月: 2021年3月

ロンリーサンデー

日曜日。

目覚まし時計に急かされることなく自然と目が覚める。

外は白い曇り空…少し残念だな。

やや腰痛気味の体を起こして着替える。

最近の日課になっている朝の散歩をする。

誰もいない観光地の松島。


澄んでいる空気。

静かな環境。

波も無い松島湾は美しい。

時に走ったりして体を目覚めさせていく。


いつもならいたずらに過ぎていく時間を堪能する。全てが愛おしい。

ああ、いいなぁ、日曜日!

やっぱりこれだよなぁ…のんびりしてて。

高い場所に行き空に近付こうとした。


より空気は澄んでる気がする。深呼吸して空に手をかざす。

生きてる。私は生きてるんだ!

ふと見下ろすと町がある。たくさんの人が生活をしている。

何となくだけど、このまま時間が止まればいいのにって思う。

ちょっと20代、30代は鬱に悩まされ自分という存在を抹消したいと思っていた。

死にたいんじゃなくて消えたいって感情。
つまり、最初から自分という存在が無かったことにしたいということ。

人間というのは面倒くさいものでただ死んだって意味もなく金もかかって損をしてしまう。

では生きるってなんだろう?って考えたら

『毎日死にたい消えたい』って思ってる奴が生き続けることに意味があるのではないか?

と思うようになったこと。

でも私は生きながらにして死んでるのと同様だと思う。ありとあらゆる関係を断ち切って孤独に徹している。

誰かと繋がりを持たない気軽さと人と接するプレッシャーのジレンマはあるけど…。

正直しんどい時もあるよ。
全て自分の中で解決しなければならないから。

でもね、これ以上誰かと関係を持ってまた切れるのが耐えられないというか…いなくなるなら最初から繋がりなど持たない方がいいと思ったんだ。

独りで過ごす日曜日…今はただ心は穏やかだよ。

大和町吉岡の名店『食事処いな穂』

最近多忙を極めいろいろと『人間らしい』ことがまるで出来なかった。

平日はトレーニングに没頭し創作も何にも出来やしない。
おまけに時短営業とやらで残業をして帰る頃には飯を食う所が無い…わけでもないか!

というのも私は今は食事制限中で1日

『一本満足』

だけで生活しています。

5本くらい食わないと満足出来ねぇ…。

たまにストレス解消に外食してもいいっか!!

と早速向かったのは大和町吉岡である。

そこにある

『満福食堂』さんです!

が!

休みでした……orz

マジかぁ…早速夕食難民になりました…吉岡は結構飲食店はあるんだけど遅くまでやってる店が無いんだよなぁ…と頭を悩ませていたが困った時はあの店だ!!

と向かったのは町役場前にある

『食事処いな穂』さんです。

私はこの店好きなんですよ~定食とかボリュームありまして安いんです。

全体的に油っこいのが多いんですがガテン系の兄さん達は大喜びで食べます。

ちなみにこの店は営業時間は決まってなくて早く閉めたり遅くまでやってたり結構曖昧です。
基本的に食材が尽きたら終わりだそうです。

お昼時は本当に混みます。
店主の料理人としてのスキルはすごく高くて混雑時でも提供は早いです。
早いですがボリュームがあるので食うのに時間がかかるので結果回転が悪くて待つこともあるかもしれません。

しかもこの店は吉岡では貴重な
『油そば』
を出してくれる店です。

あの名店ぶぶか直伝の油そばで私も好きでよく食べます。

で、メニューを拝見。


普段なら唐揚げ定食でいきたいところですが、現在は体を絞っているので揚げ物は控えたい…特に唐揚げはやばいです。

私は唐揚げが世界一好きな料理で食えば食うほど腹が減る不思議な食べ物なんです。

今回は今まで食べたことがない醤油ラーメンにしました。

なんでも旭川の醤油ラーメンを独自にアレンジして作り出したラーメンだとか。
お金もあまり持ってないのでこれでいいかな。

五分くらいで着丼!!

ビジュアルはなんか高速SAのフードコートチックでいいですね!

