東日本大震災から14年の思い
2011年3月11日に起きた東日本大震災から14年が経ちました。
あれから私の日々は様変わりしたけど、何一つ変わらないものがあります。
それは心の奥底に眠る消えない孤独感です。
孤独感と言っても私の孤独感は複雑で、人が周りにいても感じます。例えば仲の良いグループの中にいても、その感覚は消えません。
その正体は私自身も理解できていません。それを理解するのが私の人生の課題なのかもしれません。
そう書くと少し重い感じかもしれませんね。
だが人生は人それぞれ千差万別で、良いか悪いかは別として、人生を前向きに受け止められる日が来る可能性もあります。
皮肉にも孤独感が薄れた人生の瞬間は東日本大震災でした。絶望に打ちひしがれ、誰もが大きな不安にさいなまれていたことでしょう。
そこから這い上がる時の連帯感は少なくとも私の孤独感を和らげてくれたと思います。
ただ思うのは東日本大震災のような大きな出来事があっても私の人生を変えるほどの力はなかったのです。
働き始めてからの人生は思えば労働に明け暮れる毎日で無味乾燥な人生の時間だったと思う。
東日本大震災は悲劇でしたが、私は生き延びました。運が良かったのか、悪かったのか、それは今でもわかりません
だが本音を言えば、もっと生きたかった人と代わりたかったと思います。私の中では東日本大震災は終わっていません。そして復興もまだ完全には進んでいないように思えます。
時折、生きるのが辛い。
私は人に比べると体は弱いし、頭の回転も遅いと感じることもあり、普通に社会で生きるにはしんどく、疲れが溜まりがちです。
それが甘えだと言われれば否定はしませんが、どうにも他の人の人生が順調に見えてなりません。
テレビを観れば他人に危害を加えるような事件が起きており、そんな容疑者に比べればマシな人生と感じる程度です。人畜無害で誰にも頼りにされずに細々と生きていきたいと思ってます。
つまらない人生かもしれないが、私にとってはそれが最良の生き方なのです。
恋人は長年作っていません。関わるのが面倒くさいというより、心の負荷を減らすように無意識に距離を置いているかもしれません。
人間はいつ病気になり、死に至るかもしれないし、事故にも遭う。どうしてもそのことを考えると誰かと関わることが怖いと感じているのかもしれません。
例えば池袋の暴走事故の当事者になったら、私は耐えられないでしょう。悲しみを背負うことなどできない。だが死ぬ勇気もない。重い十字架を背負いながらも少しでも前向きに生きれればと思います。
私が生きていて、思うことは
『このまま老人になれるのか?そして笑顔で生きていけるのか?』
という漠然とした不安です。
こうした生きていく中で葛藤や心の動きを文字にしてみたいと思いました。
漠然とした生きづらさを書き綴っていくことで生きていくヒントや新たに一歩を踏み出すきっかけが見つかるかもしれない。そういう淡い期待を抱きつつ、書き続けます。

孤独感の原因と模索
幼い頃より人に振り回されて、つらい経験を積んできました。それこそ大人の身勝手に振り回されたと言っても過言ではありません。
両親の離婚から始まり、育ち盛りに十分な栄養が摂れなかったことによる虚弱体質、そして何事に対しても臆病でネガティブな性格が、その原因になっている。
そのせいか暗い少年時代を送り、よくいじめられていた。人の心を理解することはとても難しく感じました。
思春期にはもちろん初恋も芽生えました。
同級生に「お前好きな子とかいるのか?」と訊かれ、「◯◯ちゃんが好きなんだよね…」と答えたら彼は大声で「◯◯ちゃんが好きなんだってぇ!!」と叫び笑い声を上げた。
その結果、◯◯ちゃんは泣いてしまい、なぜか私が責められる立場に。それで初恋は終わり。◯◯ちゃんとは卒業まで言葉を交わせませんでした。
あの時から私は人生に対して達観した気持ちになってしまったのかもしれません。そして誰も信用出来ないとさえ思ったのです。
