カテゴリー: 創作

【エッセイ】グローバルな自分になろうとした話

私は日本人である。
日本人ではあるが日本語は苦手だ。
表現にもよるがいくつもの捉え方がある語句や漢字が多いのだ。その全てを学び使いこなそうとすれば人生は100年ではあまりにも短いものだ。

ゆえに私は無口な男で多少なりとも損な生き方をしてきた。幼い頃より自己主張が無く我が儘すら貫き通したことはない。

その性格が災いしてか誤解されることも多いが、不思議なことに周りの人達が私の気持ちを察してくれるので、それに流されて今まで生存してこれた。

食堂で何を食べるか迷っていると
「これ美味しいから食べてみな!」と言われるがままカツカレーを食べた。私は本当は食堂でカレーなど食べたくなかった。
なぜならカレーはレトルトでも食べられるし、私のバカ舌だと辛いものは全て同じ味に感じてしまう。

だがこの勧めがなければ一生カツカレーの美味さを知ることなく人生を終えてしまうところだった。

誰が一体最初にこの組み合わせを発明したのだろうか。
サクサクの食感のカツにスパイシーなカレーがよく合うことこの上ない。このカツカレーにいたく感動し、しばらくはカレーを食べ続けたが初めて食べた時の感動は薄れていった。

やがてさらに強い刺激を求めて本格インドカレー屋に行くまでさほど時間はかからなかった。

「ナマステー!」

緊張しながら店に入るとやたら浅黒い肌の異国風の男性が出迎える。真っ白な歯を見せて素敵な笑顔で席に案内してくれた。どうやら一人で切り盛りしているらしい。

席に座ると同時に私は強い不安に襲われた。
迂闊だった…私はインドの言葉を話せない。

これは困ったぞとメニューに目を通すときちんと日本語で表記されていることに安堵した。
とりあえずは無難にチキンカレーを注文する。

「ワタシコノチキンカレーネ!」と思わず不自然なイントネーションで注文すると店長とおぼしき男性は
「チキンカレーですね!かしこまりました!」と私以上に流暢な日本語で返してきた。

なんだ…きちんと話せるじゃないか…と安心しつつ冷たい水で乾いた喉を潤した。
しばらくすると店長がカレーをテーブルに置くと「ごゆっくりどうぞ」と言った。

目の前には本格的チキンカレーが湯気を上げている。とても良い香りが鼻腔をくすぐる。
食べようとした時、スプーンが無いことに気が付いた。

何もない。ただおしぼりが置かれているだけだ。
自己主張の無さがここでも災いし店長を呼ぶこともできない。他に客は見当たらない。

そうか、ここは本場のインドのように手で食べるということか。郷に入ったら郷に従えという諺がある。
ここは日本でも店の中はインドなのだ。

私は意を決して熱々のカレーの中に右手を突っ込んだ。湯気から想像していたよりも熱くて思わず手を引っ込めた際にシャツにカレーが飛んでしまった。

「ナンテコッタ!」
すぐに右手の人差し指についたカレーを舐めとりシャツのカレーを取り除くがすでに茶色が染みていた。
そしてあまりの辛さに驚いた。さすが本格的インドカレーだ。
再びカレーの中に指を突っ込み熱々のご飯をつまみ口の中へ放り込む。

ホフッホフッ!ハフっ!
とにかく熱いが美味い!辛い!インド最高!

半分ほど食べた頃だろうか。厨房から店長が血相を変えて走ってくる。

しまった…なにかインドの作法に間違ったところがあっただろうか?と不安な気持ちになった。
店長は私の席に到着するなりご丁寧に頭を下げてスプーンを両手で差し出してきた。

「まことに申し訳ございませんでした!こちらをお使いください!!」
その店長を見つめ、右手をカレーまみれにして時間停止している私。

そうか、スプーンを出すのを忘れていただけか…愕然としながら店長からスプーンを受けとるとカレーを掬って食べた。

やけにスプーンが冷たく手の方が良かったんじゃないかと思ったのであった。

【創作怪談】箱の中身

 実家の蔵には先祖代々伝わる古い箱がある。
 それは厳重に鉄の鎖で封印されており、ガラスケースの中に収められ触れることは出来なかった。箱の表面には何らかの彫刻が施されており高級なものであったと想像できた。
 子供の頃、父に箱の中身は何か?と聞いたことがある。
 父は口篭りながらも
『箱の中身は何もないんだ、箱そのものに価値があるからね』と言った。

