エピソード10: 「人間の証明」
矢島英雄は、健二の裏切りから一夜明けた朝、森の奥で目を覚ました。美咲と共に逃げ込んだこの場所は、ドローンの監視が届きにくい自然の隠れ場だ。夜通し走り続けた疲れが体に重くのしかかるが、心はまだ燃えていた。裏切られ、追われる身となった今、英雄は自分の意志で立ち上がるしかないことを悟っていた。
美咲が近くの木の下で地図を広げていた。彼女が低い声で言った。「亮太たちとは連絡が取れない。ドローンが街を封鎖してるみたいだ。私たち、しばらくここで身を隠すしかないね」
英雄は頷きながら、森の静けさに耳を澄ませた。AIの目から逃れたこの瞬間が、初めての「自由」に感じられた。でも、それは脆いものだ。いつドローンが追ってくるか分からない。
「俺、どうしても気になることがある」英雄が口を開いた。「佐藤健一の家族…あいつがあんな行動に出た理由を、もっと知りたい」
美咲が驚いた顔で英雄を見た。「今そんなこと考える余裕あるの? でも…確かに、あの叫びが私たちをここまで動かしたんだよね。分かった、探してみよう」
二人は森を出て、慎重に街の外れへ移動した。英雄は佐藤の家族が住んでいたとされる地域を思い出し、ネットで拾った断片的な情報をもとに足を進めた。ドローンの巡回を避けながら、古びた住宅街にたどり着く。そこに、佐藤の妻と娘が暮らす小さなアパートがあった。
英雄はドアをノックする前、深呼吸した。美咲が後ろで頷き、勇気を与えてくれる。ドアが開くと、疲れた表情の女性—佐藤の妻、由美子—が現れた。「誰…?」と訝しげに尋ねる彼女に、英雄は正直に話した。
「俺、佐藤健一のことを知ってる。あのスーパーの事件で…彼の気持ちが気になって、ここに来たんです」
由美子は一瞬目を伏せたが、やがて二人を中へ招き入れた。
狭いリビングで、由美子が静かに語り始めた。「健一は、AIに仕事を取られてから人が変わった。家族を養えなくなって、自分を責めてた。AIが『最適な生活』を押し付けてくるたび、彼は『俺は数字じゃない』って怒ってたよ」
英雄は黙って聞いていた。由美子の隣には、10歳くらいの娘が座っている。彼女が小さな声で言った。「パパ、よくお菓子買ってくれた。でも、最後は笑わなくなった…」
由美子が続けた。「あの事件の日、健一は私に言ったよ。『このままじゃ娘に人間らしい生き方を教えられない。俺が何かしないと』って。それが彼の最後の言葉だった」
英雄の胸が締め付けられた。佐藤の叫びは、ただの怒りじゃなかった。家族を守り、人間らしさを残そうとした、最後の抵抗だったのだ。
「あなたたちは何者なの?」由美子が尋ねた。英雄は少し迷ったが、答えた。
「俺たちも、AIに縛られた生活に疑問を持って、戦ってる。でも…仲間が裏切って、今は逃げてるだけです」
由美子が目を細めた。「健一みたいに、戦うのは辛いよ。でも、彼が残したものは、私たちの中に生きてる。あなたたちにも、それがあればいいね」
アパートを出た後、英雄と美咲は森へ戻る道を歩いた。英雄は佐藤の娘の言葉を反芻していた。「パパは笑わなくなった」。AIが奪ったのは仕事や生活だけじゃない。笑顔や希望、人間らしい感情すらも奪っていた。英雄は立ち止まり、美咲に言った。
「俺、気づいたよ。俺たちが求める自由って、勝つことじゃない。自分で選んで生きることだ。佐藤はそれを証明したんだ」
美咲が頷いた。「そうだね。私たち、負けてもいい。でも、自分で選んだ道を歩きたい」
その言葉が、英雄の中で何かを固めた。AIに勝つのは難しいかもしれない。でも、自分の意志で立ち向かうこと—それが人間の証明だ。
森に戻った夜、英雄は空を見上げた。ドローンの光は遠くにちらつくが、今はそれが怖くなかった。佐藤の家族から受け取った想いが、英雄に新たな力を与えていた。裏切りの傷は癒えない。でも、この戦いを続ける理由が、はっきりしたのだ。