あ、これは褒め言葉です。

麺は特に特徴のない…普通の黄色麺ですね。何となくサッポロ一番みたいな感じ。

さて、スープをまず…ズズズ…。

あ、実は私は旭川ラーメンを食べたことがないんですよ!!

小樽から旭川ってめちゃくちゃ遠いからね!

で、味はやや甘めなスープ。ガツンと来る味でもなく優しくマイルドな味わい。
麺は細麺だけどサッポロ一番くらいの太さ。これも適度な太さでこのスープに合ってる。

なんだろう…すごく安心する味!

語弊はあるかもしれないが『気安い味』かな。
こういうのでいいんだよ~って気を張らずに食べられるラーメン。飽きない味。

だけど残念ながら他のメンバーが豪華過ぎて目立たないのがね。
でも個性が強すぎる故にたまには原点回帰するかって時はこの醤油ラーメンを選択したいな。

次回は看板メニューの『いな穂ラーメン』にチャレンジしよう!

また来ようっと♪

 

 

アルトCのタイヤがパンクしたンパ!

朝起きて朝食を済ませて珈琲を飲みながら車を眺めていたら異変に気付いた。

んん?なんか斜めチックじゃな~い??

よぉく見ると…あらら?

タイヤがパンクしてやんの…。

どうりで最近ハンドリングに違和感があったんだ。空気圧が足りなかったんだねぇ。

幸いにもアルトCは休日用のマシンなので通勤には影響無し。

しかしこのタイヤ買った時から付いてたやつだから相当古いよねぇ…って年式見てみたら2006年だったわ…よくこのタイヤで高速とか走ってたなぁとか後から怖くなった。

いくら耐久性が良くなったからと言ってタイヤは一定周期で交換しなきゃね…。

次のタイヤはレグノです。

レグノは本当にいいタイヤ。軽だからそんなに大差は無いだろうと思いきや静粛性がまるで違う。
高速域におけるレーンチェンジも大変スムーズで安定しています。
ただ少し段差を拾うかなぁ…。結構衝撃が強い。
あとは結構価格が高い。値段相応の性能なのですが最安値で4本二万も出せば割といいタイヤが買えるので4本で七万近くなるとさすがに躊躇する。

低燃費になるかと言うと実はそんなに低燃費の恩恵は受けていない。幅が広くなるので相殺される感じかなぁ。

いずれにしても突然のバーストではなくて安心でした。

交換する暇がないんだけどねぇ…次の休みまでしばらくこのままです…ホイールはどうせジャンク品になるし…。

タイヤ交換ついでにホイールベースや下回りの防錆塗装をしたいしね。
まだまだ大切に乗りますよっと♪

九州の味うまかっちゃんを食す!

コンビニで変わったものを見つけた!

東北じゃ絶対にお見かけしないインスタント袋麺の『うまかっちゃん』である。

うぉぉぉぉ!?マジか!?

袋麺において三本の指に入る美味さと評判だが東北では見る機会はなかった。

地域限定なんて夢でありロマンだ!

例えばどん兵衛なんかは東と西で出汁が違う。
名古屋のソウルヌードルといえばスガキヤだ。

東北にいながら他地方の麺が食べられるなんて素敵じゃないか!!

私はなけなしの金を払って速攻買った。これは買わねばならぬという使命感が働いたからだ。

帰宅し早速調理にかかる。

丼を取り出し麺を開ける。
お湯を沸かし、麺を入れた丼に注ぎラップをかけレンジで500wで二分でチン!

あーっちちちちちゃーっ!!ほぁっちゃーっ!!
丼が激アツい!!

粉末スープと調味油を入れてかき混ぜ、予め準備しておいた刻みネギをふりかけて完成!!

ウホッ!ビジュアルはめちゃ美味そう!

麺は至って普通のインスタント麺。

さてスープを1口…ズズズズ…。

う、美味い!コクがあってあっさりした豚骨味だ。臭みも少なくて美味しいぞ!

王道の袋麺の味だ。これは好きだな!
いくらでも食べられる!

こういうのでいいんだよ!うまかっちゃんうめぇーっ!!

これまた買おうっと♪

入手したのは米山町のセブンイレブンです。

セブンメルシーの向かいの店ね!

