月: 2021年5月

今日はカレー曜日!

何となく今日はカレーの気分だった。昼間はカレーにしようと心に決めていたのだ。現場の近くにスーパーのヤマザワがあってそこのフードコートで格安のカレーが食べられるのだ。

無論レトルトだがそんなの関係ない。むしろレトルトはいつ食べても同じ味だから美味いのだ。

昼になる。さて、意気揚々とフードコートに向かうがその前にトイレを済ませておくかとトイレに向かう。すると異臭がする。

むむ…これは?手前にオムツを替えるスペースがある。誰かが赤ちゃんのオムツを替えたのだろうか?

だが…トイレに近付くにつれて臭気は強くなり鼻で息が出来ないくらいになった。これは…一体…??

すると床に無造作にズボンが脱ぎ捨ててあった。個室にはお爺さん…もしや…奥で用足してる人になにか話しかけている。

「すみませんが掃除の人を呼んできて下され…」

ちょっと何事かと覗いてみたらお爺さんは下半身丸出しだった!それもウ〇コが至る所に付着している。よく見たら床に落ちているズボンもク〇まみれだ。

どうやら完全に洩らしてしまったらしい…こらまた個室もまるで殺人事件現場のようにゲ〇ク〇が辺り一面に飛び散り大惨事だ。これどうなってんの??

つまり、推測するに買い物途中で腹が痛くなった。慌ててトイレに向かう途中で最初に固めのウ〇コが出た。慌てて個室に向かいズボンを下げた瞬間にブシャアァァァァ!!とやっちまった感じだ。

とにもかくも…とてもじゃないがカレーを食べる気は全く失せてしまっていた…。全くもってツイてない日々が続くなぁとガッカリした1日だった。

【事故報告】痛みは後からやってくる

冗談みたいな嘘のような話

『交通事故の痛みは後から来るぞ!』とはよく聞いていた。でも自分の身に起こるまではまるで信じてなかったのだ。

「まさか自分がwww痛いのは直ぐにわかるべ!」と思っていたが昨年暮れに社用車で凍結路面で滑り単独事故に巻き込まれた。私は助手席に乗っていたのだが運転手と違いハンドルのような掴めるものが無い。衝突の衝撃で眼鏡は吹き飛び上半身は激しく振られ全身がゴムのように震えた。

特にシートベルトの衝撃は凄まじく右の乳首だけが黒く内出血して大きくなっていた。左右で色が違うオッドアイならぬオッドチクビ…。

事故から数日経ってから背中の痛みが始まった。ちょうど正月休みだったので正月は寝て過ごした…。せっかくの連休をベットの上で過ごしたのだ。

その背中の痛みが良くなってくると腰に異変が現れた。何やら足が痺れるというか痛い!左足が上がらなくて痛いのだ。電気が走るように痛み尋常ではない。病院に行くと『坐骨神経痛』だった。これは事故から数ヶ月経ってからの話だ。事故の因果関係は微妙な感じだったが骨盤に強い衝撃を受けたのはあれだけだ。

悪夢再び

半年間坐骨神経痛に悩まされた。とにかく痛み止めを飲み続ける毎日。半年後にようやく痛みを気にしなくなってきた辺りで休んでいたワークアウトを開始して弛んだ体を引き締めていった。とにかく走りまくった。風のように走れる…わけもなくダラダラと走っても息が上がってしまうくらいに衰えていた。

少し頑張ってオンラインマラソンに出場しようと意気揚々とトレーニングに励んでいた所に悪夢の交通事故である。

プリウスミサイルで撃墜されたのだ…。

この事故の直後は全く痛くなかった。本当に痛くなかったのだ。それよりも大切な車を破壊されたことに頭に血が上っていたのだ。そしてはらわた煮えくり返る思いながらも冷静になろうと必死に怒りを堪えていたのだ。努めて理性的に振る舞うことにした。

まず警察に電話して…そのくだりは以前のブログのままです。

事故の翌日も痛くはなかった。それよりも怒りは収まらずイライラしていた。おまけに眠れてないから尚更だ。昨日のことを思い出しただけで奇声を発しながら砂浜を全力疾走したい気持ちだった。

とりあえず昼飯は安くて美味しいラーメンを食べた。食べたら気持ちが落ち着いてきた。そして現実を受け入れ始める…車が無い…最も愛した車がないのだ…。

すると…あれ?なんか歩きづらくない?腰が…というか足が思ったように動かない?

