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【日常】久しぶりの日曜日!

1ヶ月ぶりの日曜日休み

日曜日が休みなのは実に1ヶ月ぶりである。先月は交通事故に遭っていろいろゴタゴタがあり…たった二日しか休みが無かった…。もう疲れる…本当に…人並みに週一で休みたい…お金よりも休みが欲しいと思う今日この頃。

そういや最近一日がやたら早く過ぎていく。人生は3万日しかない。その内元気で健康に過ごせるのは半分くらい。そこから睡眠時間を取るとまた半分くらいになるので実質『人間として』生きていけるのは7000日くらいではないだろうか?その中から休日を算出していくと本当に人生とは短いんだなぁと実感してしまう。

とりあえず朝ご飯へ

なにはともあれ腹が減る。すぐに着替えて朝ご飯食べに出る。別に自宅で済ませてもいいのだが個人的に料理が得意では無いのとこのコロナ禍であるなら応援の意味でも外食を多くしようと思っている。だが日曜日というものは車で走るのは怖い。『サンデードライバー』という言葉があるので日曜日は普段運転しない人も運転するようになるわけで、普段なら目にしない運転模様を見ることもあるわけだ。顕著なのがウインカー出したままとか信号待ちでスマホ見てて発進が遅れる人とか…。

向かった先は

利府町『むらさき屋』さんです。ここは昼になると超絶渋滞する人気店なのですが朝はすぐに食べられるという特権があるのです。あっさり節系中華そばって感じかなぁ。結構朝から食べるにはすごく美味しいラーメンだと思います。

朝ラーメン…500円也

 

喉越しが良い細麺とそれに絡む節が効いたスープ。とても美味い…特別な日曜日の朝を演出するには最高の料理だ。

不幸の手紙の処理

そういえば家に不幸の手紙が来ていた。まぁ、住民税の通知なんだけどね…。毎年来るものだから遅かれ早かれ払わねばならんので速やかに払いに行く。とにかく払ってしまえばすっきりするものだ。お金なんて余分なくらいあっても幸せにはなれないのだから…。あとは昼寝を楽しみ午後を満喫。本当に力を抜いて時の流れを感じながら過ごす。

インフルエンサーみたいにいろいろやらなくていい。時には海を眺めながらビールを呑むのもいいかもしれない。若い頃はそんなことなんて思ってなかったけどなぁ。なんでもいいから成功したい、何者かになりたいと血気盛んだったけど早くも挫折したんだよなぁ。結局どんなに頑張っても自分は凡人以下で何にも達成出来やしない。自分の人生の主人公はおろか脇役にすらなれないのだ。そう、ただのモブだ。モブ人生なんだよ。それでもモブとして生きればいいんじゃないの?とも思ったりしてるのは負け組なのだろうか…。

 

こうして私の1ヶ月ぶりの日曜日は終わろうとしている。あとは『明日からまた仕事かぁ』とか思いながら眠るだけだ。

そんな一日の繰り返しなんだよ。私の人生は…。

【独り言】今日も終わった…

今日も終わりました。何事もなく無事に。

いや、まだ私の一日は終わってはいない。
これからトレーニングだ。人生を完全燃焼させるのが今年の目標だ。

一日一日を完全に燃やし尽くす。
もちろん体力も使い果たす。

だってさ、ネット見てると
『筋トレして人生変わった!』
とか
『3ヶ月でムキムキになって自信ついた!』
とかあるじゃないですか。

私は3年ばかり筋トレしても何にも変わんねーの!

鬱が治るとかモテるようになるとかぜんぜん嘘だからね!

いや、そうなる人はいるよ!いるけどさ、自分には該当しなかったんだわ。残念なことに。

いくら筋トレしても疲れるだけで体は変わった気はしないし…てか、日中の労働で疲れ果てて限界まで追い込めない…。

悲しいことにこれが現実なんです。
でも、強くなりたいという気持ちはあるよ。

子供の頃は小児喘息だったらしく(大人になってから判明)体力が無くて体育の授業なんかいつもビリだった。
悔しい思いばかりしていた。
強いってどんな気持ちなんだろう?

自分に負けない強い気持ちってどんなだろう?

