LUNA−遥かなるEDEN− 第1話『月と火星の境界』

第1話:月と火星の境界
月のクレーターに広がる都市は、灰色の静寂に包まれていた。人工のドームが空を覆い、その向こうに広がる宇宙は果てしない闇と星の瞬きだけを映し出す。私はそのドームの端に立ち、いつもと同じように赤く染まった地球を見つめていた。あの星はかつて青く輝いていたと聞く。でも、私が生まれた時にはもう、荒涼とした赤い大地しか残っていなかった。
私の名前はルナ。15歳。「月の人」として生まれた新人類だ。白い人工血液が私の体を流れ、少ない酸素でも生きられるように作られている。私たちは月の富裕層のために存在し、彼らの快適な生活を支える労働力として働く。それが私の日常だった。
今日もクレーターの外縁で、空気浄化装置の点検を終えた私は、少しだけ立ち止まって地球を見上げていた。風はない。月の表面にはそんなものは存在しない。ただ、ドームの中を循環する空気が私の髪をわずかに揺らすだけだ。
「ルナ、またサボってるのか?」
背後から声がした。振り返ると、同僚のミアが呆れた顔で立っていた。彼女も「月の人」だ。白い髪と、透き通るような瞳。私と同じ血が流れている証拠。
「サボってないよ。ちょっと休憩してるだけ」
私は笑って誤魔化した。ミアは肩をすくめ、「まあいいけど、管理者にバレたらまた説教だよ」と言いながら去っていった。
その時だった。
ドームの端に設けられた着陸場に、けたたましい音が響き渡った。火星からの物資輸送船だ。赤黒い船体がゆっくりと降下し、金属の足が地面に着く。扉が開き、埃まみれの作業着を着た船員たちが次々と出てきた。彼らは火星生まれの人間たち。貧困層と呼ばれる人々だ。私たちとは違う、赤い血を流す者たち。
その中に、一人だけ目立つ少年がいた。背が高く、乱れた黒髪が額に落ちている。17歳くらいだろうか。作業着の袖をまくり、荷物を運びながら周囲を見回していた。私と目が合った瞬間、彼は少しだけ動きを止めた。そして、軽く手を振ってきた。
「何?」
私は思わず呟いた。
知らない相手に手を振られるなんて初めてだ。少し戸惑いながらも、私も小さく手を振り返した。すると彼は笑顔を見せ、荷物を肩に担いだままこちらに近づいてきた。
「お前、月の人か?」
彼の声は低くて、少し掠れていた。火星訛りが混じる話し方。私は頷いた。
「そう。ルナって言う。あなたは?」
「俺はアレン。火星から来た。見習い船員だよ」
アレンは荷物を下ろし、汗を拭いながら言った。彼の瞳は深く、どこか地球の話を知っているような色をしていた。
「地球、見たことある?」
突然の質問に、私は首を振った。
「ないよ。月から見るだけ。赤い星でしかない」
アレンは少し黙ってから、ポケットから小さな写真を取り出した。そこには青い海と緑の森が映っていた。
「これが昔の地球だ。祖父母が見せてくれた」
私は息を呑んだ。そんな地球、想像もできなかった。
その時、船のスピーカーから呼び出しの声が響いた。アレンは写真を仕舞い、「またな」とだけ言って荷物を持って去っていった。私は彼の背中を見送りながら、なぜか胸がざわついているのを感じた。
ドームの外、着陸場に停まる宇宙船を眺めながら、私は思った。アレンに会えたら、あの写真の話をもう少し聞きたい、と。