あれれ?てか腰も痛くない?あれ?痛いぞ…なんか遠くからジワジワと痛みが…。

夕方…。

「うーん…腰が…痛いお…」と尋常ではない痛み…まさかとは思うが痛みは遅れてやってくるってか!せっかく坐骨神経痛が良くなってきたのにまたかよっ!!

そして病院へ…

病院に行く前に保険屋に電話したらとりあえずは相手側の保険は使えないとの事。そうなんだ…正直に言うとまだ冷静さを取り戻していない。それどころか痛みを感じた時点で再び頭に血が上っていたのだ。

『相手から突っ込んできて向こうの保険使えないとは何事じゃァァァ!!』相手側の保険屋と直接交渉したるわっ!!と意気込んだものの

『私は致命的にディベートが苦手だった!』のでなんか上手いこと言いくるめられて自分の保険を使うことに…。おかげでスムーズに話は進んで自己負担はありませんでした。

まず受診することは出来ましたが…。先生は私に会うなり開口一番。

『事故の人は嫌いっ!!』と言われました…なんか書く書類が面倒くさいとかで…。そんなの知らんがなっ!!こっちは痛くてそれどころじゃねえんだよ!!と憤慨しながらも事故の状況や痛みの状態を説明する。さすがに医者も看護師も呆れるくらいの事故状況。

『酷い目にあったねぇ…これからも大変だと思うけど…』と夢も希望もないことを言う先生…。とりあえず骨にも異常はなく筋肉の捻挫だそうだ。筋肉って捻挫するんだ…とか思いながらも帰宅。あとは家でのんびりGTA5オンラインをプレイしてPK30連敗したあたりで思い出した。

『今月初休暇やん!!』

疲れるわけだ…。

【独り言】発達障害としての生き方

長年の疑問

自分はどこか他の子供と違うな…と思っていた。それは特別なことではない。例えば天才とか才能があるとか運動神経抜群というわけではない。何となくだが他の人と時間の感じ方が違うことや人の顔が覚えられないこと。物事を忘れやすく取り組まなければならないことの順序をつけることが出来ないこと。

これは発達障害というものではないだろうか?という疑問があった。だとしても、やっぱりな…という気持ちしかない。元々私に普通の人と同じものが備わっているわけではないのだ。特に何が優れているとかあるわけが無い。凡人以下のスペックで稼働しているのだ。

例えるならば原付バイクで高速道路を走るようなものだ。

普通とは何だろう?

では普通とはなんだろうか?私は幼少の頃より普通の人が普通のことをするよりも三倍時間がかかる。それは勉学でも一緒だ。人の三倍の時間をかけて勉強しなければならない。そしてせっかく身に付けたとしてもすぐに忘れてしまう。何故忘れてしまうのだろう?

私は忘れることで生きてこれたのかもしれない…。両親の離婚、祖父母夫婦の血塗れの夫婦喧嘩、祖父の酒乱、引越しによる友達との離別、イジメ、恋人との死別…全てを明確に覚えていたら生きてるのが辛いだろう。

勿論今でも生きてることはツラい。でも自殺なんて選択肢は無い。せめて与えられた命くらいは全うしようと考えている。生きてることに意味など無いのと同じで死ぬことにも意味がないのだ。ただ、この拭いきれない鬱な気持ちだけは何とかしたいものだ。