どんなに弱くても毎日鍛えていたらいつかは強くなれるんじゃないかって思いたい。

さぁ、トレーニングして疲れ果てて泥のように眠るとする。

最高の一日ありがとう。

人生で1度しか訪れない今日、さようなら。

贅沢を言うと…どうせならもっとマシな人達と一緒にいたかったな。

なんでプライベートでは会いたくない人間と毎日毎日顔を合わせなきゃならんのか…。

 

今日も終わりました

今日も一日終わりました。

空を見上げたらたくさんの飛行機雲が空を縦横無尽に伸びてました。

コロナ禍で少し気分も落ち込み、何となく殺伐とした雰囲気だけど…ああ、今日も生き抜いたなぁって肩の力を落としました。

今日もありがとう。

そして、明日もよろしく。

夜のドライブ

 

夜のドライブが好きだ。

気分転換?

いや、過去と向き合う時間が欲しいのだ。
大人の都合に振り回された子供の頃…もし普通に幸せに育ったら、また別な自分がここにいるのだろうか?

夜の町が好きなのはあの明かりの下にたくさんの人がいて、笑ったり、団欒があったり、中には同じように普通の家庭ではないだろうが…明かりの数だけ人生があると思うとなんとなく気持ちが軽くなるのだ。

誰とも気持ちを通わすことが出来ない寂しさもあるだろう。

あえて孤独を選んだ道は間違いだったのかもそれないと自問自答しながらも思うことは『どうせ居なくなって悲しむなら最初から会わない方がいい』という気持ちが強い。

子供の頃の友達は誰一人いなくなった。

なんとなく距離感というか…人が離れていくのがわかるんだよ。
ああ、また居なくなったって。

つまりその人の人生の中には私など居なくても構わないのだ。

淡白かもしれないが…自分の中ではそういう諦めもある。
彼女を作らなかったのは私と一緒にいる時間の長さだけ無駄になるからだ。
その人の幸せを願うならば、想いが強くなればなるほど離れようとしてしまう。

どうしても自分という存在が邪魔になってしまうのだ。
そして誰かの人生を背負う覚悟も無いし、誰かを幸せにしようなんてことも思えなくなった。

自信がまるで無いのだ。自分と関われば必ず不幸になってしまう。

私には幸せの基準なんてないんだよ。

愛し方も愛され方も知らない。

みんなは幸せかなぁ…。こっちの世界は寒くてかなわないよ。

ダイヤモンド日曜日は砕けない!