 子供の俺はそれで興味が薄れてしまい箱の存在すら忘れていた。

 あれから20数年の時が流れ息子を連れて帰省した時、父の遺品整理をしていた際に蔵の奥に眠る箱を見つけた。
 それは以前と同じようにガラスケースの中に保管されており鉄の鎖は錆びて素手でも切れそうだった。

 あの時の俺と同じように息子は尋ねる。
「ねぇ、箱の中身はなんなの?」

 その時俺は何となく箱の中身に興味があったことを思い出していた。なんとなくロマンなどという洒落っ気なようなものを感じていた。
 だがそれと同時に父も祖父も曾祖父も決して開けることはなかったはずなのに箱の中身は何もなかったと言ってたのが気になっていた。
 鎖の腐食具合から見て触れた形跡は見られない。

 もしかして、開けてはいけない何かがあったのではないだろうか?と思い始めていた。俺から箱の中身の興味を削ぐことで勝手に開けることを恐れていたのではないかと。でなければこの箱が鎖で封印されガラスケースに保管されているはずがない。
 きっと父も祖父も曾祖父も俺と同じことを言われて箱の中身を知ることなく亡くなったのだ。
 そして俺も息子に同じように
「箱の中身は何も無いんだ。箱そのものに価値があるからね」と言った。

 息子は「なーんだ」と言うと蔵から出ていった。俺は箱を改めて見ると気味悪さを感じていた。表面に施された彫刻も禍々しく思えた。

 再び作業に戻り棚を整理していると物音がして近付いていくと箱が入っていたガラスケースが床に置かれていた。
 俺は頭の先からつま先まで冷たい何かが走るのを感じて視線を上に上げると息子が箱を閉じていた。

「お、おい!!何してるっ!?」
 突然の怒号に息子は驚き肩をビクつかせる。
 箱にかけられていた鉄の鎖は完全に切れており赤い鉄粉が周りに散らばっていた。

「お前·····箱の中身を見たのかっ!?」
 あまりの形相に息子は驚いたのが目を泳がせて顔をひきつらせている。
「み、見たよ·····」
「な、なんてことを·····」
 震える手で息子の肩を掴む。微かに震えているのが感じ取れた。

「それで中身は!?」
「え?」
「中身だよ!箱の中身はなんだった!?」
「何も·····入ってなかったよ」
「何も?」
「うん」

 箱の中身は何も入ってなかった。そうか、父が言ったように箱そのものに価値があるものだったんだ。
 俺は落胆と安堵感から膝から崩れて息子の顔を見た。今にも泣き出しそうだったが、頭を撫でると笑みを浮かべた。

「そうか、何も入ってなかったんだ·····」
 立ち上がり箱の中身を見ると確かに何も入っていなかった。底にはうっすらと埃が溜まっていた。それは箱の蓋が劣化したことによる粉のようだ。

それを指で拭うと何か文字が書いてある。

「ん?何か書いてあるな」
 今度は大きく指で拭うと古い文字だが今日の日付の後に『開封』と書かれていた。

【新型コロナ】ワクチン3回目接種確定か!?

新型コロナワクチン3回目接種が2回目接種した方はもれなく3回目接種となるようですね!

ちょっと待ってくれ!2回目のワクチン接種の副反応で三日三晩寝込んだ身としては御遠慮願いたいんですが…ね。

インフルエンザ程ではなかったんですが意識がはっきりしているのに高熱で全身筋肉痛と悪寒で身動きできないのにやたらに腹が減るのが辛かったですねぇ。

もうそろそろコロナは終息傾向にあると思っているのですが本当に3回目接種は必要なのでしょうかねぇ…。

でもここ1ヶ月やそこらで急速に感染者が減っていき、緊急事態宣言も時短営業も解除されて元の生活に戻りつつあるようです。

私は元々人込みは嫌いだし、酒をほとんど飲まないのでコロナ禍と同じ生活を続けると思います。

元々休みが少な過ぎて疲労が溜まり動きたくないので…

やはり休日は読書などして静かな場所で過ごすのが好きですね。好き勝手に詩とか書いたりして。

本当はホームページの運営方針としては創作に全振りして小説サイトとして成長していければいいなと思ってたんですが、元々メンタルが不安定かつ一日の休憩時間なども打ち合わせやら何やらで自由に使えなかったりするので創作できる環境に非ずでペースが維持できないので日常も加えて更新しているわけです。