良かれと思ったことが全て裏目に出たり、いつも失敗してはいけないシーンで失敗しては自信を失っていった。小さな成功の積み重ねが大切ではあるが、どういうわけか私には難易度の高い仕事ばかりが舞い込んでくる。結果はどうあれ全力で取り組むがどうせ失敗するという弱い気持ちが前に出てきてしまう。

それは車の運転にも現れる。自分が信用出来ないのだ。

『あれ?今の交差点は信号青だったっけ?』ということが頻繁にある。そういうことが重なり道も覚えられない、自分の車を停めた場所を忘れるといったことが如実に認識してしまうから自信が無くなってしまうのだ。

どうせなら自分がバカだとわからないくらいバカな方が幸せだったのかもしれない。

中途半端なバカだから泣くことになるのだ。いつも頭がぼんやりして重い体を引きずって生きてる。

理解出来たところで

生き方が変わるわけでもないし、人生が上手い方向へ軌道修正出来る訳でもない。もっと早く自分が発達障害だと認識していれば生き方を選ぶことが出来たのかもしれない。私にとっての山の頂は普通の人にとっての日常なのだ。

例えば気の合う仲間と酒を飲み交わしてどんちゃん騒ぎ…なんてものは私にとってストレスでしかない。そもそも気の合う友達なんていない。人の顔が覚えられないのだ。というか見えていないのだ。いつも人の顔には黒いモヤというかモザイクがかかってるようで見えていないのだ。だから覚えられないのだ。

何かに興味を示し追及する気持ちも理解出来ていない。私には物欲が存在していない。欲しいものがない。物などいくらあっても満たされないからだ。そもそも満たされる気持ちとはなんだろうか?

好きな人もいない

誰かを好きになる気持ちなんてどっかに忘れてきた。どうせいなくなるし、私の人生から消えていった人もいる。きっと私の知らない世界で幸せに生きているのだと思う。私の世界は寒くて暗くて埃っぽい場所だ。誰もこんな世界に来てほしくない。いつも見上げる空は曇り空で雨も降っている。きっと雲の上は明るくて暖かくてみんなは笑いあっているだろう。

どうして人を好きにならないのか?好きになった瞬間に私の心が壊れていく。それはもう失いたくないという気持ちと失うくらいなら自分から捨ててしまおうという気持ちがぶつかり合うのだ。本当ならその人と一緒に生きて行けたらいいなって思うけど、私が住む世界は暗くて寒くて色がない世界だからきっと離れていなくなるよ。その度に涙を流していたらキリが無いよ。

私が捨てたのは誰かを好きになる気持ちでした。

今は好きな人はいない。誰もいない。失うものもない。それを悲しいとか寂しいとか思う人もいるかもしれないが、私にとってはそれが一番自分を守り抜く生存方法だと思っている。生きていくことに意味など無いのだ。

世界は明日に続く

こんな気持ちでこんな駄文を書き綴っているがいつか読み返して『そんな気持ちもあったよね』って笑うことが出来るのだろうか?その前にこのHPが消えてしまうのかもしれない。結構高額なサーバー代を払っているからね。収益化出来るほどPVも無いし逐一読みに来る人もいないので自分専用落書き帳のようになっている。

ブロガーになるとかそういう才能あるわけが無い。かと言ってそうなる努力もしない。なぜなら、いくら積み重ねた努力でもどうせ忘れるからだ。ただ思い出すのも嫌な記憶や気持ちだけは忘れないでふとした瞬間に思い出されるのだ。

そんなこんなで今日が終わり世界は明日へ繋がっていく。

明日はどんな気持ちで生きるのかなぁ?

【事故報告】事態は一変する

過失割合が5対5!?

