なんの前触れもなく奴は現れた!
本当にツンデレな性格で萌えちまうぜ!
何度も捨てられながら何度も帰ってきて、遂には我が家に落ち着いた猫のチャト。よもやこいつとの暮らしが始めるとは想像してなかったぜ…!
実際はこんなやつ。
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本当にツンデレな性格で萌えちまうぜ!
何度も捨てられながら何度も帰ってきて、遂には我が家に落ち着いた猫のチャト。よもやこいつとの暮らしが始めるとは想像してなかったぜ…!
実際はこんなやつ。
秋晴れでの空を見上げていたら白い物体が浮遊していた。
あれは…雪虫だな!?
むむ…ということはもうじき雪が降るということか。
我がマシンはついに生誕21周年を迎えるポンコツだがまだまだ現役だ。冬も酷使するだろうということで物置からスタッドレスタイヤを引き出して早めに交換しておこうと思った。
いつもなら片手でヒョイヒョイ持ち上げていくのだが今年の5月に交通事故で負った怪我はまだ治っていない。そのせいか両手でエッコラエッコラと持ち上げて移動していく。
タイヤを車の脇に設置するまで20分程かかった。私の休日は短い。1分たりとも無駄にしたくない!!
フロアジャッキなど諸々用意して交換作業に取りかかる。
まずはレンチを手に取りボルトに食い込ませる。
フルォォォォッッッ!
ビクともしねぇッッッ!!
5月に事故で爆散した弐号機から譲り受けたタイヤとホイールなのだがボルトが固着して全く動かない。レンチで舐めたらシャレにならん。
仕方ないので単管パイプを持ってきてテコの原理で動かす。
グ…ギギギ…と動いた。そういや5月の交換の時に油も差さずに締めたっけ…。
タイヤハウスを覗き錆などの点検をする。
継ぎ目に錆が浮いてたのでシャーシコートクリアを吹き付ける。
ドライブシャフトブーツにもラバープロテクタントを入念に吹き付ける。こういった地味な手入れが車の寿命を維持することにも繋がるのだ。
タイヤハウス内のアンダーコートもだいぶハゲてきたので吹き増ししておきたいところだがそれはまた次回にしよう。あれはジャッキアップして馬かけてと大掛かりな作業になるので別に予定を組みたい。
ボルトにオイルを差して固着防止をしてレンチで締め上げる。本当ならトルクレンチで適正なトルクで締めるのが理想だが極端に締めすぎなければ適宜ボルトを確認するだけでいいだろう。
あとはジャッキを下ろして最後に空気圧を確認して充填して終了。
今年はあまり雪降らない方がいいなぁ…。
先週土曜日の夜。
世間的には楽しいサタデーナイトだった。私はというと日曜日も返上しての労働があるので気持ちは落ち込んでいた。
まぁ、今に始まったことではない。定期的な休みなんて理想で実際は不定休だ。とても疲れた…このお休みが決まらずになんの計画も立てられない。次の休みはどこかに行こう!という高揚感すら得られないのだ。仕事が入れば何週間も働くスタイルを何年も続けている。
だがせめて人並みに土曜日の夜を満喫するかと仙台まで車を走らせた。ファミレスや回転寿司は家族連れで賑わっている。土日はああいったファミリー向けのお店には近付かないことにしている。賑やかなのが苦手でね。
もしかすると私にもああいう『普通の家庭』が手に入れられたのか?とも思うと寂しくなる。毎日毎日働いても甲斐性もなく自信すら得られなかった。社会の底べで蠢くナマコのような労働者だ。
狭い道に入っていくと暗い道に柔らかい光が灯っていた。
『純喫茶星港夜シンガポールナイト』
もう通い続けて10年以上になる。本当にあっという間だったが当時一緒に来ていた人は誰一人いなくなってしまった。まぁ、私は少し取っ付き難い人間なのだから仕方がないと自覚はしている。
人生において友というものは簡単には得られないものだ。私に手を差し伸べてくれるものはわざわざ底べまで手を伸ばさなければならない。
私の人生はからはたくさんの人がすれ違っていったのだ。人生とは一期一会なのだ。
このお店も風前の灯…
お客さんが来なさ過ぎてあと1年2ヶ月で閉店となります!!