ラーメン記事は評論家でもないので感想を書くことしかできないのですが、記事を読んで食べてみたいなぁ~とか思ってくれる方がおればラッキーかなぁって…。

コロナ禍は個人的には快適な生活でしたよ。マスクも別に嫌ではなかったし

むしろ髭剃らなくていいから肌荒れ解消されてました

反マスクやら陰謀論やら反ワクチンやらでお近付きにならなくていい面倒くさい人達がよくわかったし…そもそも陰謀論なんてどこからか湧いてきたネットの噂話に尾ひれがついたようなものを信じる人がいるのが面倒くさいかなぁって。

まぁ、発端となった某国には頭に来てますが個人的な力では何ともなりませんし範馬勇次郎みたいな力があれば別ですが、イライラするだけ損なので毎日を出来る限り楽しく生きることにシフトしています。

インターネットを手に入れて世界が見えてくると自分の世界も広がった気がするけど実際は本当に狭い世界でしか生きてないわけですよ。

逆にそっちの方が幸せに近いかもしれない。例えばネットで月収100万円!とか聞くと羨ましいし嫉妬しちゃうわけですよ。でも自分には絶対に起こりうることではないし現実は月収10万円が関の山で社会に抗うわけでもなく資本主義に踏み潰される労働者でしかないわけです。

どう背伸びしても有名にはなれないしビッグにもなれない何者にもなれないわけです。

細々と死なないようにひっそりと生きていくしかないわけ。

他の誰はわからないけどわたしはそんな生き方です。

だからワクチン3回目打ったとしてもどうなるわけでもない。ただあの肺炎の苦しみから救われるわけです。

なんだかんだ言ってコロナに感染したら絶対に死ぬ自信があるので泣いても笑っても三回目は打たねばなるまいて…….。

本当にあの副反応はマジでやばいから…….。

【心霊】開けるな

幼少の頃、母と暮らした貸家は小さな平屋の木造建築だった。

台風となれば天井から水が染み出すボロ屋だったが決して裕福ではないので雨風が凌げるだけでも十分だった。

その日も雨が降っていたと記憶している。パタンパタンとトタン屋根を雨が叩く音が聞こえていた。

その音に紛れて低い男の声が外から聞こえた気がした。

「…てくれ」

確かに聞こえる。それは酷く弱ったような掠れて細い声だった。

黒いすりガラスの玄関の扉からは何も見えない。人の姿は確認できない。

恐る恐る近寄るとその声は徐々に鮮明になっていく。

「開けてくれ」

なんとなく聞き覚えのある声だ。扉を開けようと鍵に手をかけた瞬間に背後から母に制止された。

「何してるの!?」

その表情は鬼のように恐ろしい顔をしている。それは怒りと言うよりも恐怖に歪んだような顔だ。

「開けてくれってゆってるよ」

そういうと母は眉間にシワを寄せる。私と玄関を交互に見ている。

「開けちゃ駄目!」

「でも…」

私が迷っていると突然風が吹いたように扉がガタガタと揺れだす。

「開けてくれ!」

男の声はさっきよりも大きい。

「開けちゃ駄目!」

母の声も強く大きくなる。

「開けてくれ!!」

「駄目!!」

扉はおろか家全体までがガタガタと震え出した。まるで地震のように家が軋む。

男は扉を無理矢理開けようとしているのか。私は恐ろしくて耳を塞ぎ身を丸くしていた。

どれほど続いたろうか。風の音も雨の音も止み、部屋の中は壁掛け時計の針の音だけが鳴っていた。

母は何事もなかったかのように

「早く寝なさい 」と言った。

あとから聞いた話は親戚のおじさんが焼身自殺をしたらしい。

そうだ、あの声は親戚のおじさんの声だったのだ。

おじさんは亡くなった後に何を言いに家に訪れたのかはわからない。そしてあの日に聞いた声は私にしか聞こえていなかったらしく、母は「台風の夜に遊びに出ようとしていた」と言っていた。

あの夜、扉を開けたら何が起きていたのだろうか?