日曜日。

いつものように早起きだ。
平日は5分でも長く寝ていたいと思うのだが日曜日ともなると5秒でも寝ているのが勿体ないのだ。

さっさと着替えて早朝散歩へ向かおう。

今回向かったのは松島町の磯崎という地区だ。
ここは漁師町である。

漁港に向かうと既にお仕事をしている人達がいる。

とりあえず邪魔にならないであろう場所に相棒を停めて撮影に臨む。


実は車の写真って殆ど撮らないんだよね。前の車の時もその前の時も撮らなかった。

何故だろうねぇ…今頃になってたくさん写真を撮っておけばよかったと思うよ。

それは家族との写真にも言えること。
どうしても人の脳みそってのは長期保存には向いてても忘れてしまうことがあるのだ。

静かに日の出を待つが水平線近くに雲があるためになかなか太陽が上がってこない。

それに明るくなってくると漁師達の仕事の邪魔になるかもしれないとそそくさと退散した。

そして向かうは松島海岸。
言わずともしれた松島のメイン観光地だ。

いつもなら人でごった返してる観光地に人がいないのは新鮮なものだ。もとよりコロナ禍でだいぶ人出は減っている。

早くコロナは終わってほしい…。

松島海岸を横断して雄島まで歩く。
雄島は僧達の修行場所であったらしい。

雄島へ渡るには渡月橋を歩かなければならない。この渡月橋は別名『縁切り橋』と呼ばれている。

縁切りと言うとネガティブなイメージだが雄島は修行場所であるためにこの橋を渡るからには俗世から縁を切りなさいということなのだ。

気を引き締め歩くと何となく俗世から縁が切れた気がする…なんてな。

雄島には複数の岩窟がある。これは修行僧が掘ったものだ。
この雰囲気…。

ここだけ空気感が違う。

五大堂や遊覧観光船とはまた違う松島の顔だ。

ここまで来る観光客は少ないだろう。だがこの雄島には訪れてほしいと思う。

とにかく静かで岩の間を流れる水の音すら聞こえてくるのではないかと思うくらいの静寂。

雄島に関してはまた別記事でまとめようかと思う。

こうして私のダイヤモンド日曜日が始まったのだ。

ロンリーサンデー

日曜日。

目覚まし時計に急かされることなく自然と目が覚める。

外は白い曇り空…少し残念だな。

やや腰痛気味の体を起こして着替える。

最近の日課になっている朝の散歩をする。

誰もいない観光地の松島。


澄んでいる空気。

静かな環境。

波も無い松島湾は美しい。

時に走ったりして体を目覚めさせていく。


いつもならいたずらに過ぎていく時間を堪能する。全てが愛おしい。

ああ、いいなぁ、日曜日!

やっぱりこれだよなぁ…のんびりしてて。

高い場所に行き空に近付こうとした。


より空気は澄んでる気がする。深呼吸して空に手をかざす。

生きてる。私は生きてるんだ!

ふと見下ろすと町がある。たくさんの人が生活をしている。

何となくだけど、このまま時間が止まればいいのにって思う。

ちょっと20代、30代は鬱に悩まされ自分という存在を抹消したいと思っていた。

死にたいんじゃなくて消えたいって感情。
つまり、最初から自分という存在が無かったことにしたいということ。

人間というのは面倒くさいものでただ死んだって意味もなく金もかかって損をしてしまう。

では生きるってなんだろう?って考えたら

『毎日死にたい消えたい』って思ってる奴が生き続けることに意味があるのではないか?

と思うようになったこと。

でも私は生きながらにして死んでるのと同様だと思う。ありとあらゆる関係を断ち切って孤独に徹している。

誰かと繋がりを持たない気軽さと人と接するプレッシャーのジレンマはあるけど…。

正直しんどい時もあるよ。
全て自分の中で解決しなければならないから。

でもね、これ以上誰かと関係を持ってまた切れるのが耐えられないというか…いなくなるなら最初から繋がりなど持たない方がいいと思ったんだ。

独りで過ごす日曜日…今はただ心は穏やかだよ。

3.日本が揺れた日

水が無い!

これは深刻だった。
だが、ご近所に生活で使っている井戸があったのでそちらを借りれば良いかと思っていたが夜の内にたくさんの人が訪れ水を汲んでいった。
翌朝には井戸が枯れて水が無くなっていたのだ。

深夜になれば幾分人は減るがひっきりなしに訪れる。
今までこんなに人が訪れる場所ではなかったし、井戸があるなんて知らない人も多かったはず。

とりあえずその日は寒くて体力も回復していなかったので家の中に引きこもっていた。
前の日に購入した豚肉は雪の中に隠していたのだ。
それを石油ストーブの上に置いたフライパンでジリジリと焼いて食べた。

時折揺れはしたが体の疲れはピークに達していてその場で横になった。

目が覚めると外は既に暗くなっていた。結構長い時間寝ていたようだ。
ペットボトルを持ち井戸に向かうがまだ多くの人がいた。

もう1箇所山の湧き水が出ている場所がある。そこは飲める水だが噴出量が少なくてペットボトル一つ貯めるにも時間がかかる。それでも背に腹はかえられぬと向かうと誰もいない。
幾つかペットボトルに汲み家に持ち帰り喉を潤した。