仙台にこんなファンタジーなお店があるなんて知らない人も多いのですよ。メインの通りから外れてるし仕方がないといえば仕方がないのですが、逆にこんな街のエアポケットみたいな場所にあるからこそ映えると思うんですよね。
疲れた人にしか見えないのではないか?
かつては音楽家が集まり即興のセッションが始まったり、三味線教室もあり奥からは生演奏が聞こえてきたりと様々な人が集まりました。それでも仙台での喫茶店経営は厳しいものがあり家賃を払うのに苦労したと思います。
このお店の中だけ時間の流れがゆったりしております。こちらの珈琲はラーメンよりも高いのですがそれすら気にならない程の贅沢な時間を過ごすことが出来ます。
『喫茶店で珈琲を飲むということはその時間も買うこと』
とマスターは仰っておりましてその雰囲気作りにも余念はありません。この独特の空気感はマスターでしか創造することができませんね。家具なども季節によって少しずつ変えているのです。
新作の『カモミールミルクティスペシャル』です。表面にはほんのりホイップクリームが添えられておりお洒落な雰囲気です。
香りがすごく良い~♪カモミールってだけで香りがいいのにクリームとの相性も良く今まで飲んだことのない不思議な味になってます。疲れが…フゥと抜けていくのを感じます。
マスターには元気で末永く営業してもらいたいと思っている。だから一人でも多くのお客さんが来て欲しい。仙台から純喫茶星港夜が無くなるのは大きな損失だと思う。コメダやスターバックスでは得られない貴重な人生の時間が無くなってしまう気がして…。
現代人は忙し過ぎると思う。本当の意味で物事を深く考えるボーッとした時間なんてないのではないだろうか?
片手にはいつもスマホやタブレットを持ち常に情報をえている。その中には人生に必要ないものもある。
情報過多で自分で情報を選べる時代だが、たまにはこうして古い物に囲まれて時の流れに思いを馳せるのも良いのではないだろうか?
これまた巷で噂のティラミス。こういう空間でこういう洒落たものを食べるなんて最高の贅沢ではないだろうか?
さて、スプーンでひとすくい…。
美味しい……ただひたすらに美味しい…この優しい甘さがたまらない…!でもこの美味しさで660円(ドリンクとセット必須)は安いと思う。この時間は今しか手に入れることができないのだ。
雑誌にも掲載されているのだが足を運ぶ客は少ないみたい…逆にこんな喫茶店が本当に実在しているのかと疑わしくもなるのか?
或いは敷地が高いという感じだろうか?
コロナ以前は毎週入り浸り珈琲1杯で何時間も居座ったが決して客足は多くはなかった。3時間も居て客が1人も来ない時もあった。
その静けさがよかったりもするが経営は決して思わしくはないだろう。
時の流れを感じるという贅沢を堪能してもらいたいものだ。
こうしてまったりと過ごしていると店のドアが開いてかつての友が入ってくるような気がするのだ。
現在は不定休となっており営業時間も客が来ないとなれば早めに店を閉めてしまいます。
訪れる際には事前に連絡をするか公式ブログで確認するとよろしいかもしれません。
私は運命に委ねて店が開いてれば
運命に出逢えたと思いたいですね。
昨年の今頃は超サイヤ人目指して体鍛えていたんだよな…。
体を鍛えるきっかけは肥満による脂肪肝が深刻で体調を崩したことだ。遡ること4年前…。
『今のまま進行した場合5年生きるかどうかわかりませんよ?』とお医者さんに宣告された。怖いのは脂肪肝からの肝硬変だ。
おいおい、酒を呑んでないのに…ましてやラーメン評論家よりも全然ラーメンも食べてないのにどうして肝臓に脂肪が付くのん?しかも貧乏でご飯も腹一杯食べるのも稀なのに…。
私は絶望した。あと5年の命なの?死ぬの?でも絶対に死ぬわけじゃない。確定した未来ではない。
