魚腐 第11章『魚腐の果て』

第11章: 魚腐の果て

夜の冷気が下町を包む中、黒島樹は再び港の奥の倉庫へと向かっていた。十一日目の夜。昨夜の探索で見た機械音と赤黒い染みが頭から離れず、眠りは悪夢に支配されていた。この町が腐っているなら、コンテナの中身がその証拠だ。知らなければ腐り続ける。知れば終わるかもしれない。だが、もう後戻りはできなかった。借金取りからの最終通告が現実となり、今夜が最後の期限だ。金はない。逃げ場もない。真実だけが、樹を突き動かしていた。

港の裏道を抜け、錆びた鉄柵が並ぶ路地を進む。腐臭が風に乗り、鼻を突く。倉庫に近づくと、トラックが停まり、男たちがコンテナを運び出している。樹は物陰に身を隠し、割れた窓から再び中を覗いた。

倉庫の中は薄暗く、機械が低い唸りを上げている。床には赤黒い液体が広がり、魚の残骸と血が混じったような異臭が漂う。壁に吊るされた錆びたフックや刃物が、薄光に照らされて鈍く光っていた。樹の視線が床を這うと、隅に置かれた古いコンテナが目に入った。蓋が半開きで、中から何かが覗いている。赤黒い塊――魚の形ではない。人間の腕のような輪郭が、闇に浮かんでいた。

(何!?)

息が止まり、頭が真っ白になる。幻覚ではない。あれは現実だ。だが、確信する前に、背後から足音が響いた。振り返ると、佐藤が立っていた。冷たい目が樹を貫き、低い声が空気を切り裂く。

「黒島……お前、ここで何してんだ?」

樹は言葉を失い、逃げようとしたが、佐藤の手が肩を掴んだ。力が強く、骨が軋むほどだ。

「見ちまったのか? 余計なことすんなって言っただろ。」

「何だ……あれは!? 人間なのか!?」

佐藤の目が一瞬揺れ、すぐに冷たく固まった。

「魚だ。腐った魚だ。それ以上知る必要はねえ。お前、借金返すために働いてんだろ? 黙って運べ。」

佐藤は樹を倉庫の外に引きずり出し、トラックの荷台を指差した。コンテナが積まれ、腐臭が漂っている。

「今夜、これを運べ。それで終わりだ。」

樹は震える足でトラックに近づいた。コンテナの重さが掌に伝わり、赤黒い染みが隙間から滲む。頭の中で、倉庫の塊と幻覚が混じり合う。佐藤の声が背後から響く。

「運ばねえなら、お前がここで終わる。選べ。」

選択肢はなかった。樹はコンテナを運び、トラックに積み込んだ。エンジン音が鳴り響き、港の奥から離れていく。だが、掌に残る冷たさと腐臭が、頭から離れなかった。

寮に戻った樹はベッドに倒れ込んだ。携帯が震え、借金取りの声が耳に突き刺さった。

「黒島、時間だ。金はどこだ? 今から行くぞ。」

電話を切り、樹は天井を見つめた。倉庫の赤黒い塊、佐藤の脅し、運んだコンテナ――すべてが頭の中で渦を巻く。

「魚じゃない……でも、確信できない……」

波の音が遠くから聞こえ、腐臭が部屋に漂う。目を閉じても、闇の中で赤黒い腕が動き続けていた。