…。

ほんのり甘い、ほどよい塩味…鳥、豚、魚介の旨味が十分に溶け出したスープは複雑な味わいを演出している。

正直成分に関しては自信ないので月並みなセリフなんですが…なんとも複雑な味わいを感じるのですよ。

いやぁ、本気でうまい!

口に含めばふんわりと広がる香りに思わず鼻の穴がプクゥと大きく膨らんでしまう。

麺は噛むとパツンと切れて食感的にも楽しい!

麺は全粒粉入りの細麺。

蕎麦に近い喉越しを感じる事ができる。

噛むとパツンと切れる歯切れの良さも手伝って本当においしい。

スープとの相性は実に抜群でスープの旨味と小麦の風味がうまく調和して格別なうまさを演出しているではないか!!

これだよ、これ!

これが私の落ち着く休日なのだ。

このラーメンを食べて穏やかな午後を過ごす。

特別良いことも起きなければ悪いことも起きない。

おいしいものを食べてのんびりと過ごす。

これで良いのだ。

味玉は濃厚な卵の味!

こちらの味玉はとても濃厚な卵の味わいを楽しむ事ができる。

これはぜひとも食べていただきたい逸品である。

プリッとした白身にトロッとした黄身が口の中に広がりたちまち幸せな気持ちにしてくれるだろう。 

楽しい日曜日は始まったばかりだ。

楽しもう。

支那そばや石巻の店舗情報

住所:〒981-0501 宮城県東松島市赤井鷲塚11

営業時間:平日は11時〜15時 土日は11時〜20時

定休日:店の営業カレンダーによる

\定休日情報はこちら!/

公式SNSはこちら!

【 石巻プロレス 】新天地で再始動!!挑戦を続ける熱いプロレス団体は宮城にあり!!

石巻プロレスとは?

プロレスとくれば新日本プロレス、全日本プロレスを筆頭に様々なプロレス団体が凌ぎ合うまさにプロレス戦国時代。

昨今においては総合格闘技に大きく差を付けられ、尚且つ朝倉未来がプロデュースするBRAKING DOWNなどが人気コンテンツとなり、プロレスは知る人ぞ知るスポーツとなった。

だが、プロレスファンは総合格闘技に流れるのではなくプロレスがあくまで好きなのだ。

総合格闘技は相手の技を受けることなく勝つことが優先されるがプロレスは相手の技を受けて勝つことが至上とされる。

技を受けきる事が強さの証となるのだ。

前置きが長くなったが、社会人プロレスとは一般的な会社員などがプロレス好きが高じて自らもレスラーとして戦うプロレス団体なのである。

石巻プロレスもその一つだ。

代表はグレートサラリーマンさん。

学生時代にプロレスサークルを作るくらいプロレス好き。自らもリングで戦っていたが病気でセミリタイア状態となってしまったが復帰に向けてリハビリしていると思う。

現在はもっぱら解説に回る事が多い。

プロデューサーは全日本プロレスでも活躍した菊地毅さんだ。

ゼロ戦キックなど捨て身の技を得意とし火の玉小僧のニックネームで知られる。

2019年に旗揚げし、宮城県を中心に山形、福島と活動の幅を広げている。

石巻プロレスの主戦場が突然廃業!!存続の危機か!?

石巻プロレスが主戦場としていた大郷町の温泉施設『夢実の国』が母体のグループの解散によって突然廃業となってしまった…。

回数券買っていたユーザーは激怒した…!

↓石巻プロレスのエースであるネブタ・ザ・ドリラー選手はプライベートでも利用していたので悲しみにくれてしまう…。

これにより伝統となりつつあった夢実の国マットプロレスが消失してしまい石巻プロレスはその活動を縮小せざる得ない状況となってしまう…かと思われた。

だが、そこに新たな会場で開催するという朗報がTwitterで発表されたのだ。

私はこのニュースに歓喜し膝を叩いた。

どういった経緯でこの会場となったかは私が知る由もないが、このまま石巻プロレスが終わることはない!と確信した。

初開催となる『パストラル縁の郷マットプロレス』は実に楽しみとなった。

▲石巻プロレススポーツこと巻スポを私が勝手に発刊。三流ゴシップ新聞なので内容を鵜呑みにしてはいけません。

パストラル縁の郷マットプロレスの出場レスラーは?

