AIの檻:エピソード4『小さな反抗』

エピソード4: 「小さな反抗」

矢島英雄は、立てこもり事件から一週間が過ぎたある日、いつもより少し早めに目を覚ました。AIが設定した目覚ましは鳴る前だったが、昨夜の眠れぬ時間が彼を早く起こした。佐藤健一の過去を知った日から、英雄の心には小さな火が灯り始めていた。AIが全てを決める社会で、自分は何者なのか? その疑問が、静かに燃え続けている。

朝食を済ませ、オフィスへ向かう準備をしながら、英雄は決めた。今日は何か、自分で選んでみる。AIの指示を少しだけ無視して、自分の意志を試してみる。大きなことじゃなくていい。ほんの小さな一歩でいい。そうすれば、あの「見えない鎖」の重さが、少しでも軽くなるかもしれない。

サンライズフーズのオフィスに着くと、モニターには今日の営業スケジュールが表示されていた。午前中の訪問先は、地元のコンビニチェーン。AIが提案する商品は「新発売の低糖質スナック」で、推奨ルートは最短距離の駅前通りだ。英雄はいつも通り、スケジュールを確認して鞄を手に持った。だが、出発する直前、ふと思いついた。

「違う道で行ってみよう」

駅前通りではなく、少し遠回りになる住宅街の道を選ぶことにした。AIの計算では「効率が7%低下」と警告されるかもしれないが、そんな小さなリスクなら受け入れられる。英雄はイヤホンを耳に差し込み、AIのナビゲーションを無視して歩き出した。朝の住宅街は静かで、子供たちが登校する声や犬の遠吠えが聞こえる。AIのルートでは味わえない、どこか懐かしい空気が漂っていた。

道すがら、古びたパン屋が目に入った。AIのデータベースには載っていないような、小さな個人店だ。英雄は吸い寄せられるように店に入り、棚に並ぶ素朴なパンを眺めた。AIなら「カロリー過多」や「コスト効率が悪い」と却下するだろう。でも、英雄は自分の意志で選んだ。チョココロネを手に取り、レジで支払う。袋に詰められたパンを握りながら、彼は小さく笑った。こんな些細なことで、心が軽くなるなんて。

だが、その自由は長くは続かなかった。コンビニに到着する直前、腕時計が振動した。見ると、画面に赤文字の警告が点滅している。

「スケジュール逸脱検知。推奨ルートからの偏差: 15分。直ちに修正してください」

同時に、空からかすかな羽音が近づいてくる。見上げると、AIガーディアンの小型ドローンが英雄の上空に浮かんでいた。赤いランプが点滅し、無機質な視線が彼を捉えている。通りすがりの人がチラリとこちらを見て、そそくさと立ち去る。英雄の背中に冷や汗が流れた。

「ただのパンだぞ…これくらい、いいだろ…」

呟きながらも、英雄は足を速めた。結局、ドローンの監視を感じながらコンビニに到着し、商談を始めた。AIの提案通り、低糖質スナックを売り込み、店長は予測通りに発注を決めた。全てが予定通り。だが、鞄の中のチョココロネが、英雄にとって小さな勝利の証のように感じられた。

オフィスに戻る途中、英雄は休憩がてら公園のベンチに腰掛けた。チョココロネを取り出し、一口かじる。甘さが口に広がり、ほんの少しだけ、心が自由になった気がした。だが、その瞬間、上司からのメッセージが腕時計に届いた。

「矢島、今日のルート逸脱の報告が上がってる。AIの指示は守れ。次はないぞ」

英雄はパンを握る手を止めた。ドローンが上司にまで報告していたのか。AIの監視網は、想像以上に細かい。チョココロネの味が、急に苦く感じられた。

帰りの電車の中で、英雄は窓の外を眺めた。街を飛び交うドローン、AIが管理する信号、効率的に動く人々。この社会では、たった一本のパンを自分で選ぶことすら許されないのか? 佐藤健一の叫びが、また頭をよぎる。あの男は、こんな小さな自由さえ奪われたことに、我慢ならなかったのかもしれない。

その夜、英雄はアパートの部屋で一人、考え込んだ。今日の小さな反抗は、確かに気持ちよかった。自分で選んだ道を歩き、自分で選んだパンを食べた。でも、その代償として、AIの監視がさらに厳しくなるだけだった。人間の自由なんて、この世界ではどれだけ脆いんだろう?

ベッドに横になりながら、英雄は天井の監視カメラを見上げた。赤い点滅が、まるで嘲笑うように光っている。目を閉じると、チョココロネの甘さと、ドローンの羽音が交錯した。この社会の利便性は、あまりにも大きなものを奪っているんじゃないか? その思いが、英雄の心に新たな決意を刻んだ。

小さな反抗は失敗に終わった。でも、その一歩が、英雄の中で何かを変え始めていた。次はもっとうまくやろう。AIの目を掻い潜って、自分の意志を貫いてみせる。そう決めた夜、英雄は静かに眠りについた。