たったコップ一杯の水がこんなにありがたいとは…。

その日はまた横になり体力の回復を待つことにした。

翌日には役場に出かけ情報収集してると給水車が来るという情報を得たが肝心の場所がわからない。役場の人もわからないという。

これにはやや混乱したが多少の水の蓄えがあったので焦らずに済んだ。夜になればまた水を汲みにいける。

だがどこから情報を得たのか夜になるとその湧き水が出ている所に長蛇の列が出来ていた。
ペットボトル一つ汲むにも何時間と待たねばならない。

だが異変が起きていた。肝心の湧き水が濁って泥水になっている。余震で水脈が変わったのかもしれない。

しばらくは水無しの生活だったが頭は洗いたいとシャンプーで泡立て近くの小川で流した所頭の血管がブチ切れるのではないかと思うくらいに冷たかった。

あれから何かをしていれば気持ちも落ち着くだろうと水を高齢者宅に届けるボランティアをしていた。
自分にできることはこんなに小さいことだが高齢者には大変感謝された。

「神様のおかげだァ…神様に感謝せねばぁ」
って水を運んできたのは私なんだけどね…。

それから復興事業に関わり8年目にしてその役割を終えたが復興はまだ終わってはいない。

あれからもう10年…

まだ10年…

そしてこれからも…。

2.日本が揺れた日

酷く疲れていた。
重い体を引きずり散らかった家財道具を部屋の隅に追いやり寝る場所を確保する。
何かあった時に逃げやすいようにリビングで寝ることにした。

3mの津波はどうなったろう?
とにかく今は寝よう…と布団を被るとまた緊急地震速報が鳴った。そして激しく揺れる。家は軋み地面からは不気味な地鳴りが聞こえる。

「う、うわぁ…」
全く寝付けない。とにかく何度も揺れる。何度も緊急地震速報が鳴る。
朝まであと何時間だ?今何時だ?
震えながら寝ようとしたが眠れない。

そして、耳を疑う言葉がラジオから聞こえた。

「荒浜付近で2、300人の遺体が発見されたようです!」

もう日本は終わりだと思った。ただ絶望した。
このまま朝を迎えることが出来るだろうか?

朝起きたらいつもの日常で実はこれは夢でした~なんてならないだろうか?

全く眠れないまま朝を迎えた。
部屋の中にいても息が白くなる。相当な寒さだ。

明るくなって家の点検を行う。基礎や外壁に亀裂が入っている。家屋も斜めになり惨憺たる光景だ。

電気はまだ復旧していない。水道の蛇口を捻ると水も出ない…これはまずいぞ。

そしてこの寒さだ。我が家は全て石油ファンヒーターに替えてしまったため電気がないと暖も取れない。

ラジオからは徐々に被害が明らかになってくる。だが女川方面と連絡が取れないということだ。
情報収集のために役場へと向かうととんでもない人集りが出来ていた。さすがに中に入るのも躊躇う。
役場の人は混乱の中対応していたが未曾有の災害でマニュアルもない中で奮闘していた。

津波被害に遭った区域は立ち入り禁止になっていた。まだ水もひいてないようだ。

後に津波は3mどころではなく6~10m…それ以上の高さにまでなっていた。
情報が錯綜していた。

役場の掲示板には手書きのメモ用紙がたくさん留められていた。どれもが家族の安否や行方の情報提供を募っていた。

その中には知っている人の名前が多数出ていた。

時折繰り返される余震に震えながら食料を確保するためにスーパーに向かうが人集りが出来ていて店舗の中まで進めない状況だ。
何分昨夜から何も食べてないのでここで体力を消耗する訳にはいかないだろう。夕方になれば落ち着くはずだと一旦家に戻り後片付けをすることにした。

電気も無い水も出ないとはこんなに不安になるものかと痛感した。

幸いながらトイレは簡易水洗だったので風呂の残り湯を使えば流すことが出来た。
ストーブは近所の方が石油ストーブを持っていたので一機借りることが出来た。
とりあえず上に鍋でも設置すれば簡単な料理をすることが可能だ。

午後に再びスーパーに向かうが相変わらずの人込みだ。
ここまで来たならと我慢して並び店舗で買い物を済ます。多少タンスに現金を置いてたので重宝した。
この状況ではクレジットカードも使えない。

スーパーではカップ麺は軒並み品切れ。
あとウイダーinゼリーのような部類も無い。あるのは野菜と多少の肉だけだ。

肉に関しては停電で保存が効かないことから敬遠したのだろう。
とりあえずカゴに肉を放り込む。今はスタミナが必要だ。
飲料水も全滅していた。ペットボトル関係は全てない。
菓子は多少残っていたので喉が渇くだろうが少しだけ買っておいた。