さて、事故から2日が経過して保険屋同士の話し合いが進んでいるはずだ。事故直後はにいろいろと対応してくれた車屋さんの社長さんは『これは10対0でもおかしくない事故だよ』と言ってくれました。

どう考えてもこの走行ラインで曲がってきた相手車両側(赤のライン)に過失があると思う。何度も言うが仮に私が一時停止を無視して左折しても相手が右折しても左折右折車両が衝突するわけが無い。どちらかがはみ出るかお互いがはみ出ないとぶつかるわけがないのである。

だが事態は一変する!

保険屋の話によると相手は全く反省しておらず過失も認めないというのだ。つまりだよ、ぶつかってきておいて過失は相手(つまり私)にもあるというのだ。

は?

普通に歩道歩いてたら見知らぬ野郎にいきなり殴られても納得出来んの?って話。たまたま歩道歩いてる方が悪いの?って。

私は普通に一時停止して左右確認してから交差点に進入しました。もちろん右折車両があったとしても接触などしないと思うから普通に曲がったと思います。しかし、かなりの速度で交差点に進入してきて気付いたのは左折を開始してギアを1速から2速へチェンジする時です。当然アクセルオフでクラッチは切れてます。ブレーキは間に合いませんでしたが気持ち左側にハンドルをきって回避行動を取りました。

結局は保険屋の力関係!?

結局は保険屋の力関係なんでしょうか?

この事故で過失割合が5対5だとしたら到底安心して道路なんか走れませんよ。

直線道路に例えるならばお互いが車線をはみ出してセンターラインで正面衝突なら5対5でもいいと思います。でも私の場合は普通に車線を走っていたら相手がこっちの車線にはみ出してきて接触して後輪を吹っ飛ばしてしまったんです。これで5対5はないと思います。

契約しているのは安いネット自動車保険ですがこの過失割合が覆らないならば再契約はありえないですね。

これらの事故については第三者の意見を聞きたいところではあります。

この泥仕合はまだまだ続くと思います。とりあえず私は腰に違和感があるので病院へ行きます。結果次第では人身事故になるのかな?

【交通事故】浪漫号弐号機爆散!!プリウスミサイルにて撃墜!!

事故発生!その時!

アルトを整備に出してて車屋さんに取りに行きました。お金を払い「またよろしくお願いしまーす!」とお店を後にした。店を出てすぐの交差点でプリウスと衝突事故になりました…。

俗に言う『プリウスミサイル』を受けて撃墜されました。お店を出てから50秒後の出来事でした。

実際の事故現場です。青のラインが私、赤のラインがプリウスです。

私の方には一時停止があります。

↑上記の理由で加害者側に優先権があるということで過失割合の話がややこしくなりました。

一時停止をして左右確認を行った後に発進して二速に入れようとしていた矢先に私から見て左側から走ってきたプリウスがセンターラインをはみ出しこちらに接近してくるのが見えました。

危ない!とハンドルを左にきり、ブレーキを踏んだ瞬間に私の車のフロントバンパーを霞めサイドミラー同士が接触した後に後方に強い衝撃を受け車体が一瞬ブレて浮き上がりました。その瞬間にエンスト。

ほぼノーブレーキ?で衝突してきました。上の図でもわかる通り私はギリギリ左側に寄って回避行動をとってます。

この時点でアクセルはオフでブレーキまでには届いたか定かではないがほぼ停止状態でした。後方への衝撃によって車は少し右向きに移動しましたが…。

ショートカット気味に内回りで右折してきたものですから速度も相当出ていたと思います。その衝撃は凄まじく車体が激しく左右に揺れましてエンジンは即停止し再始動は出来ませんでした。サイドブレーキも操作不可。何故かワイパーブレードだけが動きました。ハザードを焚いて車を降ります。

相手車両はかなり遠く(事故現場から約150m)に停めてましたが、後ろの車がクラクションを鳴らして止めたようです。まさか逃走しようとしていたのだろうか?(後で本人に聞いたらやはり逃亡しようとしたらしい)

私よりも後ろの車の人が降りてくるなり『今のはだいぶ内回りだったぞ!?』と私の代わりに怒ってました。私は茫然自失で最初の言葉は「マジかよ…」でした。

 