私は幼少の頃、あまり体が丈夫ではなかった。というのも授乳期に両親が不仲であり母乳を満足に飲ませられなかったらしい。そのせいか体は弱く、一年中風邪をひいては小児喘息(大人になってから判明)で運動もままならなかった。
視力が弱かったのもそういう原因があったのかもしれない。視力に関しては20歳になるまで自分の目が悪いことはわからなかった。つまり、自分の見えている世界が普通だと思っていたのだ。
20歳で自動車免許を取得するために眼鏡を購入し見た世界は初めてのものだった。ありとあらゆるものが鮮明に見えるのだ。あまりの美しさに頭が痺れたのを覚えている。
本来ならば親が気付くべきことだったのだが、親父は私のことに興味を持たず家には殆どいなかったし、母は物心ついた頃には離婚していなかった。
私は人を愛することもわからないし、愛され方もわからないのだ。結局孤独な人生を歩んではいるが最もそれがストレスを感じることなく気楽に生きていけるものとなった。一抹の寂しさを感じることはある。
だが普通に生きてみたいとも思うし羨ましくも思う。
友人と絡むのも少し苦手だ。ん?友人っているかな…。誰かといるとそれがストレスに感じてしまう。集団になると尚更。自分だけが浮いてしまって周りとの温度差を敏感に感じてしまう。所謂HSPってやつだが自分の特性を知ることができて安心感を得ている。
孤独時間を利用して創作に励んだり、筋トレにハマりこんでそれなりに充実した日々を送っていた。肝臓の数値も落ち着き何となく人生が面白く感じていた。
その矢先に起きたのが今年5月のプリウスミサイルを受けての事故だ。
私は何にも違反してないのにいきなり突っ込まれて車は大破、私は重傷を負った…。
全てが最悪の環境だった…。かかった病院がヤブ医者でまともな治療もしてもらえない。何故か私が3割過失を課せられた。加害者がドラレコが無かったことをいいことに過失を認めなかったからだ。長引くのが嫌でその過失割合を飲んだが当初は5:5と言われ絶句したのだ。
だが今にして思えばそれは保険屋のやり口なんだろうな。有り得ない過失割合を提示してひと揉めしたあとである程度譲歩した過失割合を提示することで合意を得るのだ。
事故から数ヶ月は地獄の日々。痛み止め飲んでも痛くて寝れない。
ようやく最近になって歩けるようになってウォーキングを始めたのだ。
でもなんかスッキリしない日々が続いていた。鬱憤が溜まるというのかな…まともに動かない体に苛立ちを覚え、ちょっと遠くに行ってみるかと向かったのは女川だ。
既に日は落ちかけていた。人の姿はもうない。
商店街は間接照明などが点いて優しい雰囲気だ。なんか心落ち着くなぁ。どこからか音楽も聴こえる。
昔の女川からは想像つかないよね。昔の女川は本当に漁師町で狭い範囲に家が密集してて生活感溢れる町だったよ。
女川は確実に新しい町に生まれ変わったのだ。でも変わらないものがあるんだよな。
なんだろう…新しいのに懐かしいんだよね。
女川に初めて来たのは22歳の頃かな。当時付き合っていた彼女と来て海鮮丼を食べた思い出がある。あの時食べたのはいくらとウニの二色丼だ。
マリンパル女川の展望デッキに登って夕焼けに染まる女川の町を見下ろしたっけ…。
彼女はその年に交通事故で急逝してしまった…。あれ以来私にとって女川は思い出の町の一つになった。
あの時の彼女とまた会えそうな気がしてね。
あれから歳を取って、この町を一緒に歩きたかったな。手を繋いだりしてね。
決して癒されぬ喪失感を抱えたまま今日まで生きてみた。
およそ希望なんて持てないと思っていたけど、こうして女川に足を運び過去に出逢えた人に再び逢いに来れるのだ。
今は歩こう。ひたすら。
思い出だけで生きていく。
落ち込んでるだけの日々だって明日はやってくる。毎日楽しくはなくとも過去に思いを馳せるのも人生じゃないか。
私は今日も生きてみた。明日もきっとそう。これからも。
この日の歩数は12000歩を超えた。
日曜日は自然覚醒だ。とても気分がいい。
ヒャッホー!最高だぜ!