 

哀愁の釜石ラーメン

全線開通した三陸自動車道を走り宮古まで行った帰りに釜石へと立ち寄った。
釜石は私にとっては心の故郷だ。

既に時刻は17時を回っていたために果たしてやっている飲食店があるかどうか…最悪イオンでもいいだろうと街を走る。
釜石のメインストリートである大町を走ると目に付いたのが赤い看板。

『新華園本店』である。

懐かしいなぁ…若い頃によく食べたよ。
元祖釜石ラーメンというとこの店かな。

店の中には地元の方と思しきお客様がいた。

メニューを見ると…結構種類あるなぁ。でもここはオーソドックスにラーメン半チャーハンでいこう!

10分ほどで着丼!
んん~…いい香りだ。王道のあっさりスープに縮れ細麺が釜石ラーメンの特徴。

釜石は漁師町でせっかちが多いから茹で上がりが早い縮れ細麺になったとか。

なるほどこの細麺ならすぐに茹で上がる。

 半チャーハンはかなり残念な量…幸楽苑よりも少ない…美味しいけど。

ラーメンは最後まで飽きずに食べられる味わい…。

ラーメンって思い出の味なんだよなぁ…子供の頃に家族で食べた味…。
それが強烈に記憶に残っててそれを追い求めて食べてる気がする。
あと若くて多感な頃にいろいろあって食べた時の感情を呼び戻すためとか。

何を言ってるのかよくわからなくなってきたがラーメンってそういう食べ物の1つであると思うんだ。

美味しかった!また来よう!

【悲報】プラスチックスプーンも有料化へ!?

元記事 スプーンを有料化すれば持ち歩く人が増える!

レジ袋に続きプラスチックスプーンも有料化になるそうです。

小泉環境相「プラスチックスプーンを有料化すれば自分で持ち歩く人が増える!キリッ」

スプーンを持ち歩く人なんている?マイスプーンって…。
自分でスプーンを持ち歩いてるのはユリ・ゲラーくらいのものじゃないの??

働かない議員も問題だけど働く無能も考えものだぞ!?

いや、てか誰か身近で「それはちょっとやめとけwww」って言ってくれる人いないんですかね?

次は割り箸も有料化になりますよ。

何でもかんでも悪にしないでほしい。それらを作って生活している人もいるのだから。

それよりもマイナンバーカードを使ってリサイクルに協力した場合ポイントが貯まって地域振興券とかに交換出来るシステム作った方が良くないか?

つまり、プラスチックゴミ専用のリサイクルボックスを設置して重量に応じてマイナンバーカードにポイントが加算されていくシステムで、入れるゴミに関しては拾ってきたものでも構わない。材質を自動で検出するシステムを作る必要はあるけどそれは誰かが作ってくれると思う。
それが確立されれば地域のプラスチックゴミが無くなる上に地域振興券によって地域の経済活動にも繋がる。100%リサイクルによって火力発電の燃料として使える。
財源はどこから?という問題は後から考えるとして…

重要なのは出てしまうゴミをいかにして不法投棄を少なくすることだと思います!

こういうシステムが出来ればお小遣い稼ぎとしてゴミ拾いとかあるかもしれませんよね?

 

3.日本が揺れた日

水が無い!

これは深刻だった。
だが、ご近所に生活で使っている井戸があったのでそちらを借りれば良いかと思っていたが夜の内にたくさんの人が訪れ水を汲んでいった。
翌朝には井戸が枯れて水が無くなっていたのだ。

深夜になれば幾分人は減るがひっきりなしに訪れる。
今までこんなに人が訪れる場所ではなかったし、井戸があるなんて知らない人も多かったはず。

とりあえずその日は寒くて体力も回復していなかったので家の中に引きこもっていた。
前の日に購入した豚肉は雪の中に隠していたのだ。
それを石油ストーブの上に置いたフライパンでジリジリと焼いて食べた。

時折揺れはしたが体の疲れはピークに達していてその場で横になった。

目が覚めると外は既に暗くなっていた。結構長い時間寝ていたようだ。
ペットボトルを持ち井戸に向かうがまだ多くの人がいた。

もう1箇所山の湧き水が出ている場所がある。そこは飲める水だが噴出量が少なくてペットボトル一つ貯めるにも時間がかかる。それでも背に腹はかえられぬと向かうと誰もいない。
幾つかペットボトルに汲み家に持ち帰り喉を潤した。