フロントバンパー右側を掠めて後部が抉られました。車軸が完全に脱落して走行不能です。

まず私が仮に一時停止を無視したとしても相手側が通常のラインで走行すれば右折車両と左折車両が接触するはずはありませ。私が外側に膨らんだとしたら後輪が外れるくらい衝突することはないと思いますし前方左側に損傷を受けることになると思います。

緊急通報しました

とりあえず先に110番して警察を呼びます。まずここで最初の躓きました。私はてっきりスマホのGPSで場所を即座に特定してすぐに向かってくれるものだと思ってました。

まずは現在地の説明からでした。初めての場所だと詰んでしまうような気がします。かれこれ10分は話したでしょうか…。通報から15分くらいで警察が到着。その間に保険屋に連絡してレッカーの手配まで済ませました。

が!また問題発生しました。レッカーの到着がかなり遅い!手配から約1時間待ち…1時間も交差点を封鎖して警察も手信号誘導するのも大変な話。近くには先程お世話になった車屋さんがあるので社長に連絡したらすぐに来てくれました。状況を確認して近くのレッカー屋を呼んでくれました。これで30分短縮されました…。お金はかかるでしょうが…

私は相手の保険屋と話をしたり実況見分に立ち会ったりととても忙しい…頭がまだ混乱してるのに入ってくる情報があまりにも多過ぎて次々に聞いた話を忘れていきます。

事故が起きた場合にしなければならないのは

1.まずは110番通報し警察を呼ぶ。

2.保険屋に連絡してレッカーの手配。

3.相手の個人情報を入手。名前、住所、電話番号、契約している保険屋、車の車種、ナンバーを控えます。

4.警察が到着したら状況を説明。(ドラレコがあれば話は早いです)

という大まかな流れですがいざ事故が起きると何を先にしなければならないのか分からなくなります。

その後…

食欲無しで眠れませんでした。

そして事故直後の会話など一時的な健忘症なのか忘れてしまい、おまけにしたであろう会話がごちゃ混ぜになってました。

頭もぼんやりして激しい耳鳴りと若干の吐き気で気持ち悪く、そして恐ろしく髪の毛が抜けました。本当に一日でこんなに抜けるの!?と思う程の脱毛量…。まんじりともせず朝まで横になり保険屋さんとのやり取りをしましたが聞いた話は上の空で担当者は誰だっけ?とすぐに忘れてしまう始末…。

そして午後から気持ちが落ち着いてきたのか昨日のことを思い出してきました。

体のこと

午後から意識がはっきりとしてくるに従ってなんか腰が痛くなってきた。その痛みは徐々に強くなっていきちょっと冗談抜きにしてキツくなってきた。

え?痛みは遅れてやってくるってやつ?と本人も驚いてます。これはさすがに長引くといけないと思い病院で検査を受けることにしようと思いました。報告出来るのはここまでです。

いろいろ改造して作り上げた稀少な4ドアワークス…見た目よりも中身にお金かけてます。中には吸音材や制振材をふんだんに使いフルデッドニングしているんです。軽自動車とは思えない程の圧倒的静粛性を手に入れたのです。それは試行錯誤を繰り返し研究を重ねて作り出した絶妙なバランスをもってなし得た静音の究極の形でした。

雨が降っててもドアを閉めればフロントガラスに雨が当たる音しか聞こえない。水切り音は皆無で雨の中でも乾燥路面を走るのと大差ない静粛性でした。

かけた費用と時間は相当です。だからこそ愛着があり気に入って8年間維持してまいりました。そしてなかなか手に入らないメッキガーニッシュを取り入れ軽量なバンのリアハッチを入れることで若干の軽量化を施し完全に唯一無二の車として作り上げてきたのに…

せめて最後は車検切れまで乗って綺麗な形で引退させてあげたかったです。

8年間全く故障無く走ってくれて良い思い出しかない車です。走るのが楽しくて私に翼を与えてくれたんです。

行きたいところに連れて行ってくれる大切な相棒…さようなら。

人生で一番好きな車でした…(´;ω;`)

納得できない!