出場する選手たちは社会人プロレスを見たことがあるファンなら胸が踊るような素晴らしいレスラー達が参戦します。

そのレスラーたちを私の認識のもとに紹介いたしますが、実はまだそんなに詳しい訳ではないので事実と異なる表記があるかもやしれません。

その点はご了承いただくとしてぜひ会場にて観戦して確かめていただければ幸いです。

石巻プロレス

ネブタ・ザ・ドリラー

石巻プロレスのエース。雨を降らせる晴れ男。打撃、関節、投げ技と様々な技を使いこなし、特筆すべきはその受け身の巧さで毎試合名勝負となる。倒されても何度でも立ち上がるタフガイで放たれるチョップは超痛いらしい。

必殺技は助走して膝を叩きつける見た目的にも超痛そうな『一射絶命』

カモシカイザー

猛獣。石巻プロレス一の巨漢。体格を活かしたパワーファイトが得意でその一撃一投が驚異的。太い腕を振り回すハンマーは大迫力だ。必殺技はどう受け身を取ったらいいのかわからない投げ技『落石注意』

マサ・テシロギ

いきなりいぶし銀。石巻プロレス一の風格を持つが実はまだ若いらしい。マサのリングネームの通りマサ斎藤を彷彿とさせるファイトがファンの心を掴んでいる。デワプロのYAHAGI選手と生き別れた兄弟ではないかと噂されるほど似た者同士。必殺技は『監獄固め』

闘鬼(トニー)

悪鬼滅殺。石巻プロレスの新人。体格的には小兵ながら着実に実力を身に付けている成長株。試合ごとに成長を見せてくれるためファンも目が離せない!

プロレスリングデワ

西崎雄鬼

自称極悪人。ずんぐりむっくりした体格からは想像もできない猛烈な突進力でファンのド肝を抜く。シングルやタッグでも好成績を残す猛者。でも結婚して今は超幸せらしい。突進力と腕力が合わさった『ラリアット』が得意。

平田明

ダイナミックルビー。赤いパンツがトレードマーク。田上明を彷彿とさせる王道プロレスが得意。脳天唐竹割りやヤシの実割りなどプロレスファンなら誰でも唸る玄人好みの技を使いこなす。必殺技はバックドロップから移行する喉輪落とし『オレが平田』

アベドーラ・ザ・ブッチャー

白い魔術師。往年の悪役レスラーブッチャーを彷彿とさせる。日焼けなんてしたことがなさそうな美白な肌が特徴だが、鋭い地獄突きと凶器攻撃(フォーク)は脅威的。デワプロ最強との噂もある。必殺技は『毒針エルボー』

SSD

ヤギひろし

デワプロのシングルカーニバル2022覇者。私の中では一番謎な選手。かなりの実力者で驚異的な握力を誇り、アイアンクローなどを駆使して戦う。いつも吠えてるだけに思えるがネブタ選手はきちんと意思疎通ができている謎。

相双プロレス

YAMASE

相双プロレスの代表。芸術的な肉体美を誇る。ブレーンバスターやバックドロップなどまるでプロレスの教科書のような美しいフォームで観客からは大歓声が上がるほど。石巻プロレスのエース、ネブタ選手とシングル対決を望んでおり、これからの動向が目が離せない選手。必殺技はトップロープからの『ダイビングスプラッシュ』

フリー

ジ・ビールマン

ビールのマスクが特徴。試合前に『乾杯』するのが恒例。コミカルなキャラクターだがかなりの試合巧者で対戦相手はおろか観客まで巻き込み試合を一気に盛り上げる。マットプロレスにはなくてはならない存在でどこへでも神出鬼没に現れる。得意技は『アックスボンバー』

以上、参加する選手たちは実力者揃いでどんなカードが組まれるのか実に楽しみです。

パストラル縁の郷ってどんなところ?

実は私は訪問したことはないのですが、大郷町で採れた食材を使った本格的なフレンチが楽しめるレストランを併設した宿泊施設です。

農業体験やバーベキューなども楽しめるようです。

景色が素晴らしいという口コミも散見しましたのでいろいろと期待してしまいますよね。

詳しくは公式サイトをご覧ください。

\こちらクリック/

パストラル縁の郷公式サイト

プロレスを観戦して元気になろう!!