たったコップ一杯の水がこんなにありがたいとは…。

その日はまた横になり体力の回復を待つことにした。

翌日には役場に出かけ情報収集してると給水車が来るという情報を得たが肝心の場所がわからない。役場の人もわからないという。

これにはやや混乱したが多少の水の蓄えがあったので焦らずに済んだ。夜になればまた水を汲みにいける。

だがどこから情報を得たのか夜になるとその湧き水が出ている所に長蛇の列が出来ていた。
ペットボトル一つ汲むにも何時間と待たねばならない。

だが異変が起きていた。肝心の湧き水が濁って泥水になっている。余震で水脈が変わったのかもしれない。

しばらくは水無しの生活だったが頭は洗いたいとシャンプーで泡立て近くの小川で流した所頭の血管がブチ切れるのではないかと思うくらいに冷たかった。

あれから何かをしていれば気持ちも落ち着くだろうと水を高齢者宅に届けるボランティアをしていた。
自分にできることはこんなに小さいことだが高齢者には大変感謝された。

「神様のおかげだァ…神様に感謝せねばぁ」
って水を運んできたのは私なんだけどね…。

それから復興事業に関わり8年目にしてその役割を終えたが復興はまだ終わってはいない。

あれからもう10年…

まだ10年…

そしてこれからも…。

2.日本が揺れた日

酷く疲れていた。
重い体を引きずり散らかった家財道具を部屋の隅に追いやり寝る場所を確保する。
何かあった時に逃げやすいようにリビングで寝ることにした。

3mの津波はどうなったろう?
とにかく今は寝よう…と布団を被るとまた緊急地震速報が鳴った。そして激しく揺れる。家は軋み地面からは不気味な地鳴りが聞こえる。

「う、うわぁ…」
全く寝付けない。とにかく何度も揺れる。何度も緊急地震速報が鳴る。
朝まであと何時間だ?今何時だ?
震えながら寝ようとしたが眠れない。

そして、耳を疑う言葉がラジオから聞こえた。

「荒浜付近で2、300人の遺体が発見されたようです!」

もう日本は終わりだと思った。ただ絶望した。
このまま朝を迎えることが出来るだろうか?

朝起きたらいつもの日常で実はこれは夢でした~なんてならないだろうか?

全く眠れないまま朝を迎えた。
部屋の中にいても息が白くなる。相当な寒さだ。

明るくなって家の点検を行う。基礎や外壁に亀裂が入っている。家屋も斜めになり惨憺たる光景だ。

電気はまだ復旧していない。水道の蛇口を捻ると水も出ない…これはまずいぞ。

そしてこの寒さだ。我が家は全て石油ファンヒーターに替えてしまったため電気がないと暖も取れない。

ラジオからは徐々に被害が明らかになってくる。だが女川方面と連絡が取れないということだ。
情報収集のために役場へと向かうととんでもない人集りが出来ていた。さすがに中に入るのも躊躇う。
役場の人は混乱の中対応していたが未曾有の災害でマニュアルもない中で奮闘していた。

津波被害に遭った区域は立ち入り禁止になっていた。まだ水もひいてないようだ。

後に津波は3mどころではなく6~10m…それ以上の高さにまでなっていた。
情報が錯綜していた。

役場の掲示板には手書きのメモ用紙がたくさん留められていた。どれもが家族の安否や行方の情報提供を募っていた。

その中には知っている人の名前が多数出ていた。

時折繰り返される余震に震えながら食料を確保するためにスーパーに向かうが人集りが出来ていて店舗の中まで進めない状況だ。
何分昨夜から何も食べてないのでここで体力を消耗する訳にはいかないだろう。夕方になれば落ち着くはずだと一旦家に戻り後片付けをすることにした。

電気も無い水も出ないとはこんなに不安になるものかと痛感した。

幸いながらトイレは簡易水洗だったので風呂の残り湯を使えば流すことが出来た。
ストーブは近所の方が石油ストーブを持っていたので一機借りることが出来た。
とりあえず上に鍋でも設置すれば簡単な料理をすることが可能だ。