レジに長蛇の列でなかなか進まなかった。なによりも暗い中店員さんが電卓を叩き会計していたのだ。

これでは進まないと私はバッテリーが残り少ない携帯電話を取り出し店員さんの手元を照らした。

「本当にありがとうございます!貴重な電気を·····」

そしてその中に息子が帰ってこないと嘆いている女性がいた。
情報では仙石線は津波の影響を受けて電車ごと流されたことを知っていた。

女性の息子はその電車に乗っていたというのだ。
偶然にもその電車に乗り合わせたという知り合いの男性がいた。

「ああ、その電車に乗っていた人達なら全員避難して無事なはずだよ。今は近くの避難所にいるんじゃないかな?」
と聞いた途端に女性は泣き崩れた。

「ありがとうございます!ありがとうございます!!」
嗚咽を漏らしながら何度も男性にお礼を言う。
家族の無事を知り安心したのだろう。

誰も不安に晒され押し潰されそうな状況にいたのだ。

携帯の画面を見るとまだ電波は繋がってないらしい。

また不安な夜を迎えることになる。

続く

日本が揺れた日

2011年。3月11日。午後2時46分。
マグニチュード9.0。最大震度7を記録する東日本大震災発生。

その日私は仙台で仕事をしていた。

脚立の上で作業をしていたら緊急地震速報が鳴った。
この時はまだ緊急地震速報が導入されて間もない頃だったので大した事ないだろうと思っていた。

ところが地鳴りと共に激しく揺れ始めたために近くで作業していた人に逃げるように叫んだら背中を丸めて逃げ出していたところだった。

「早っ!?」
と私も脚立から飛び降り建物から逃げ出した直後にドーン!と隕石でも落ちて来たような衝撃と共に今まで体験したことが無い凄まじい横揺れが襲ってきた。
立っていられない程の揺れだ。

建物を見るとRC造にも関わらず豆腐のように歪んで揺れている。
近隣の家電量販店のガラスが割れて崩れる音がし煙が上がり始めた。

ただならぬことが起きたのだ。

すぐに速報が入り携帯の画面を見ると目を疑った。

──高さ3mの津波に注意

高さ3m!?たった1mの津波でも女川は冠水したのだ。3mも来たら無事では済まない。

「3mがぁ…おらい(自分の家)もうダメだなやぁ…」
石巻に住んでいる職人さんが項垂れていた。
それから混乱のまま各々帰宅することになった。

既に道路は渋滞が発生しており街は停電して信号機も機能していなかった。
誰もが同じ思いだったと思う。

早く家に帰って家族の無事を確認したいと。
渋滞にも関わらずそれぞれが順番を譲り信号機が無くても適度に流れていた。

直感的に海沿いや川沿いは危険だと思い、かなり遠回りして山沿いを走っていった。

この日の帰りに給油しようと思っていたので車の燃料は残り僅かしかない。

たどり着けるのか?
信号機も無い一本道の山道にも関わらず長い車列が出来ていた。
車のラジオから信じられない報道がされていた。仙台空港に津波が押し寄せたのだ。

「車が…津波に押し流されていきます!恐ろしい…光景です!」
アナウンサーの僅かに震えながらも冷静に伝えようとする悲痛な叫びが異常事態を伝えるには十分だった。

隣で携帯のワンセグを観ていた同僚が呟いた。

「ああ…もうダメだ…」

その日、3月にしては異様に気温が低かった。とても寒い…小雪もちらついてきた。風も冷たい。

携帯の電池を見ると残り僅かしかない…充電をしておくべきだったと後悔しながらも温存のために電源を切った。どうせ通信も途切れていたのだ。

「おい!やばいぞ!」
同僚が指差した先の橋の継ぎ目が20~30cm程の段差が出来ている。地盤がズレたのだ。

登れるか?
ゆっくり進み若干擦りながらも段差を乗り越えて無事に通過。
脇の駐車場等は地割れどころの騒ぎじゃない。まるでゴジラでも歩いたあとのようにアスファルトが隆起しめくれあがっていた。

会社の駐車場に到着すると車がズレてあさっての方向を向いていた。これだけ揺れたのだ。
車に乗り込みいつもの通勤路を走るが渋滞で思うように進まない。私の車にも燃料は僅かしか入っていない。当然ながらガソリンスタンドも閉まっている。
日が傾き山の影になると一気に暗くなった。

渋滞を回避するために脇道に迂回していくとヘッドライトの照らされた先に水が見えた。道路が冠水している。津波が到達したのだ。

「え?ここまで水来る!?」
後にも先にもあの道路が冠水してるのを見たことがなかった。海からは多少離れてはいるもののその距離を超えて津波が来たのだ。
フルブレーキかけるも間に合わなくて前輪が水の中へ飛び込んだがすぐに後退して事なきを得た。
諦めて再び渋滞の列に加わった。

家に着いたのは陽が完全に落ちて暗くなった頃。
本当に暗い…こんなに暗くなるものか。自分の手すら見えない程に暗い。
真っ暗な家の玄関を開けると家財道具が散らかっている。
足の踏み場もない。

リビングに入ると親父殿が猫を抱えて座っていた。
「おお、無事だったか!?」

電話も繋がらずに不安だったが無事を確認して安心した。

だが本当の戦いはこれからだったのだ。

続く

スーパープラチナム日曜日は気仙沼の旅!