『元気ですかーっ!!元気が一番!元気があればなんでもできる!!』

故アントニオ猪木氏がよく言っていたことです。

人は元気が無ければなんにもする気力が生まれません。

今のご時世はとても暗いです。

戦争、増税、疫病…庶民の暮らしはますます苦しくなっていき将来も不安だらけです。

しかし、戦後の日本は敗戦国となり、国土は焦土化しながらも庶民は立ち上がろうとしました。

明日はきっと良くなると貧しいながらも活気に溢れ元気に働いて経済をどんどん押し上げていきました。

その時代、ブラウン管の向こうで活躍したのは力道山でした。

大きな外人選手に放たれる力道山の空手チョップに庶民は歓喜し、元気を取り戻していきました。

プロレスは選手を応援することで自然と元気が出てきます。

そして観戦を通して広がる人の輪を感じてほしいです。

応援する選手が勝ったら喜びを分かち合う事ができますし、負けたら悔しくとも立ち上がるレスラーたちの姿を見て励まされることもあります。

きっと楽しい体験ができると思います!

お互いに良い影響を与え合って、この暗い世の中を楽しく乗りきっていきましょう!!

マットプロレス観戦時の注意は?

マットプロレスはその名の通りマットの上で行われます。

▲夢実の国マットプロレス

そのため選手との距離が近くとても臨場感溢れる試合を楽しむ事ができます。

しかし

炎天下で観戦をすることになるので熱中症対策が必要です!

基本的には屋外で行われるので日傘や帽子と日焼け止めは必要です。

そして適宜水分を補給できるように飲料水なども準備したほうがいいかもしれませんね。

尚、日傘を使用する際には周囲に気を付けて視界の妨げにならないように配慮してください。

▲伊達な道の駅マットプロレス

観戦は無料です!が、個人的には持ち歩きできる小さな椅子が便利

マットを敷くだけという手軽さで興行されるので椅子などはございません。基本的には立ち見や地面に座って観戦などになりますので持ち運びできる小さな椅子やクッションがあると便利だと思います。

全力で楽しむ!

あとは全力で楽しむだけです。大声を出したり、拍手したり、時にはブーイングしたり、他の観客たちとの一体感を楽しみながらレスラーたちの戦いを楽しみましょう!

明るく激しく楽しいプロレス!

それが石巻プロレス!!

無理しない!

怪我しない!

明日も仕事!!

それをモットーに石巻プロレスは

宮城県民を元気にしていきます!!

ギャラリー

ネブタ・ザ・ドリラー

カモシカイザー

マサ・テシロギ

闘鬼

注意事項

⚠記事中の画像につきましては私自身で撮影したものの他にネブタ・ザ・ドリラー選手、そしてそのフォロワー様が撮影したものをお借りしているものがございます。

掲載につきまして問題がある場合は私のTwitterアカウントよりDMにてお願いいたします。

私はただのいちファンであり、

石巻プロレスの関係者では一切ございません!

【四コマ漫画】猫と扇風機

猫と扇風機の相性は最悪!!

冬毛を纏い、そろそろ生え変わりの季節になったチャト社長。

暑い初夏に扇風機で涼んでいると私に悲劇が訪れた。

扇風機の強風で一気に毛が抜けた!

ムスカ大佐みたいに『毛が!毛が!毛がァァァァ!!』と思わず叫んでしまったのだ。

数回撫でただけでこーんなに抜けちゃった…。

あの小さな体にどんだけ毛が詰まっているのだろう?

無限に抜ける…!

第7回いしのまき復興マラソン出場した話です!

人生初!マラソン大会出場へ!

