日: 2021年7月13日

出来ることから少しずつ

最近は民間の仕事が増えて時間的に余裕が生まれている。以前は公共事業ばかりやっていたので現場は朝8時朝礼だ。ゆえに朝はとにかく忙しい。朝5時に起床し6時には出勤だ。ともすれば5時半に会社出発なんてこともあった。

当然工事が遅れてくれば日曜日も関係なしに何週間も連勤が続く。34連勤なんてのもあった。とにかく建設業なんて労働基準法なんて適用されない業界なのだ。まるで犬鳴村だ。

だが民間は大体は9時からスタートだ。これは朝早くに来られて対応をするのが大変なのと騒音関係もあるだろう。正直週休二日制に出来ないなら一日の労働時間を短くしてほしいと思っている。金は欲しいがそれ以上に時間が欲しいのだ。もっともにして長時間働いても金なんか稼げやしない。

以前公共事業をやっていた時は部屋の掃除すら出来なかった。極端な話だと風呂に入る体力と気力もないのだ。当然運動なんかするわけが無い。ジャンクなフードを食い、携帯いじりながらベッドにいると寝落ちするパターンだ。そして極めつけは日曜日だ。公共事業だと大体日曜日も労働を強要される。だから予定など全く組めないのだ。下手に計画を立てようならば日曜日出勤のダメージは計り知れないものになる。

はっきり言えば人間的な文化的な生活など全く無縁だ。公共事業などやってもピンハネされて中抜きされて絞りカスみたいな賃金しかもらえない。残業代なんか出るわけがない。毎日10時間も働き、週7日稼働するのだ。そういう生活を何年も繰り返していたら気が付いたら自分は歳を取り、友人はいなくなり、同期は結婚して家を立てて人間らしい生活をしている。

私は?

何年も変化の無い生活、収入は住民税、所得税、健康保険、年金を払うので精一杯。どうしたら貯金出来るのか?と考えたら休まず仕事して金を使う暇を潰せばよいという地獄の選択しかなかった。

今は少しだけ余裕が生まれた。日曜日も絶対ではないが休めるのは嬉しい。週一の休みでもこんなに輝くのだ。今まで出来なかったことが出来るようになってきた。

部屋の掃除、お風呂、読書は少しだけ、あとは空を見上げることとゆったりと散歩できる少しの時間。

長時間働いたところで幸せにもなれるものでもない。それどころか確実に死に向かっていたのだ。

一日の労働時間は6時間でいいよ。マジで。