午後に再びスーパーに向かうが相変わらずの人込みだ。
ここまで来たならと我慢して並び店舗で買い物を済ます。多少タンスに現金を置いてたので重宝した。
この状況ではクレジットカードも使えない。

スーパーではカップ麺は軒並み品切れ。
あとウイダーinゼリーのような部類も無い。あるのは野菜と多少の肉だけだ。

肉に関しては停電で保存が効かないことから敬遠したのだろう。
とりあえずカゴに肉を放り込む。今はスタミナが必要だ。
飲料水も全滅していた。ペットボトル関係は全てない。
菓子は多少残っていたので喉が渇くだろうが少しだけ買っておいた。

レジに長蛇の列でなかなか進まなかった。なによりも暗い中店員さんが電卓を叩き会計していたのだ。

これでは進まないと私はバッテリーが残り少ない携帯電話を取り出し店員さんの手元を照らした。

「本当にありがとうございます!貴重な電気を·····」

そしてその中に息子が帰ってこないと嘆いている女性がいた。
情報では仙石線は津波の影響を受けて電車ごと流されたことを知っていた。

女性の息子はその電車に乗っていたというのだ。
偶然にもその電車に乗り合わせたという知り合いの男性がいた。

「ああ、その電車に乗っていた人達なら全員避難して無事なはずだよ。今は近くの避難所にいるんじゃないかな?」
と聞いた途端に女性は泣き崩れた。

「ありがとうございます!ありがとうございます!!」
嗚咽を漏らしながら何度も男性にお礼を言う。
家族の無事を知り安心したのだろう。

誰も不安に晒され押し潰されそうな状況にいたのだ。

携帯の画面を見るとまだ電波は繋がってないらしい。

また不安な夜を迎えることになる。

続く

日本が揺れた日

2011年。3月11日。午後2時46分。
マグニチュード9.0。最大震度7を記録する東日本大震災発生。

その日私は仙台で仕事をしていた。

脚立の上で作業をしていたら緊急地震速報が鳴った。
この時はまだ緊急地震速報が導入されて間もない頃だったので大した事ないだろうと思っていた。

ところが地鳴りと共に激しく揺れ始めたために近くで作業していた人に逃げるように叫んだら背中を丸めて逃げ出していたところだった。

「早っ!?」
と私も脚立から飛び降り建物から逃げ出した直後にドーン!と隕石でも落ちて来たような衝撃と共に今まで体験したことが無い凄まじい横揺れが襲ってきた。
立っていられない程の揺れだ。

建物を見るとRC造にも関わらず豆腐のように歪んで揺れている。
近隣の家電量販店のガラスが割れて崩れる音がし煙が上がり始めた。

ただならぬことが起きたのだ。

すぐに速報が入り携帯の画面を見ると目を疑った。

──高さ3mの津波に注意

高さ3m!?たった1mの津波でも女川は冠水したのだ。3mも来たら無事では済まない。

「3mがぁ…おらい(自分の家)もうダメだなやぁ…」
石巻に住んでいる職人さんが項垂れていた。
それから混乱のまま各々帰宅することになった。

既に道路は渋滞が発生しており街は停電して信号機も機能していなかった。
誰もが同じ思いだったと思う。

早く家に帰って家族の無事を確認したいと。
渋滞にも関わらずそれぞれが順番を譲り信号機が無くても適度に流れていた。

直感的に海沿いや川沿いは危険だと思い、かなり遠回りして山沿いを走っていった。

この日の帰りに給油しようと思っていたので車の燃料は残り僅かしかない。

たどり着けるのか?
信号機も無い一本道の山道にも関わらず長い車列が出来ていた。
車のラジオから信じられない報道がされていた。仙台空港に津波が押し寄せたのだ。

「車が…津波に押し流されていきます!恐ろしい…光景です!」
アナウンサーの僅かに震えながらも冷静に伝えようとする悲痛な叫びが異常事態を伝えるには十分だった。

隣で携帯のワンセグを観ていた同僚が呟いた。

「ああ…もうダメだ…」

その日、3月にしては異様に気温が低かった。とても寒い…小雪もちらついてきた。風も冷たい。

携帯の電池を見ると残り僅かしかない…充電をしておくべきだったと後悔しながらも温存のために電源を切った。どうせ通信も途切れていたのだ。

「おい!やばいぞ!」
同僚が指差した先の橋の継ぎ目が20~30cm程の段差が出来ている。地盤がズレたのだ。

登れるか?
ゆっくり進み若干擦りながらも段差を乗り越えて無事に通過。
脇の駐車場等は地割れどころの騒ぎじゃない。まるでゴジラでも歩いたあとのようにアスファルトが隆起しめくれあがっていた。