ホリデーハイで目覚めた朝は活動的だ。とりあえずシャワーを浴びてシャキッとする。
なんていうかさ、日曜日って良いよね♪
腰の痛みを引きずりつつ身支度を済ませると車に乗り込む。向かうは…
『支那そばや石巻』さんです。
もうこのブログでは何本挙げたか本人もわからないのですが…二週間ぶりに訪れました。
なぜなら先週は私は休みがなかったからです…。日曜日頑張って仕事したにも関わらずクレームがあって激凹みました…。
疲労と神経衰弱で…てか先月からずっとそういうお仕事してていつもしんどい現場ばかり任される。楽してる人はとことん楽してるのにね。
お店に到着すると既に何人か並んでいる。さすがは不動の人気店。あの味を求めてやってくるのだ。
今日は少し迷った。ワンタン麺にするか…と。
でも結局は 貧乏なので いつものかけらーめんにした。味たまトッピング。
私はあまりごちゃごちゃ具が入ってるのは好きではないのです。 貧乏なので…
開店と同時に着席。何となく位置的に定位置になっているような気がする。
厨房では既にらーめんが作られており手際よく提供されていく。らーめんを食べてるお客さんの顔をチラッと見るとみんな美味しそうに食べてる。なんか良いなぁ、こういう空気感。
二代目店主さんは真剣な眼差しで麺上げをしている。その姿に凛々しさを感じる。まさに職人気質というものをヒシヒシと感じる。
厨房の壁には創業者佐野実氏の写真が飾られている。腕組みをして厳しい表情をしている。
それはきっと自らの弟子達に向ける眼差しなのだ。
『俺のらーめんを不味くしたら承知しないぞ!』という厳しさを感じる。
かけらーめん大盛り+味玉
もう今年は何杯も食べたはずなのにすごく懐かしい感じがする。なんていい香りなんだ…。
そしてこのビジュアル…う、美しい…シンプルに美しい!
複雑な旨味が絡み合うスープは決して塩分に頼ることない優しい味。毎度毎度このクオリティのスープを安定して作るのは相当神経を使うと思う。
麺は全粒粉入りのストレート細麺。もう今年は何キロ食べたかわからないくらい食べた。私の体の三分の一くらいはこの麺でできてるんじゃないかってくらい食べた。
いくら食べても飽きないのだ。食感、舌触り、香り、喉越し、どれをとっても好みに合っている。
啜ると目を瞑り視覚を遮り口の中へと神経を集中する。まるで絹のような舌触り。塩の時とは違う食感である。
もし水戸黄門がこのらーめんを食べたらあまりの美味さに諸国漫遊を辞めて石巻に永住するのではないかと思うくらいに美味い。天下の副将軍も唸りを上げてうっかり八兵衛も夢中になるに違いない。
佐野実方式でレンゲを使わずに食べたりと楽しんだ。
味玉も黄身の中心部はトロ~リ、外周部は茹で上がり状態で最高の状態。白身はプリプリでしっかりと味が沁みてる。
完食ッッッ!!
ご馳走様でした~♪
いやぁ、本当に美味しかった…もう感動だね!
千円未満で手に入る贅沢な幸せ♪
私は美味しいものを『美味しい』としか書けない人間ですが、ふと思うのは誰かの仕事に触れるということはとても大切なことなんだなって。
普段我々の生活は名前も顔も知らない多くの人達の仕事によって快適に送れてるんだなって感じます。
残酷なようだけど美味しいものを作るためには鳥も豚も牛も魚も殺さなければならない。自分が生きるためには何かの命を奪わなければならない。
どんな綺麗事を抜かしても何の命も奪わずに自分が生きることはできないのだと感じてます。
頭が悪くて上手く説明出来ないのですが、そういう負の部分を担ってる人達がいるから私は心に何の負担も無くお金を出すだけで美味しいものを食べることが出来るのだと思ってるんです。
そう思うと自分の仕事だって誰かの負担にならずに済んでると思うと頑張ろうって気持ちになるんですよ。それがどんな汚れ仕事でも…。
今年も残り僅か!また来ようっと♪