【自己啓発】好きって気持ち

『好きなことで生きていく』

これは有名なYouTubeのキャッチフレーズ。

はて?そこで思ったのが私は一体何が好きなんだろう?と疑問が湧いた。

私は何か猛烈に好きなものがない気がする。あえていうなら文章を書くのが好きだ。だが上手いわけでもなく単純に好きなだけだろう。

それで食べていけるとは微塵も思えない。

例えばアイドルオタクがいるだろう。世間一般的には少し色眼鏡で見られるのかもしれない。もっと言えば初音ミク好きの『ミク廃』だ。

当初は蔑ましていた。あんなアニメ調のキャラクターに熱を上げるなど愚か者だと思っていた。

だが実は心の中では憧れていた。

『一つのことを好きになれる才能』

なんでもいい。とにかく好きなことがあればそれだけで生きていく力になるのではないだろうか。

だから私はあえてその世界に身を投じることで好きになる自分を演じてきた。情熱を持ちたくてね。

なんでも無気力になって寝るのが日常的になっているなんてつまらないじゃないかと。

初音ミクは好きか?と問われると好きと答えるが詳しい知識は無い…好きな楽曲は?他にボカロファミリーで好きなのは?と聞かれるとすぐにメッキが剥がれてくる。

好きになるにはエネルギーが必要なのだ。それも膨大な。

飯食って生きてるのだけでやっとという余裕のなさでは好きになる気持ちは生産されないのだ。

『好きなことをしている人は最強になれる!』

これは間違いない。

私は体力も精神的にも余裕がなさすぎる…休日ともなれば疲労困憊で惰眠を貪ることが多い。

だから真面目に情熱的に仕事に取り組む人と触れることによって刺激を受けることはとても大事だ。

どんな職業の人でもだ。この世界は多くの人の仕事が繋がって出来ている。すれ違う名前も知らない人達とも知らないどこかで繋がっているのだ。

子供の頃の自分に問いたい。

一体何が好きだったの?

子供のエネルギーは無限だ。子供の頃に好きだったものには無限に労力を注いだものだ。

それさえわかればいいのだが、子供の頃の私は『今日を生きる』だけで精一杯だったのだ。

大人になってからは無気力で休日は海を眺めながら缶コーヒーを飲むことが至上の喜びと言わんばかりだ。

『好き』という気持ちを見つけて人生をもっと楽しみたいものだ。

【追憶】上品山の山頂にて

今から10年以上前の話だ。上品山(じょうぼんさん)に初めて登った。登ったと言っても登山は趣味では無いので車で一気に山頂まで登ったのだ。

所用時間にして30~40分くらいだったと思う。当時はナビなんてものはなくて子の道を行けば登れるのではないか?という好奇心で走ったのだ。

大郷からも七ヶ浜からも見える上品山の山頂からの眺めはきっと良いだろうと思ったのだ。昔から高い所が好きで高い所を目指していた。バカと煙は高い所を好むと言うが本当だ。

狭い山道(一応舗装はされている)を登り、鬱蒼とした森から急に視界が開けて草原が見えた時は感動した。山頂は牛の放牧場となっていてちらほら牛が見える。実に牧歌的で長閑だ。

車を降りてみると既に日は傾きかけていた。

ただ何も考えずにその雄大な景色を眺めた。

非日常に身を置くと言葉って出ないんだな。空が近く感じる。風の音しか耳に入ってこない。

ただぼんやりと立ち尽くし徐々に奥羽山脈へ近づいて行く夕日を眺めていた。ここで宮沢賢治の詩集なんか読んだら最高だったな。まるで鳥にでもなったような感覚があった。

この瞬間が永遠のものになればいいのに…一瞬にして過去になっていく。たった1人でここにきた記憶などすぐに色褪せて忘却の彼方へと追いやられるのだろう。

どこから空でどこから大地なのかわからない。何気なく過ぎていく1日も人生の一部だ。

もっとゆっくり生きたいものだ。

【独り言】私がGoogleレビューしないわけ

私はまだGoogleレビューというのをしたことが無い。こんなラーメン食べて記事をアップしてるクセにGoogleレビューをしないわけは…

星で評価しづらいからです!