完全な『もらい事故』です。それで保険を使うと3等級下がるという説明を受けて納得出来ないと思います。衝突したシチュエーションを考えれば小学生でも理解できると思いますが左折車と右折車がどうやって接触できるのかという話ですよ。左折車両が悪ければ前方か左側に損傷を受ける形になると思います。

今回のケースでは左側限界まで回避行動を取りました。尚且つ急停止しましたが回避しきれずに接触しました。

もっと左側に避けていれば避けれたかもしれませんが歩道に進入する形になるのと縁石があって無理だったと思います。なので回避する方法は不可能だったと思います。唯一回避する方法は数秒でも早くか遅くにその事故地点に到達するのをズラすことですが未来予知の能力がないと無理でしょう。

不幸中の幸いとして私が軽自動車で車幅が無かったので横を擦るような接触で助かりましたが普通車の車幅だったら正面衝突かオフセット衝突でとんでもない怪我を負っていた可能性があるということです。

納得出来ないので過失割合は10対0を目指しますよ。こんなに痛い思いして人生で大切な車を失ったんですから。

しかも相手は今年2度目の事故を起こしてます。1度目は居眠り運転だそうです。ここで少し相手にも痛い思いしてもらわないと相手のためにもなりません!

そこのところは逐一報告したいと思います。それではまた!

【生存報告】私は生きる

私は生きています!!

しばらく音沙汰が無くて誰かが寂しがるかもしれないとおこがましいことを考えていたが全くそんなことは無くて、誰にも連絡してないけど誰からも連絡が無くて、私抜きでも世界は通常に動いていくわけでただ何となく一日を浪費しております。

私は適当にブログを書くのが趣味で特に目立つようなこともしてはいないのですが、日々書き綴ったことを後から読み返して「そんなこともあったなぁ…」なんて思えたらいいなと思ってます。

世の中は新型コロナウィルスが蔓延して実に混沌としてきた世の中ですね。私は特にコロナの影響など受けてはいないのですが、移動や外食が制限されるのが地味に辛い。かと言ってマスクはしないとか対策云々で逆張りな発言をしたりして目立ちたく無いし足並みを乱すこともないだろうと感じています。

好きが才能だと知る

好きなこととはなんだろう?と思う時がある。それは物事でも人でもアイドルでもアニメでもいいと思う。何かを好きになり、それを追い求めることができる情熱を持つということはひとつの才能だと思う。

私自身は特にこれが好きだと胸張って言えるものがないので日々やりたくもない仕事をして一日を無駄に浪費しているわけである。正解がある生き方なんてわからないし芸能人みたいにきらびやかな生活を送れる訳でも無い。独りで孤独に生き汚部屋で生活したまに飲むハイボールで贅沢に感じる質素な生活。何も無い日常こそが最上の幸せなのだと思いました。

実に夢が無い話だし取り留めのないことですが、この何にもない凡庸な人生を謳歌している私のブログに訪れる物好きな方は……『ゼロでした!!www』

アクセス数ゼロか…寂しいような悲しいような安堵したような複雑な気持ちです。

人生は欲張りセットの方が楽しい!!

まさにこれです。好きなものを何でもいいから作ろうというものです。これが私の人生の大きなテーマとなっています。好きなことを好きなだけやってみよう!と思える日々を送れることが理想です。

こんな私のブログを読みに来てくれる人がいるのだろうか…?

誰も来なくてもいいじゃないか…未来の自分が読み返せばいいさ。好きなことを見つけていこうと思う。旅も生活も自分の理想に向けて今から出発するのだ。頑張ろう自分。

そういうわけでクッソ忙しい中でもきちんと生きてます。また会いましょう!