日: 2021年5月19日

【独り言】発達障害としての生き方

長年の疑問

自分はどこか他の子供と違うな…と思っていた。それは特別なことではない。例えば天才とか才能があるとか運動神経抜群というわけではない。何となくだが他の人と時間の感じ方が違うことや人の顔が覚えられないこと。物事を忘れやすく取り組まなければならないことの順序をつけることが出来ないこと。

これは発達障害というものではないだろうか?という疑問があった。だとしても、やっぱりな…という気持ちしかない。元々私に普通の人と同じものが備わっているわけではないのだ。特に何が優れているとかあるわけが無い。凡人以下のスペックで稼働しているのだ。

例えるならば原付バイクで高速道路を走るようなものだ。

普通とは何だろう?

では普通とはなんだろうか?私は幼少の頃より普通の人が普通のことをするよりも三倍時間がかかる。それは勉学でも一緒だ。人の三倍の時間をかけて勉強しなければならない。そしてせっかく身に付けたとしてもすぐに忘れてしまう。何故忘れてしまうのだろう?

私は忘れることで生きてこれたのかもしれない…。両親の離婚、祖父母夫婦の血塗れの夫婦喧嘩、祖父の酒乱、引越しによる友達との離別、イジメ、恋人との死別…全てを明確に覚えていたら生きてるのが辛いだろう。

勿論今でも生きてることはツラい。でも自殺なんて選択肢は無い。せめて与えられた命くらいは全うしようと考えている。生きてることに意味など無いのと同じで死ぬことにも意味がないのだ。ただ、この拭いきれない鬱な気持ちだけは何とかしたいものだ。

良かれと思ったことが全て裏目に出たり、いつも失敗してはいけないシーンで失敗しては自信を失っていった。小さな成功の積み重ねが大切ではあるが、どういうわけか私には難易度の高い仕事ばかりが舞い込んでくる。結果はどうあれ全力で取り組むがどうせ失敗するという弱い気持ちが前に出てきてしまう。

それは車の運転にも現れる。自分が信用出来ないのだ。

『あれ?今の交差点は信号青だったっけ?』ということが頻繁にある。そういうことが重なり道も覚えられない、自分の車を停めた場所を忘れるといったことが如実に認識してしまうから自信が無くなってしまうのだ。

どうせなら自分がバカだとわからないくらいバカな方が幸せだったのかもしれない。

中途半端なバカだから泣くことになるのだ。いつも頭がぼんやりして重い体を引きずって生きてる。

理解出来たところで

生き方が変わるわけでもないし、人生が上手い方向へ軌道修正出来る訳でもない。もっと早く自分が発達障害だと認識していれば生き方を選ぶことが出来たのかもしれない。私にとっての山の頂は普通の人にとっての日常なのだ。

例えば気の合う仲間と酒を飲み交わしてどんちゃん騒ぎ…なんてものは私にとってストレスでしかない。そもそも気の合う友達なんていない。人の顔が覚えられないのだ。というか見えていないのだ。いつも人の顔には黒いモヤというかモザイクがかかってるようで見えていないのだ。だから覚えられないのだ。

何かに興味を示し追及する気持ちも理解出来ていない。私には物欲が存在していない。欲しいものがない。物などいくらあっても満たされないからだ。そもそも満たされる気持ちとはなんだろうか?

好きな人もいない

誰かを好きになる気持ちなんてどっかに忘れてきた。どうせいなくなるし、私の人生から消えていった人もいる。きっと私の知らない世界で幸せに生きているのだと思う。私の世界は寒くて暗くて埃っぽい場所だ。誰もこんな世界に来てほしくない。いつも見上げる空は曇り空で雨も降っている。きっと雲の上は明るくて暖かくてみんなは笑いあっているだろう。

どうして人を好きにならないのか?好きになった瞬間に私の心が壊れていく。それはもう失いたくないという気持ちと失うくらいなら自分から捨ててしまおうという気持ちがぶつかり合うのだ。本当ならその人と一緒に生きて行けたらいいなって思うけど、私が住む世界は暗くて寒くて色がない世界だからきっと離れていなくなるよ。その度に涙を流していたらキリが無いよ。

私が捨てたのは誰かを好きになる気持ちでした。

今は好きな人はいない。誰もいない。失うものもない。それを悲しいとか寂しいとか思う人もいるかもしれないが、私にとってはそれが一番自分を守り抜く生存方法だと思っている。生きていくことに意味など無いのだ。

世界は明日に続く

こんな気持ちでこんな駄文を書き綴っているがいつか読み返して『そんな気持ちもあったよね』って笑うことが出来るのだろうか?その前にこのHPが消えてしまうのかもしれない。結構高額なサーバー代を払っているからね。収益化出来るほどPVも無いし逐一読みに来る人もいないので自分専用落書き帳のようになっている。

ブロガーになるとかそういう才能あるわけが無い。かと言ってそうなる努力もしない。なぜなら、いくら積み重ねた努力でもどうせ忘れるからだ。ただ思い出すのも嫌な記憶や気持ちだけは忘れないでふとした瞬間に思い出されるのだ。

そんなこんなで今日が終わり世界は明日へ繋がっていく。

明日はどんな気持ちで生きるのかなぁ?

【事故報告】事態は一変する

過失割合が5対5!?

さて、事故から2日が経過して保険屋同士の話し合いが進んでいるはずだ。事故直後はにいろいろと対応してくれた車屋さんの社長さんは『これは10対0でもおかしくない事故だよ』と言ってくれました。

どう考えてもこの走行ラインで曲がってきた相手車両側(赤のライン)に過失があると思う。何度も言うが仮に私が一時停止を無視して左折しても相手が右折しても左折右折車両が衝突するわけが無い。どちらかがはみ出るかお互いがはみ出ないとぶつかるわけがないのである。

だが事態は一変する!

保険屋の話によると相手は全く反省しておらず過失も認めないというのだ。つまりだよ、ぶつかってきておいて過失は相手(つまり私)にもあるというのだ。

は?

普通に歩道歩いてたら見知らぬ野郎にいきなり殴られても納得出来んの?って話。たまたま歩道歩いてる方が悪いの?って。

私は普通に一時停止して左右確認してから交差点に進入しました。もちろん右折車両があったとしても接触などしないと思うから普通に曲がったと思います。しかし、かなりの速度で交差点に進入してきて気付いたのは左折を開始してギアを1速から2速へチェンジする時です。当然アクセルオフでクラッチは切れてます。ブレーキは間に合いませんでしたが気持ち左側にハンドルをきって回避行動を取りました。

結局は保険屋の力関係!?

結局は保険屋の力関係なんでしょうか?

この事故で過失割合が5対5だとしたら到底安心して道路なんか走れませんよ。

直線道路に例えるならばお互いが車線をはみ出してセンターラインで正面衝突なら5対5でもいいと思います。でも私の場合は普通に車線を走っていたら相手がこっちの車線にはみ出してきて接触して後輪を吹っ飛ばしてしまったんです。これで5対5はないと思います。

契約しているのは安いネット自動車保険ですがこの過失割合が覆らないならば再契約はありえないですね。

これらの事故については第三者の意見を聞きたいところではあります。

この泥仕合はまだまだ続くと思います。とりあえず私は腰に違和感があるので病院へ行きます。結果次第では人身事故になるのかな?