いや、そもそも星で評価するのがむずかしいからです。私は一応ラーメン食べてあーだこーだと感想を述べますが評論できるほどたくさんのラーメンを食べているわけではないし自分のバカ舌を信用しているわけではありません。

何より私なんかのレビューが世に通用するわけないです。なぜなら…私は良いと思ったことしか書かないからです。甘口と言えば甘口なのですが、仮にこのブログが大きく成長してたくさんの人が訪れるようになった時に過去に辛口レビューしたがためにお店の売上や集客に大きな影響を及ぼしたら?と思うと書いた記事に対して責任が持てないからです。

たまたまお店がミスをしてしまったことを批判していつまでも残り続けるネット記事には書けません。

私は飲食業を頑張ってる方々を応援したいし美味しいものをたくさん食べたいし、それで私なりの感想を述べてるだけです。

ブログを通じてお店の存在を知ることもあると思います。

Googleレビューでは星一つなのにブログでは絶賛ってどういうこと?なんてことが起きたら私自身の信用にも関わります。

そもそも私がレビューしたら全て星5つになるので参考にもなりゃしないだろう。

あの星の評価が難しいのです。たったあれだけの操作なのに…あの簡単な操作なのに人の生活がかかっているのです。だから難しいからやらないのです。

私のブログは読んでも生活のためにはならないし、何らかの知識が増えるわけでもありません。お金持ちになれる情報があるわけでもない。むしろ私が知りたい。

気安いブログです。あの~深夜に食べるお茶漬けみたいな感覚。気を張らずにお湯かけるだけ腹に流し込めるお茶漬けみたいなブログなんです。

私は文章を構築するのが好きなのですが語彙力は大したことがないので難しい言葉は知りません。ただ『美味しい!!』と褒めるだけです。でもどうやって褒めるか?どうしたら美味しいが伝わるのか?を常に考えてます。

こういう呟きは定期的に挙げるかもしれません。書いた本人も忘れてたりしますし、備忘録としてね。

あと私は基本的に『ブログに挙げていいですか?』などとお店側に許可とかとりません。だって…いざ見に来てみたらこんなちんまいブログで集客も見込めないので恥ずかしいじゃないですか…!!コソコソ撮影してコソコソ記事に感想を書いてるちりめんどんやのご隠居みたいなものなのです。

いつかは諸国麺遊ができるくらい成長出来ればいいけど。

あれ?諸国麺遊って良い言葉だね!

そういうわけで当ブログよろしくお願いいたします。コソコソ読みに来てね!!

【独り言】交わらぬこと

いつからか孤独を愛するようになった。極度に誰かと関わることを恐れるようになっていた。

必ず離れていくから…。そして、心も離れていくから。

自分はダメだ。細心の注意を払っていても無意識に人を傷付けてしまうことがあって、後から病んで悔いてしまう。その時は大体遅い。

自分が気付かない内に疎遠になっていき、孤独になっている。ひとりぼっちの人生だ。

もう誰かに好意を寄せることもないと思う。心は閉ざされたまま。誰も私のことを知らないし、私も誰かを深く知ろうとはしないだろう。

思えば子供の頃から孤独だった。酒乱の祖父母は毎晩のように酒を飲んでは喧嘩をしている。私は真っ暗な廊下から隣の家の窓を見た。

いわゆる、普通の家族の団欒があった。笑顔で食卓を囲んでいる。

どうして笑ってるんだろう?どうやったら笑えるんだろう?そう、思っていた。

部屋ではまた祖父母の喧嘩が始まった。怒号と悲鳴と物が壊れる音。私にとってはそれが日常だった。耳を塞ぐと自分の心臓の音だけが聞こえていた。

どうして生まれてきてしまったのだろう?

