2.羆

夜。

風と雪が山小屋の壁を叩きつける。古く隙間だらけの壁がギシギシと不気味な音を立てていた。
隙間から風が入って火が揺らいでいた。

「穴持たずなんだ」
武三が呟く。
「…アナモタズ?」
シュクレンが火を見ながら訊く。
「体が大き過ぎて冬籠もりする穴が見つからない熊の事だ。そういう奴はいつも空腹で凶暴で食うことに貪欲だ」
武三は銃を常に身に付けていた。その銃は綺麗に整備され、ぬらぬらと妖しい光を放っていた。

その夜、武三は一睡もせずに起きていた。吹雪の音に耳を済ませ神経を研ぎ澄ませていた。

翌朝、昨日の吹雪が嘘のように止み、空気まで凍ってしまったかのような静寂に包まれていた。
「静か…」
雪を踏む乾いた音だけが耳に届いていた。
先を歩く武三は振り向くこと無く前を見据えて歩いていく。
「…さ、寒い…」
シュクレンは身を縮めて震えている。
「当たり前だ。その服装でここまで歩いてこれたのが不思議だ」
武三はぶっきらぼうに言うが、来ていた毛皮を脱ぎシュクレンに被せた。
「あ…」
「気にするな。俺は寒さに慣れている」
突然、木が揺れて枝の雪が落下した。咄嗟に武三は銃を構えた。その視線を追うと空にカラスが飛び出した。

「あ!だ、駄目!」
シュクレンが慌てて制止する。
「カラスか…」
武三はそう呟き銃を下ろした。カラスはトンビのように円を描き空に舞っている。
シュクレンが頷くとカラスは空の彼方へと飛び去っていった。
「しかし、カラスなんて珍しいな。この山で見たのは久しぶりだ」
「…そうなんだ」
「カラスは賢いからな。こんな餌の無い山に棲んでも生きていけねぇ。人間が住む集落付近に巣を作るんだ。人間が居れば餌は豊富にあるからな」
どれほど歩いたろうか。道無き道を歩き、雪に足を取られながら武三の後ろをついていく。
すると眼下に家屋が見えてきた。屋根からは煙が上がり人の生活を思わせた。
「あそこが村落だ。あと少しだぞ。頑張れ」
「…うん」
すると一瞬風に乗って仄かに獣臭を感じた。
「ん…」
歩いて来た山の方を見ると先程は無かった黒い岩のようなものがそこにあった。
シュクレンはそれを凝視する。
それは蠢くと光る目をこちらに向けた。森の暗がりの中にいたので身の丈は確認出来なかったが恐ろしく巨躯の獣だった。
「んあ…」
武三の裾を引っ張り知らせる。
「ん?どうした?」
振り向いた武三に獣がいた場所を指差すがそこには既に姿は無かった。
武三はしばらくその場所を眉をしかめ目を細めて見つめていた。その指は銃の引き金に宛がっていた。
何かを呟いたがシュクレンは聞き取れなかった。

「行くぞ」
銃を下ろし武三は歩き出した。