会社の駐車場に到着すると車がズレてあさっての方向を向いていた。これだけ揺れたのだ。
車に乗り込みいつもの通勤路を走るが渋滞で思うように進まない。私の車にも燃料は僅かしか入っていない。当然ながらガソリンスタンドも閉まっている。
日が傾き山の影になると一気に暗くなった。

渋滞を回避するために脇道に迂回していくとヘッドライトの照らされた先に水が見えた。道路が冠水している。津波が到達したのだ。

「え?ここまで水来る!?」
後にも先にもあの道路が冠水してるのを見たことがなかった。海からは多少離れてはいるもののその距離を超えて津波が来たのだ。
フルブレーキかけるも間に合わなくて前輪が水の中へ飛び込んだがすぐに後退して事なきを得た。
諦めて再び渋滞の列に加わった。

家に着いたのは陽が完全に落ちて暗くなった頃。
本当に暗い…こんなに暗くなるものか。自分の手すら見えない程に暗い。
真っ暗な家の玄関を開けると家財道具が散らかっている。
足の踏み場もない。

リビングに入ると親父殿が猫を抱えて座っていた。
「おお、無事だったか!?」

電話も繋がらずに不安だったが無事を確認して安心した。

だが本当の戦いはこれからだったのだ。

続く

スーパープラチナム日曜日は気仙沼の旅!

スーパープラチナム日曜日を迎えた私はすこぶる上機嫌で目を覚ました。
なんて言ったって週一しか休めない超ド底辺労働者にとって日曜日は何事にも変えがたい大イベントだからだ。

まず日曜日の始まりは朝のランニングから始まる。

私は住友生命のバイタリティをやっているので保険料を安くするために一日の歩数を稼がねばならない。

これについては多くの不満があるがとりあえず続けている。

ランニングするにあたって風光明媚な松島へと向かう。

朝日を浴びながら景色を楽しみ走れば健康にもいい。

とても良い景色と朝の澄んだ新鮮な空気。日曜日ともなれば車の排気ガスも少ない。

砂浜に車を停めて林道をランニング。とても気持ちが良い…のだが、どうも過度な運動が祟り坐骨神経痛を発症してしまい微妙なフォームで走っている。

多分動かないよりは動いた方がいいかもしれないと運動し続けているが悪化しているような気がする…。

何よりも歩数を稼がねばならないのだ。

バイタリティは最高12000歩で最高ポイントの60ポイントを得ることが出来る。8000歩以下は0だ。
ゴールドランクになるには24000ポイントを貯めなければならない。

60×365=21900…ん?

1年間毎日12000歩歩いても足んなくね???

でも現実問題として社会人が仕事終えてから毎日1時間~2時間歩くってなかなか無いよなぁ…。

ランニングを終えた後は定番となりつつある
『支那そばや石巻』さんで早めのランチ。

塩かけラーメン大盛り

いやぁ、このマイルドな塩スープは絶品。そしてストレート細麺がベストマッチ!
舌に絡まる複雑な旨みがたまらないね。

店主さんから味玉をいただきました。

スープまで完飲し朝のランニングの成果は帳消しになりましたね。

店を出て空を眺めるとどこまでも青い空。雲一つない。

これなら気仙沼に行ってみよう!
三陸自動車道が宮城県では全線開通したのだ。

石巻港ICから乗り込み一路気仙沼へ。

さすがに日曜日だ。いつもよりも混んでいる。ましてや全線開通してからの初めての日曜日。

こりゃあ、法定速度マンもいるだろうなぁ。
長旅になるのでここで思いっきって100kmまで加速。

実は三陸自動車道は過去最高速度70km時代がありましてその癖で80kmくらいでしか走ってないのですよ。

ギュンギュン加速していくが80kmくらいで頭打ちに…あれれ?