もう消えてなくなってしまおう。台所に行き、包丁を手にする。何も考えずに左手の中指を切った。激痛と共に血が出てきてすぐに包丁を投げ出した。

その傷は今でも残っている。

何枚も絆創膏を貼り自分を刺したことを悔いた。ものすごく痛かったからだ。ガタガタと震えながら布団に潜り込んだ。時折大きな物音が響いて体をビクつかせる。

朝になると静寂が訪れ、布団から起き上がると痣だらけの祖母が床で寝ている。散らばった酒瓶、ひしゃげたテーブル、血が染み込んだカーペット…。何食わぬ顔で外に出て隣の『幸せな子』と遊んだ。優しいお母さんとかっこいいお父さんがいて羨ましかった。

どうしてあの子にはあって自分には無いのだろう?

それは妬みだろうか。それとも運命に対する憎悪だろうか。

冬の夜。酒乱の祖父を恐れて祖母と夜の町を逃げるように走った。祖父の怒号が夜の静寂を破り恐ろしかった。きっと見つかったら祖母は殺されると思った。

展望台の石碑の影に隠れて時間が過ぎるのを待った。階段を上がってくる祖父の足音が怖かった。

あの時。願ったのだ。神に。

『おじいちゃんを殺してください』と。

私は不幸の塊。きっと関わった人を不幸にしてしまう死神なのだ。だから孤独でいいのだ。

一見すると逃げたように思えるが、幸せでいてほしいから自分から離れる決断をしたのだ。

きっとあいつも幸せに暮らしているだろう。そう思いたい。私にとっての幸せはとても小さなものだった。

【 エッセイ 】 汲み取り屋 のおっちゃん

汲み取り屋 のおっちゃんの話

汲み取り屋 のおっちゃんはヒーローだった!

 子供の頃、家のトイレと言えばボットン便所だった。ウン〇コをするとその物量に応じて『おつり』がやってくるやつだ。祖母の家は外にトイレがあり、勝手口から出て歩いたところにあった。薄暗い裸電球が怖かった。

 波トタンで作られた扉を開けて輪っかに金具を引っ掛けるだけの簡素な鍵をかけて振り向くと広さ3畳ほどの部屋の真ん中に穴が掘られていて、その上に便器が乗っかってるだけのものだった。その下はすぐに便槽で子供であれば体がすり抜けるほどの大きな開口部は恐怖だった。

 それを跨ぎウン〇コをするとかなりの確率でバッチャーン!と盛大に尻に跳ね返ってきた。

 当然汲み取り屋が来て便槽の中の糞便をバキュームカーで吸っていくのだが、それに携わるおっちゃんがすごくかっこよく感じていた。非常に寡黙で作業服をいつもピシッと着ていた。

 普通ならば顔をしかめる臭いでもおっちゃんは表情を崩さずホースの先を見つめていた。その仕事ぶりがかっこよくて憧れていた。いつか自分もおっちゃんみたいになりたいと思ったものだ。

汲み取り屋

 いつもバキュームカーが見えると玄関を飛び出しおっちゃんの仕事を横で見ていた。するとおっちゃんは

「臭いだろ?」と言った。私はウンと頷くとおっちゃんはニコッと笑った。あの寡黙で渋いおっちゃんが笑ったのだ。とにかくかっこよく私の中ではヒーローだったのだ。

 おっちゃんが仕事を終えてバキュームカーを走らせると私はその後ろを全力で走って追いかけた。

 BGMは井上陽水の『少年時代』だろうか。

 あれから何年も過ぎて超ド底辺労働者となった。決まった休みもなく祝日もない。       

 人からは汚いと蔑まされ、ああはなりたくはないと失笑される仕事かもしれない。

 でも世界の殆どはそういう人がやりたくない仕事をしている人達のおかげでストレスなく社会生活を送ることができているのだと思う。私もその数あるうちの小さな歯車だ。

 だがその小さな歯車一つ欠けたら大きな歯車は回らないのだ。

 金持ちにはなれない。人からも尊敬されない。自分らしくは生きられない。人からは指差され笑われる。

 それでも誰かの生活の役には立っているし、なくてはならない仕事だ。

 大人になってからおっちゃんの言ったことがわかった。

「これ、おっちゃんの天職だからな」

 おっちゃん、かっこよかったよ!私もそういう言葉が言えるような人生になりたいと思います。

【物議】回転寿司・ウォー!