思えば自堕落な人生を生きてきました。

欲望こそ薄かったものの、ひたすら楽な道を選んでこれまで人生から逃げてきた。

そんな私が走るきっかけになったのは2年前に起きた交通事故の怪我。

一年間痛みに耐え、二年経っても完治しないまま動かない体に悩んでいた。

このままではマジで歩けない人生になってしまう!という危機感から本気でリハビリを開始。

今までの人生でこんなに頑張ってきたことはないと思う。

小学校の夏休みにアサガオすら咲かせることができなかった私がこれから一花咲かせる気満々でリハビリを繰り返した。

最初は自宅の周辺を歩くことから始めた。

距離は10m…それを毎日だ。

だが一向に体は良くならない。

これじゃダメかもな…なんとなく自分の良いところでもあり悪いところでもある『諦めの良さ』が出てきた。

しばらく続けたら1.5キロ歩けるようになった。

それから少しずつ距離を伸ばして3ヶ月後には15km完歩した。

それから一年後の6.11第7回いしのまき復興マラソンの10キロの部のスタートラインについていた。

走る理由とは?

「なんで走るの?」

「何を目指しているの?」

これはトレーニングをしているとよく聞かれることだ。

一人一人目的は違うもの。

何を目指すのか?

なんで走るのか?

私の場合は当初の目的は一つ。

ポンコツな私が完走することで親友を刺激して一緒に走ること!