アルトCはターボ車なんだけどロープレッシャーターボなので高回転はスッカスカなんですよね。
日常使いに特化してるので低回転から中回転域はフラットだが力強い加速をするけど高速は苦手。

ようやく100kmまで加速すると車体がフワフワして気持ちが悪い。三陸自動車道は結構路面状況が良くない。橋の継ぎ目付近に穴が空いてて脳天まで突き抜けるような衝撃と共にCDが音飛びしたのだ。信じられん…。

その後は三滝堂の道の駅に寄ろうとしたら超絶渋滞…道の駅内の駐車場で転回しそのまま気仙沼まで走ることにした。

三陸自動車道は面白い。アップダウンもあり、海が見えてトンネルもある。目まぐるしく景色が変わる。
退屈な東北自動車道とはまるで違う。東北自動車道は山しかない。

新しく出来た気仙沼の橋に到達。凄い橋だ!
残念ながらドラレコ未装着のために写真はありませんが…とてもいい橋だ。

しかしだね…この橋を渡りきるのに10分もかかった…物凄い渋滞!!

信じられるか?橋の真ん中辺りで停車or減速して写真撮ってんだぜ?しかもデジカメやらスマホやらだ。そりゃあ混むわ!
私もスマホで撮影すれば良かったのかな?とも思ったがハイドラでさえ運転中は画面を見ない。
なによりも自分自身を全く信用していないために万が一事故を起こす可能性もあるので辞めました。
素直に通り過ぎるが吉だなと。

どうせならこのまま宮古まで行ってみようと気仙沼を通過しました。反対車線も同じように橋の中心部を起点に大渋滞でした…ここから帰るよりも宮古を観光してから帰った方がストレスが少ないと思いましたね。

この先にあるトンネルも反対車線が大渋滞になってまして排気ガスがとんでもない事になってました。
なんていうか…サイレントヒルみたいになってましたね…。

結局宮古までは3時間で到着。

かつては下道6時間かかったのが約半分!
渋滞して3時間だから通常ならば2時間半前後で到着するのだ。

凄いなぁ…群馬に行くよりも遠かった宮古がこんなに近くなるなんて信じられない。

宮古に到達した時点で17時を回っていたために近くの道の駅で缶コーヒーを購入して帰路についた。

帰りはスイスイと走りライトアップされた気仙沼の橋を渡り。

おっと忘れた!釜石でラーメンを食べたのだった!
それはまた別の記事で。

そういうわけで私のスーパープラチナム日曜日は移動距離500キロのとんでもない旅になったのでした。

 

支那そばや石巻

支那そばや石巻

ラーメンの鬼と呼ばれた佐野実の直系の弟子が営む人気ラーメン屋さん。
あっさり中華そばの系譜だがそのスープは手間をかけて作られ複雑な旨味と香りを醸し出す。


麺はそれに合わせて製麺された細麺ストレート。
全粒粉が爽快なのどごしを演出してくれると共に小麦の芳醇な味わいを楽しむことが出来る。

かけ醤油ラーメン

かけ塩ラーメン

週替わりで醤油、塩味が入れ替わる。

 

開店前から並ぶ人がいるほどの人気店だが回転が早いためにそんなに待ち時間は発生しない。

現在は初代店主が引退し、若い二代目店主がその味を引き継ぎ元気に営業している。テキパキした仕事ぶりは一見の価値がある。

私は『かけラーメン』が大好きでシンプルに麺の味わいとスープの旨味を堪能している。濃厚な味わいの味たまとメンマも美味しい。

 

慢性的に千円札が不足しているようなので千円札を予め準備しておくと良いかも…。

個人的には県内三本指に入るラーメン屋だと思っている。駐車場も未舗装の部分はあるものの広くて駐車しやすい。しかし、貸金のATNがあるあたりは車止めの位置が微妙で停め方がわからずに変な間隔が空きやすい。

営業日、醤油、塩の切り替えは公式Twitterより

支那そばや石巻公式Twitter