かっぱ寿司が9月26日の日曜日に全皿半額キャンペーンをやるらしい。それでネットでは予約が取れないなどの異常な盛り上がりを見せているようだ。

私はというとやや冷ややかな目で眺めている。

労働力の安売りをしているようだ!

これが嫌。なんでもそうだ。牛丼も280円で食べれる時代があったが本来はもっと高い食べ物ではないだろうか?つまり何が言いたいのかというと安さは必ず歪みを生み出すからだ。すき家で問題になった『ワンオペ』が最たるものだろう。安くするには理由が必ずあるのだ。

だから今回の半額セールも飛びつくことはしなかった。半額でもかっぱ寿司だからね。それに土日祝は回転寿司には近寄らないことにしている。

どうせ40分も並んで待っても食べれるのは一緒なのだ。ならば平日の夜に食べるのが正義だと思っている。ゆったり好きな物を食べられるのだ。

だが私は嫌らしい人間なので当日は店舗に行ってどれだけ混雑してるのか観察しに行きたいと思っている。そして、こう言いたい。

「ははは!見ろ!人がゴミのようだ!!」

むしろかっぱ寿司は安売り路線を脱しなければならないのではないだろうか?いや、これはかっぱ寿司だけではなく全業種に当てはまることで一時的な痛みをともなわなければこのデフレからは脱却できないと思っている。

だがその先に待つのは超格差社会だろうか?政治のことはわからんので強気な発言もできないのだが…。

私の中では安さは正義ではないのだよ。

今回のかっぱ寿司半額で思い出したのはソフトバンクだかのキャンペーンで牛丼サービス的なものがあったじゃないですか。あれで吉野家が長蛇の列になり店舗があっという間に回転が止まってしまったことだ。

多分あんな感じで並んでるんだろうなぁと。でもなんで今なんだろう?

もう少しコロナが落ち着いてからじゃダメなのか?と思うのである。

私は普通の日に行って普通の価格で食べるよ。

【独り言】発達障害としての生き方

長年の疑問

自分はどこか他の子供と違うな…と思っていた。それは特別なことではない。例えば天才とか才能があるとか運動神経抜群というわけではない。何となくだが他の人と時間の感じ方が違うことや人の顔が覚えられないこと。物事を忘れやすく取り組まなければならないことの順序をつけることが出来ないこと。

これは発達障害というものではないだろうか?という疑問があった。だとしても、やっぱりな…という気持ちしかない。元々私に普通の人と同じものが備わっているわけではないのだ。特に何が優れているとかあるわけが無い。凡人以下のスペックで稼働しているのだ。

例えるならば原付バイクで高速道路を走るようなものだ。

普通とは何だろう?

では普通とはなんだろうか?私は幼少の頃より普通の人が普通のことをするよりも三倍時間がかかる。それは勉学でも一緒だ。人の三倍の時間をかけて勉強しなければならない。そしてせっかく身に付けたとしてもすぐに忘れてしまう。何故忘れてしまうのだろう?

私は忘れることで生きてこれたのかもしれない…。両親の離婚、祖父母夫婦の血塗れの夫婦喧嘩、祖父の酒乱、引越しによる友達との離別、イジメ、恋人との死別…全てを明確に覚えていたら生きてるのが辛いだろう。

勿論今でも生きてることはツラい。でも自殺なんて選択肢は無い。せめて与えられた命くらいは全うしようと考えている。生きてることに意味など無いのと同じで死ぬことにも意味がないのだ。ただ、この拭いきれない鬱な気持ちだけは何とかしたいものだ。

良かれと思ったことが全て裏目に出たり、いつも失敗してはいけないシーンで失敗しては自信を失っていった。小さな成功の積み重ねが大切ではあるが、どういうわけか私には難易度の高い仕事ばかりが舞い込んでくる。結果はどうあれ全力で取り組むがどうせ失敗するという弱い気持ちが前に出てきてしまう。

それは車の運転にも現れる。自分が信用出来ないのだ。

『あれ?今の交差点は信号青だったっけ?』ということが頻繁にある。そういうことが重なり道も覚えられない、自分の車を停めた場所を忘れるといったことが如実に認識してしまうから自信が無くなってしまうのだ。