私の親友は東北の大企業○R○日○に勤めていました。

誰もが羨むような職場で入りたくとも入れない大企業…というイメージでした。

きちんと労働時間を守り、土日祝日休みのクリーンな職場…というイメージ。

しかし、その実態は常識では考えられない程の長時間労働や上司からのパワハラ、頻繁に行われる飲み会などなど日常生活すらままならないほどの超絶ブラック体質でした。

親友はそこに入社した時から精神が蝕まれていったのだろう。

頭髪は薄くなり、みるみる老化が進んでいるように思えた。

その内に難病に指定されている『バセドウ病』を発症。

彼は病気と戦いながら長時間労働と上司からのパワハラに耐えていたようだ。

しかし、彼は人の悪口など絶対に言わないし虫も殺せないほどの優しい性格。

そんな実状は本人の口から語られることはなかった。

ただ、仕事のことで悩んでいたことは言葉の節々から感じ取れたし、どことなく元気がないような気がしていた。

悩める彼を刺激して共に競い合って走ることで気分転換を図ったり、病気の克服へ前向きに進んでほしかった思いが私にはあったのだ。

会えばいつもニコニコして、おっとりとした口調が彼の優しい性格を表していた。

お互い忙しくてたまにしか会えなかったが、いつも仲良しだった。

2023年4月12日。

親友はビルから飛び降り、このろくでもない世界から旅立ってしまった…。

その訃報を聞いたのはその日の夕方だった。

警察署に向かい遺族が集まる中、私は呆然としていた。

それから彼の実家へ向かい、初めて遺体と対面した。

ビルから飛び降りた割には顔は綺麗でただ眠っているようだった。

「もういい加減寝たふりはいいよ」と頬に触れたらとても冷たかった。

思えば、なんの血の繋がりもないのに自分の事をよく気にかけてくれて、仲良くしてくれた人は彼だけだった。

年月にしてみればわずか15年ほどの付き合いだったが、これからもっと長く一緒に年を取ってお互いハゲ散らかして酒を飲み交わして

「年取ったなぁ…」

「んだなぁ…」

のような会話をしているものだと思っていたのだ。

葬儀を終えても彼の死を受け入れることはできなかった。

ふとした拍子に

「心配おかけしました〜」

なんて現れるのではないか?とも思っていたのだ。

彼の死は『自死』ではなく、『プライベート上の事故死』ということで簡単に片付けられた…。

これは企業からの申し出ではなく彼の遺族からの申し出だ。

耳を疑ったが、『息子の名誉のため』ということだそうだ。

当該企業としては大した問題にもならず、パワハラした上司にもなんの影響もない。

当然、この死をきっかけに職場の体質が変わることはない。

ましてや同僚なども真実を知らないままだ。

彼の死はとにかく無駄になったのだ。

彼だけがこのろくでもない世界からいなくなってしまった。

私は彼の死をこんなに簡単に受け入れ、片付けることはできなかった。

遺族の意向とはいえ、納得できるわけがないだろう。

こういった事例は企業にしてみれば初めてではないだろう。無論、それ専門の弁護士も控えていると思う。

ただの一般家庭が大企業に裁判で争ったところで勝ち目はない。ただ泣き寝入りするくらいしかできなかった…というところが本音だろう。

だが彼の死が無駄になればまた同じような事例が起きてしまう。

また誰かが犠牲になってしまう…。

そう考えた時、彼の死を無駄にしないために私が走ろうと思った。

有名人ではないしインフルエンサーでもない、自分の人生ですら主役になれない。ただのモブキャラに過ぎない私が走ったところで世界が変わるわけがない。

それはわかっている。

でもここで私が走ることを諦めてしまったら私自身も悲しみに暮れてダメになってしまう。

本来なら、いしのまき復興マラソンに親友は応援に来てくれただろう。

ゴールで待っていてくれたはずだ。その親友はもう、いない…。

せめて私が走ることで親友のことを一人でも多くの人の心の中に残したかったのだ。

それが私が走る理由となった。

トレーニングする時間がなかなか取れないジレンマ…!

私は悩んでいた。

距離としてはたった10キロ。

走り込んでるランナーにしてみればトイレに行くような感覚で走れる距離だろう。

しかし、私にとってはため息が漏れるほどの距離だ。

スポーツ歴なんてない、学生時代は帰宅部として影の人生を謳歌してきたのだ。

それが中年になってから走るなんてとんでもないことだ。

軽トラでGTレースに出るようなものだ。

10キロの距離を走るにはその数十倍の距離を走り込まなければならない。

完走できなかったら

「練習不足で…」

なんて言い訳はしたくないし、後悔もしたくない。

そこで朝4時に起きて走ることにした。

私は基本的に日曜日しか休みがない。昭和の労働体系なのだ。

その日曜日も溜まった洗濯物を片付けるなどの家事で潰れてしまう。

山奥に住んでいるせいで夜は街灯すらない真っ暗な道を走らねばならないし、近所に熊が出るので夜は走れないのだ。

それならば朝早くから走った方が効率がよい。

体力100%の段階から練習できるのだ。

朝4時に起きて7キロ程度走るのを日課にした。時間があればその合間に走る『チョイラン』を取り入れて一日10キロ前後走るようになっていく。

しかし、3月に疲労が溜まっていたせいなのか心不全症状を起こしてしまい丸一日寝込むことになってしまった。

その時は寝てれば治る!と思っていたが実は相当危険な状態だったかもしれない。

それ以来、体力は半分ほどになり、5キロ走ることすら難しくなってしまった…。

それで本来はハーフの部に出るはずが10キロの部に落としたのである。

そこからの練習が苦難の連続だった…。

挑戦することの大切さを教えてくれた人達がいた

ようやく体が動くようになってきた頃、ネットを徘徊していたらチラホラとマスクを付けた人達が目に入るようになってきた。

エル・ササカマ?カモシカイザー?この人達何者?

ちょうどその頃に登米で行われたプロレスの試合を観に行ったのだ。

初めての社会人プロレスの観戦である。

最初はプロレス風のイベントだと思っていたらバリバリのプロレスの試合で驚いた。

これは面白い!!

それから山形のプロレスリングDEWAのタッグトーナメント蔵王大会を観戦。

プライベートでは県外に出たのは数年ぶりである。道に迷いながらも会場入り。

そこでエル・ササカマ選手と初対面。

その試合で社会人プロレスの凄みを知ったのだ。

「どうして彼らは戦っているんだろう?」

それはレスラーや観客たちから伝わる熱気からも感じ取れた。

『プロレスが好きなんだ!』

無論、感じ方伝わり方は人それぞれだ。言葉を介さないからこそ、多くの人にメッセージを伝えることができるのだ。

そして11月27日に行われた石巻プロレス大崎大会。

メインイベントのネブタ・ザ・ドリラー vs KYOHEIの戦いは私の弱っていた魂に火を点けた。

画像出典:石巻プロレス

はっきり言えばネブタ選手より、KYOHEI選手の方がパワーも若さも勝っている。

格上の選手かもしれない。

それでもネブタ選手は敢然と立ち向かい打たれても投げられても何度も立ち上がり勝利への執念を燃やす姿は私の心を激しく何度も打ち抜いた。

ネブタ選手がKYOHEI選手から3カウントを奪った時は思わずガッツポーズを取ってしまった。

このイベントのテーマは『挑戦』

挑戦する姿を見せることでまた誰かが挑戦するきっかけを与えることができるんだと実感しました。

ならば私も、ポンコツな私だからこそ挑戦する意義がある!と決意を新たにした。

その日、人生で初めてハーフマラソンを完走したのだった。

ネブタ・ザ・ドリラー選手
ファイテング原田選手

そして、ネブタ・ザ・ドリラー選手とファイテング原田選手から応援メッセージをいただきやる気がさらに出ました。

いつしかその背中は憧れから追いかける背中になった。

第7回いしのまき復興マラソンの会場に到着!