スーパープラチナム日曜日を迎えた私はすこぶる上機嫌で目を覚ました。
なんて言ったって週一しか休めない超ド底辺労働者にとって日曜日は何事にも変えがたい大イベントだからだ。

まず日曜日の始まりは朝のランニングから始まる。

私は住友生命のバイタリティをやっているので保険料を安くするために一日の歩数を稼がねばならない。

これについては多くの不満があるがとりあえず続けている。

ランニングするにあたって風光明媚な松島へと向かう。

朝日を浴びながら景色を楽しみ走れば健康にもいい。

とても良い景色と朝の澄んだ新鮮な空気。日曜日ともなれば車の排気ガスも少ない。

砂浜に車を停めて林道をランニング。とても気持ちが良い…のだが、どうも過度な運動が祟り坐骨神経痛を発症してしまい微妙なフォームで走っている。

多分動かないよりは動いた方がいいかもしれないと運動し続けているが悪化しているような気がする…。

何よりも歩数を稼がねばならないのだ。

バイタリティは最高12000歩で最高ポイントの60ポイントを得ることが出来る。8000歩以下は0だ。
ゴールドランクになるには24000ポイントを貯めなければならない。

60×365=21900…ん?

1年間毎日12000歩歩いても足んなくね???

でも現実問題として社会人が仕事終えてから毎日1時間~2時間歩くってなかなか無いよなぁ…。

ランニングを終えた後は定番となりつつある
『支那そばや石巻』さんで早めのランチ。

塩かけラーメン大盛り

いやぁ、このマイルドな塩スープは絶品。そしてストレート細麺がベストマッチ!
舌に絡まる複雑な旨みがたまらないね。

店主さんから味玉をいただきました。

スープまで完飲し朝のランニングの成果は帳消しになりましたね。

店を出て空を眺めるとどこまでも青い空。雲一つない。

これなら気仙沼に行ってみよう!
三陸自動車道が宮城県では全線開通したのだ。

石巻港ICから乗り込み一路気仙沼へ。

さすがに日曜日だ。いつもよりも混んでいる。ましてや全線開通してからの初めての日曜日。

こりゃあ、法定速度マンもいるだろうなぁ。
長旅になるのでここで思いっきって100kmまで加速。

実は三陸自動車道は過去最高速度70km時代がありましてその癖で80kmくらいでしか走ってないのですよ。

ギュンギュン加速していくが80kmくらいで頭打ちに…あれれ?

アルトCはターボ車なんだけどロープレッシャーターボなので高回転はスッカスカなんですよね。
日常使いに特化してるので低回転から中回転域はフラットだが力強い加速をするけど高速は苦手。

ようやく100kmまで加速すると車体がフワフワして気持ちが悪い。三陸自動車道は結構路面状況が良くない。橋の継ぎ目付近に穴が空いてて脳天まで突き抜けるような衝撃と共にCDが音飛びしたのだ。信じられん…。

その後は三滝堂の道の駅に寄ろうとしたら超絶渋滞…道の駅内の駐車場で転回しそのまま気仙沼まで走ることにした。

三陸自動車道は面白い。アップダウンもあり、海が見えてトンネルもある。目まぐるしく景色が変わる。
退屈な東北自動車道とはまるで違う。東北自動車道は山しかない。

新しく出来た気仙沼の橋に到達。凄い橋だ!
残念ながらドラレコ未装着のために写真はありませんが…とてもいい橋だ。

しかしだね…この橋を渡りきるのに10分もかかった…物凄い渋滞!!

