魚腐 第12章『腐りきった終わり』

第12章: 腐りきった終わり

夜の闇が下町を覆う中、黒島樹は港南水産の倉庫に立っていた。十二日目の夜。最後の仕事だ。昨夜、佐藤に強制され運んだコンテナの重さが掌に残り、倉庫で見た赤黒い塊が頭から離れない。魚か、人間か――確信は持てず、幻覚と現実が混じり合ったままだった。借金取りからの脅しが現実となり、今夜が最後の期限。金はない。逃げ場もない。だが、運び終えれば借金の一部を返せるかもしれないという淡い希望が、樹を動かしていた。

倉庫の中は冷気が漂い、労働者たちの無言の動きが続く。佐藤の鋭い視線が背中に刺さり、樹は最後のコンテナに手を伸ばした。冷たいプラスチックが掌に張り付き、腐臭が鼻を突く。隙間から赤黒い染みが滲み、心臓が締め付けられる。頭の中で、倉庫の塊と幻覚が再び浮かんだ。だが、もう問いただす気力はない。運ぶしかない。

トラックにコンテナを積み込む。重さが腕に伝わり、腐臭が喉に絡みつく。佐藤が近づき、低い声で告げる。

「これで終わりだ。金は渡す。後は知らねえ。」

樹は黙って頷き、トラックに乗り込んだ。エンジン音が鳴り響き、港の奥から町の外れへと向かう。窓の外には、錆びた鉄柵と打ち捨てられた漁具が過ぎていく。荷台のコンテナが揺れ、微かな軋みが聞こえた気がした。だが、目を凝らす勇気はない。知りたい衝動は、恐怖と疲労に飲み込まれていた。

目的地に着き、コンテナを下ろす。男たちが無言で受け取り、闇に消えていく。樹は立ち尽くし、掌に残る冷たさと腐臭を見つめた。佐藤から渡された封筒には、数万円が入っている。これで借金の一部を返せるかもしれない。だが、完全な解放ではない。借金取りが今夜来るなら、まだ終わりは見えない。

寮に戻らず、樹は港の岸辺に佇んでいた。波の音が響き、潮と腐臭が混じり合う。携帯が震え、借金取りの声が耳に突き刺さった。

「黒島、どこだ? 金は用意したか?」

「……少しだけある。待ってくれ。」

「少しじゃ足りねえ。すぐ来い。」

電話が切れ、樹は海を見つめた。トラックが遠ざかり、視界から消える。コンテナの中身は結局分からなかった。魚か、人間か、それとも別の何かか――真実を知る機会は失われ、腐った疑問だけが残った。町を出るか、残るか。決断する気力もなく、ただ立ち尽くしていた。

頭の中で、赤黒い塊が浮かび上がる。幻覚か現実か、もはや区別がつかない。この町が腐っているなら、樹自身も腐りきっているのかもしれない。風が吹き、腐臭が鼻をつく。目を閉じても、闇の中で何かが動き続けていた。