とにかくやれるくらい練習を積み重ね、万全の状態で臨んだ。

ランニングウェアは全てワークマンで揃えた!

まだスタートまでは時間がある。ここでウォーミングアップをしておこうと2キロ走っておいた。

事故の後遺症で腰の筋肉が固くなると痛みが現れる。ある程度ほぐしておけばスタートから最高速度で走ることができるし怪我もしにくいと思う。

そして迎えた開会式。

地元の人達が獅子舞を披露してくれるが、折り返し地点がある渡波(わたのは)はすでに真っ白になっていた…。

これはヤバいぞ…危惧していた天候が悪くなり霧雨が降ってきた。

条件は最悪に…ピーカンよりはいいかもしれないがせっかくウォーミングアップしていたのに体が冷えてしまう…。

ふと後ろを振り向いたらランニングSNSで交流がある『なめこさん』を見つけた。

この広い会場で会えるとは嬉しい限りで少しご挨拶をした。

初めて対面したがキュートな女性だった。それなのにハーフを走るのだからスゴイ!

私も気合いを入れ直し、スタート位置についた。

最後尾からだ。

(目標タイムごとに並びます。タイムが早ければ早いほど前に並びます。)

目の前にはたくさんのランナー達。

頑張って1時間切りを目指そう。

ふぅ〜不思議な気持ちだ。

まさか自分がこの場所に立つなんて信じられない。

社会人プロレスを観戦してから人生がすごい勢いで回ってきてる気がする。

今までなら絶対に会えない人達と触れ合うことになった。

それが大きなきっかけになったのかもしれない。

緊張はなかった。

やけに静かな、波一つ立たない湖面のような気持ちだ。

一年間の全てをぶつけるのだ。

そして、号砲が撃ち鳴らされ一斉にスタートした。

レース開始!!最初はマイペースで様子見

とにかく人口密度がすごい。

ここで追い越しをかけるのは危険なので周りのペースに合わせて走り自分のレベルを確かめる。

周りには各地のマラソン大会を走った証のTシャツを着ている人達がいる。

私よりも経験を積んだ人達だ。

いわきサンシャインマラソンのTシャツを着ている人もいる。

なによりも

「すごい人!道路走ってる!」

という非日常体験に心が浮ついていた。

心なしかいつもよりペースが速く感じる。足が軽い感じだ。

トレーニングは2日前に切り上げてきちんと休養を得たからかもしれない。

危惧していた腰痛も今は鈍痛だ。これならいけるかもしれない!

最初の難関『日和大橋』へ!さすがに勾配がキツい!

最初に訪れるのがこのレース最大の難所『日和大橋』

とても高い橋で右手には太平洋が望めるレース最大の眺望である。

東日本大震災ではこの高さまで津波が押し寄せたという。

どれほど恐ろしかったことか…。

そして震災直後は幽霊騒動が起きたことでも有名だ。

みんなこの橋に逃げたのだがそれでも…。

他のランナー達のペースが若干落ちてくる。

早くも息が乱れている人もいる。

私は坂トレを繰り返してきたので息も乱れず足もまだ余裕がある。

選手たちのペースが落ちてきたのでそれぞれの間が空いてくる。

ここで最初のペースアップ。一気に数人追い抜きに成功して下りに差しかかる。

下りは逆に速度を落とし膝への負担を和らげる。そしてジョイント部分に着地しないように注意する。

濡れているのでたぶん滑るだろう。

思わぬ怪我につながるかもしれない。

ここから工業地帯に入るが、かなり空気が魚臭い!!

雨模様でこの匂いだから晴れていたら結構キツいんじゃないだろうか?

