第3話:禁じられた視線
月のクレーター都市は、今日も変わらない静けさに包まれていた。ドームの天井越しに見える星々が、私の日常を淡々と見下ろしている。私はルナ、「月の人」。白い血を流し、少ない酸素で生きるために作られた存在だ。昨日、アレンに会ってから、頭の中が少し騒がしい。火星の話、地球の写真。あの赤い星の少年が、私の世界に小さな波を立てた。
朝の点検作業を終え、私はいつものようにドームの端へ向かった。アレンたちがまだ荷下ろしをしているはずだ。彼にもう一度会って、もっと話を聞きたい。そんな気持ちが抑えきれなかった。でも、足を踏み出した瞬間、背後に冷たい視線を感じた。
「ルナ、どこに行くんだ?」
振り返ると、そこには月の管理者、エリスが立っていた。灰色の制服に身を包み、鋭い目で私を見据えている。彼女は「月の人」ではない。赤い血を持つ人間で、月の富裕層の一人だ。私たちを監視し、管理するのが彼女の仕事。
「ただ、散歩です」
私は平静を装って答えた。でも、エリスは目を細めて近づいてきた。
「散歩か。火星の船員と接触してるという噂が立ってるが、まさか関係ないよな?」
心臓が跳ねた。アレンと会ったのはほんの二回。それなのに、誰かが気づいたのか。
「そんなことないです。仕事以外で人と関わるなんて、私には必要ないですから」
嘘をつくのは苦手だ。声が少し震えた気がした。エリスはしばらく私を睨んでいたが、やがて背を向けた。
「ならいい。だが、余計なことをすればどうなるか、分かってるな?」
その言葉が空気に重く響き、私は小さく頷くしかなかった。
エリスが去った後、私はこっそり着陸場へ向かった。アレンはそこにいた。荷物を運び終えたのか、他の船員と話しながら笑っている。その姿を見た瞬間、胸が少し軽くなった。
「お前、また来たのか」
アレンが気づいて近づいてきた。私は周りを気にしながら、小声で言った。
「うん。昨日のお礼。写真、見せてくれてありがとう」
アレンはニヤッと笑って、ポケットからまた写真を取り出した。
「いいよ。ほら、もう一回見てみろ」
私はそれを受け取り、青い地球をじっと見つめた。火星の話もいいけど、この写真には特別な何かがある気がした。
「これ、本当に地球だったんだね。私、こんな星に憧れるなんて初めてかも」
言葉が自然にこぼれた。アレンは少し驚いた顔をしてから、優しく笑った。
「なら、いつか一緒に見に行こうぜ。赤い地球じゃなくて、青い地球をさ」
その言葉に、私は目を上げた。一緒に。そんなことが本当にできるなら。
でも、その瞬間だった。遠くから足音が近づき、アレンが急に写真を引っ込めた。振り返ると、エリスの姿が再び見えた。彼女は私たちを冷たく見つめ、ゆっくり近づいてくる。
「ルナ、言ったはずだ。余計なことはするなと」
声に怒りが滲んでいる。アレンは眉を寄せたが、何も言わなかった。私は慌てて口を開いた。
「ただ、話してただけです。悪いことじゃないですよね?」
エリスは鼻で笑い、私の腕を掴んだ。
「悪いかどうかは私が決める。お前はこっちへ来い」
私はアレンに助けを求めるように目をやったが、彼はただ黙って見ているだけだった。エリスに引きずられるように歩きながら、私は思った。アレンとの時間が、こんなに簡単に壊れるなんて。
ドームの端で、赤い地球が静かに輝いていた。私とアレンを引き離すように。