どうせなら自分がバカだとわからないくらいバカな方が幸せだったのかもしれない。

中途半端なバカだから泣くことになるのだ。いつも頭がぼんやりして重い体を引きずって生きてる。

理解出来たところで

生き方が変わるわけでもないし、人生が上手い方向へ軌道修正出来る訳でもない。もっと早く自分が発達障害だと認識していれば生き方を選ぶことが出来たのかもしれない。私にとっての山の頂は普通の人にとっての日常なのだ。

例えば気の合う仲間と酒を飲み交わしてどんちゃん騒ぎ…なんてものは私にとってストレスでしかない。そもそも気の合う友達なんていない。人の顔が覚えられないのだ。というか見えていないのだ。いつも人の顔には黒いモヤというかモザイクがかかってるようで見えていないのだ。だから覚えられないのだ。

何かに興味を示し追及する気持ちも理解出来ていない。私には物欲が存在していない。欲しいものがない。物などいくらあっても満たされないからだ。そもそも満たされる気持ちとはなんだろうか?

好きな人もいない

誰かを好きになる気持ちなんてどっかに忘れてきた。どうせいなくなるし、私の人生から消えていった人もいる。きっと私の知らない世界で幸せに生きているのだと思う。私の世界は寒くて暗くて埃っぽい場所だ。誰もこんな世界に来てほしくない。いつも見上げる空は曇り空で雨も降っている。きっと雲の上は明るくて暖かくてみんなは笑いあっているだろう。

どうして人を好きにならないのか?好きになった瞬間に私の心が壊れていく。それはもう失いたくないという気持ちと失うくらいなら自分から捨ててしまおうという気持ちがぶつかり合うのだ。本当ならその人と一緒に生きて行けたらいいなって思うけど、私が住む世界は暗くて寒くて色がない世界だからきっと離れていなくなるよ。その度に涙を流していたらキリが無いよ。

私が捨てたのは誰かを好きになる気持ちでした。

今は好きな人はいない。誰もいない。失うものもない。それを悲しいとか寂しいとか思う人もいるかもしれないが、私にとってはそれが一番自分を守り抜く生存方法だと思っている。生きていくことに意味など無いのだ。

世界は明日に続く

こんな気持ちでこんな駄文を書き綴っているがいつか読み返して『そんな気持ちもあったよね』って笑うことが出来るのだろうか?その前にこのHPが消えてしまうのかもしれない。結構高額なサーバー代を払っているからね。収益化出来るほどPVも無いし逐一読みに来る人もいないので自分専用落書き帳のようになっている。

ブロガーになるとかそういう才能あるわけが無い。かと言ってそうなる努力もしない。なぜなら、いくら積み重ねた努力でもどうせ忘れるからだ。ただ思い出すのも嫌な記憶や気持ちだけは忘れないでふとした瞬間に思い出されるのだ。

そんなこんなで今日が終わり世界は明日へ繋がっていく。

明日はどんな気持ちで生きるのかなぁ?

天使のささやきの日

今日は天使のささやきの日です。
北海道で日本最寒-41.2度を記録した日です。

天使のささやきとはダイヤモンドダストのことです。

-20度は経験あるけど、空気が針みたいになるんだよね。もう頬にチクチクして空気が痛いのよ。

-40度となると未知の世界だけど、多分秒速で死ぬだろうなぁ…。そういや、子供の頃ってしもやけに悩まされたけど大人になったらならなくなったねぇ。
なんでだろう?

私が子供の頃には毎日膝くらいまで雪が積もっていたんだよね。毎日の雪かきが大変だった記憶がある。今は年に2回もすればいいかな?って感じですねぇ。

地球温暖化とは言われてますが、実際はどうなんでしょうねぇ?
世界中の人を1箇所に集めると琵琶湖に収まるそうです。ですが、地球に存在する蟻を集めるとそれ以上の面積になるとか。

本気で地球温暖化を危惧しているなら戦争なんて辞めて余計な石油を燃やさない事なんですが、人類の歴史は戦争ありきなので難しい話ですよ。
戦争で死ぬ人あれば生きる人もいるのですから。戦争経済なんて認めたくないけど。

地球人全てが尊重し合い理解を深めることなんて宇宙の歴史上においても絶対にありえないでしょうな。