いや、本当にキツい…私はタバコを吸わないので鼻は結構効くのだ。

若干むせながら走るがここで雨が本降りになってきた。

水たまりに足を突っ込んでしまい、靴の中に水が溢れてしまった。

最悪だ…。

雨の中のランニングは思いもよらない負担がかかる!

ほぼ直線の工業地帯を淡々と走る。

勾配もなく平坦路だ。

しかし雨のため路面は水溜りができている状態。

靴がまるで吸盤のように地面に張り付く感じがして地味に体力を奪う。

そして水分を含み重くなるウェア。

これはかなり体力を消耗する。

幸いなのが気温が高くないことだ。

なによりも辛いのが、私は眼鏡をかけているので水滴が眼鏡に付いて前が見えない!

(自画像では面倒くさいので省いてるが…)

拭こうにも拭くものがない。衣服は濡れているし、指で拭ってもすぐに水が溜まってしまう。

自分の体温で曇ってきて視界は半分くらいしか確保できていなかった。

かなりストレスを感じたが沿道で応援してくれているギャラリーの声に励まされた。

しかし、なかなか忙しくて髪の毛を切る暇がなかったので髪が濡れて垂れ下がり

落武者のようになってしまった!!

なんていうか…うん、悲しい!!

せっかくの晴れ舞台で髪をセットしてきたのにスタートしてからまもなく落武者になってしまったのだ。

ちょうど折り返し地点の手前辺りでトップランナーとすれ違った。

とても速い。

こんな酷い条件でもあの速度だ。

もはや私の年齢では彼らには到底及ばない。

だがここで諦めてしまったら今まで走ってきた努力を無駄にしてしまう。

ランニングは誰かと競うのではない。

今の自分と戦うのだ!

そして折り返し地点へ

折り返し地点へと到達。残りは5キロ!

結構ここまでペースを維持できた。

おそらくは1キロあたり5分前後だと思う。

去年の今頃は歩行速度で10分くらいだった。

あれからここまでよく走ってこれたものだ。

そして、いしのまき復興マラソンに出場するところまで来れたのだ。

あの自堕落で何一つ物事を成し遂げたことのない私がだ。

私の前には私よりもずっと年上のランナーが走っていた。

すごいな…折り返しまでこの速度を維持してきたわけか。

挑戦するには年齢なんて言い訳にしか過ぎない。

人はいつだって挑戦できるのだ。

すでにパンツまでびしょ濡れで肌に張り付くほどだったが、レギンスにしたおかげで抵抗を感じなかった。

本来はジャージスタイルで出場しようと考えていたのだが、少しでも軽量化&空気抵抗を減らしたくてレギンスにしたのだ。

工業地帯は勾配もなくストレートで速度が出しやすい。

しかしここでスタミナを消耗してしまうとこの先にある日和大橋を超えることは難しくなる。

なるべく速度を落とさずスタミナを維持する方向で淡々と走る。

途中に給水所があったのだが眼鏡の曇りのせいでライン取りをしくじり給水所の反対側を走ってしまったので取り損ねた。

特に喉は乾いてはいないのだが、自覚なしに脱水症状を起こしかねないので注意しなければならない。

こればかりは雨に助けられた感じがする。

最後の難関!再び日和大橋へ!!

直角カーブを曲がり嵩上げ道路に復帰する。

そして目の前には日和大橋。

スタート直後の体力が存分にある状態で見るよりも遥かに勾配がきつく見える。

まるでベタ踏み坂だ!!

前を走っていたランナーが続々とペースを落としていく中、私は速度を維持したまま追い越していく。

ここにきて坂トレの成果が現れた。

辛くてとても地味な坂トレ…宮城、山形の心臓破りな坂を走ってきたのだ。

そして頂上に到達し、右手に見えるマンガッタン島(北上川の中洲)を見る。

あの震災から全てが変わってしまった…あの震災がなかったら今頃はどんな世界になっていたろうか。

様々な想いが頭の中を駆け巡ったがゴールは目の前だ。

左手首のテーピングに書いた親友の名を呼んだ。

生きる事を諦めてしまった親友…。

でも本当は生きたかったんだよな!もっと!