信じられるか?橋の真ん中辺りで停車or減速して写真撮ってんだぜ?しかもデジカメやらスマホやらだ。そりゃあ混むわ!
私もスマホで撮影すれば良かったのかな?とも思ったがハイドラでさえ運転中は画面を見ない。
なによりも自分自身を全く信用していないために万が一事故を起こす可能性もあるので辞めました。
素直に通り過ぎるが吉だなと。

どうせならこのまま宮古まで行ってみようと気仙沼を通過しました。反対車線も同じように橋の中心部を起点に大渋滞でした…ここから帰るよりも宮古を観光してから帰った方がストレスが少ないと思いましたね。

この先にあるトンネルも反対車線が大渋滞になってまして排気ガスがとんでもない事になってました。
なんていうか…サイレントヒルみたいになってましたね…。

結局宮古までは3時間で到着。

かつては下道6時間かかったのが約半分!
渋滞して3時間だから通常ならば2時間半前後で到着するのだ。

凄いなぁ…群馬に行くよりも遠かった宮古がこんなに近くなるなんて信じられない。

宮古に到達した時点で17時を回っていたために近くの道の駅で缶コーヒーを購入して帰路についた。

帰りはスイスイと走りライトアップされた気仙沼の橋を渡り。

おっと忘れた!釜石でラーメンを食べたのだった!
それはまた別の記事で。

そういうわけで私のスーパープラチナム日曜日は移動距離500キロのとんでもない旅になったのでした。

 

定義山の三角油揚げを食べに行こう!

宮城県民なら誰もが行ったことがあるあの場所へと足を運ぶことにした。

仙台西道路を走り向かったのは定義山(じょうぎさん)である。
ここは有名で宮城県民はある目的のために遥々遠くからでも訪れるのである。

それは

『三角油揚げ』です。

分厚い三角の形した油揚げである。何の変哲もない油揚げと思いきや揚げたて熱々が食べられるのだから大人気で日曜日ともなると店の前に長蛇の列が出来るほど。

西方寺というお寺が奥にあるのだが参拝のついでに油揚げを食べるのではなく油揚げを食べるついでに参拝するのが常な気がする…。
私もその1人だ。

この辺は雪が少ない宮城県でも豪雪地帯で1mぐらい雪が積もっていたと思う。こなり解けていたが片隅には山のように雪が積まれていた。


駐車場に車を停めて颯爽と向かうのは

『定義とうふ店』

ここで三角油揚げを買うことが出来る。

ソーシャルディスタンスで並んでいたらおばちゃん2人組に割り込まれてしまった…余りにも空間を取りすぎたかもしれない…。でもさほど並ぶ訳でもないしことを荒立てることもあるまいと大人しく並んで購入。

外の年季の入った汚いテーブルに置かれている七味唐辛子と醤油をかけて食べるのだ。

実はこの醤油は油揚げ専用醤油で特別に油揚げに合うように作られたものだ。
たからお土産用を買って家で食べるとちょっと違うと思うのはこのかけ醤油がないからだ。

家のキッコーマンの醤油では現地で食べるような旨味は得られないのだ。
ぜひ一本買うことをおすすめするが、今度は油揚げ以外にはなかなかマッチングしないのだ。独特の甘みがあるせいなのか目玉焼きにも合わない気がする…。

さて、揚げたてサクサクをいただきましょう。

余談だが私はこの揚げたて熱々を食べると高確率で口の中の上の方が荒れてしまうのだ。
なぜかはわからない…。多分体質だろう。でも美味しいから食べるのだ。

表面はサクサクしてて噛むと中からジュワッと熱い汁が出てくる。美味しい!

この現地で食べるのが堪らないね~。

飲み物は何にしようかな?

たちまち完食すると近くのやきめし屋に並ぶ。これまた定義山に来たら外せないものだ。

通常のやきめしとニンニク味噌がある。どれにしようかなぁ…と悩んでソーシャルディスタンスで並んでいると先程のおばちゃん2人組がまたもや私の前に割り込んだではないか!?

こんのクソBBA!!とか思ったがやきめしは速攻諦めた…なんかもう面倒くさくなってしまった。

立派な山門があり、結構参拝している方が多い。

道路向かいには五重の塔があったりと文化的なものに触れることが出来る。

なんか良いなぁ…この時間…。毎日毎日せかせかと労働していると雲が流れるのを眺める時間でさえ愛おしく感じてしまう。

普段はどれだけ視野を狭くして生きているかって話。

帰りは大倉ダムを観光して帰路につく。

いやぁ、それにしても高い…足が竦んでしまうね。