真面目で責任感が強くて優しかった親友がこの世界に生きる事を諦めてしまった…。

この世界はクソだ!!

こんなろくでもない世界の中を私は生きていかなければならない。

私が走って走って、親友の名を、生きた証を残していく!

日和大橋を下りて緩やかな右カーブ…ゴールはその先だ。

そして栄光のゴールへ…

この瞬間のために一年間走り続けた。

歩くのもやっとだったあの日からここまで。

これは自分の復活のためでもあった。

最後に残された力を振り絞る!あと少し!

数人を一気に追い抜き、雨と汗が混じった眼鏡の先にゴールが見えた。

その時…!

まるで追い風が吹いてるように体が前に進む。

足が、まるで、自分の足とは思えないくらいに、

軽い!

本当なら、ゴールの先に親友が待っていたはずだ。

あの満面の笑みで待っていたはずなんだ!

ゴールまであと10m…!

残っている体力を完全に使い切る!

全ての力を足に込めた!

近付いてくるゴール…。

あと少しで走るのは終わりだ。

でも、なんとなくもっと走りたいと思った。

みんなと一緒に…!

歓声も大きかったが私は静寂の中走っていた。

自分の心臓の鼓動、吐息、足から伝わる骨の振動だけが聞こえていた気がした。

そして、ゴールのアーチをくぐった時思わずガッツポーズを取った。

終わった…。

その瞬間に足から力が抜けて腰から砕けた。

たった10キロ…でも一年間かけた自分の全てをぶつけた10キロだった。

本来なら、この死力を尽くした姿を見せて親友を発奮させて一緒に練習して来年のいわきサンシャインマラソンは二人で出走するつもりだった…。

でも…親友はもうこのろくでもない世界から旅立ってしまった。

走る目的?

それは…親友が生きたかった時間を、生きた証を一人でも多くの人の心に焼き付けたいと思いました。

それは、私が走る姿を見せて勇気づけられたとかやる気出たとかで他の誰かも何かを頑張れるきっかけになれば嬉しいですね。

いつかはそんな姿を見せられるようになれば…と思います。

雨が降りしきる中、マラソンを走り終えた人達が続々とゴールへ駆け抜けていく。

その表情はとても素晴らしく、その中にも自分がいたのだと思うと胸が熱くなった。

みんな輝いていた。

ラン友のなめこさんも無事にハーフを走り終えた。

あの小さな体にそれほどのパワーがあるなんてすごいな…!

走り終えて…

最後は走り終えた記念撮影。

社会人プロレスラー『ネブタ・ザ・ドリラー』選手のポーズで締めた。

足腰はもはやガタガタ…腰も猛烈に痛くなってきた…。

その時だ。

アナウンスで親友と同姓同名の名前が呼ばれたのだ。

確実にその名は聞こえた。

「なんだ、やっぱり一緒に走っていたんだな…」

と思わず笑みがこぼれた。

交通事故からとても辛い日々を送っていて、満身創痍だったけど諦めずに走り続けてよかった。

とても苦しくて辛くて寒くて…

でも超楽しい一日でした!

一緒に第7回いしのまき復興マラソンを走ったランナーの皆様、運営スタッフ、沿道で応援してくれた人達、全ての人に感謝しています。

とても素敵な一日をありがとうございました。

あんな酷い思いしても

「また走りたいなぁ〜」って思ってます。

後日。

名簿を見て親友と同姓同名を探したが、そういうランナーは居ませんでした…空耳だったのかなぁ。

でも本当に走っていたんだな。

たぶん、きっと。

そして、ここからが私のスタートラインです。

ようやくスタートラインに立つことができました。

次の挑戦は…

11月5日開催の東北・みやぎ復興マラソンにエントリーしました!!

42.195キロ完走目指してトレーニングを頑張りますッッッ!!

また一緒に走ろうぜ!

親友!!

そして完走証…!

WEBから完走証をダウンロードしたら驚愕の事実が!

目標タイム1時間切りを達成していました!

ほんの僅かですが目標達成です。

だがここで満足するわけにはいきませんし、自分が行けるところまで行ってやる!って気持ちです。

第7回いしのまき復興マラソン出場した話を動画にまとめました!

↓コチラです!