【エッセイ】ボンレスハムとしての生き方を

「昔はスリムで引き締まっていたんだよ」

というお話を若い頃に中高年の方々から拝聴したことがある。

えー、今はそんなに肥えてるのにですか?と小馬鹿にすると決まり文句は「お前も絶対にそうなるから」と言われたものだ。

あれから数十年の時が流れ「昔は良かった」が口癖になるが実は大して良かった思い出もなく、断然今の方が便利な世の中で生きやすいと思っている。ここで言う「昔は良かった」は若くて感受性が高く些細なことで感動していたからだと思う。
今からALWAYS三丁目の夕日のような昭和の世界に戻れと言われたらお断りだ。

だが明らかに体型はスリムではなくなっていた。昔からガリヒョロでやたら大飯喰らいだったが、大飯喰らいそのままで現在まで歩んできた。
気が付けば私の腹はすくすくと育ち胴回り30cmほど太くなっていた。

だが先見の明なのか若い頃から太るかもしれないということでズボンを常に腰回り100cmの大きなサイズを買っていたので太っている実感を得ることなく20年前に購入したズボンを今でも穿いていた。しかもギャザーが付いていたからなおさらだ。

それゆえに気付くのが遅れてしまい、私の腹はボンレスハムのように割れていた。
マッチョのようにシックスパックではない。まるで尻が腹に引っ越して来た感じだ。ヘソが肛門のようになっている。

どうして今まで気が付かなかったのか?と深く後悔したが時すでに遅し。
人前に出る時はなるだけ息を吐いて止めて~はい、そのまま~とレントゲンを撮る要領で腹を意図的に凹ましていた。

だが夏になると誤魔化すことも難しくなるので春辺りから少しずつ腹を見せるようにしていった。
夏になると人一倍汗をかくのにどうして痩せないのかと己の体に限界を感じていた。脳みそは若いままと思っているのに体は確実に老いているのだ。

私は選択を迫られていた。

今から鍛え上げてシルベスター・スタローンのような体になるか、或いはこのままボンレスハムとして生きるのか?

私の頭の中に戦いのゴングが鳴った。

「何してやがる!ジムに帰ってトレーニングだ!!」
心の中でミッキーが叫ぶ。

チャラ~ラ~♪チャラ~ラ~♪チャラ~ラ~♪チャラ~ラ~♪

ロッキーのテーマがエンドレスループで流れる。
私の体はみるみる間に細くなり若い頃よりも気骨隆々に変貌していった。とにかく三年間頑張った。
すでにボンレスハムの面影はない。このまま頑張ればなかやまきんに君の『パアワァァアー!!』が使えそうだ。

それからは来るべき日のために鏡の前で毎日『パワー!!』と叫んでいた。

若い時以上の肉体を手に入れ、誰しも人生に三度はあると言われる『モテ期』が到来するのかとワクワクしていた。私の人生にはまだモテ期とやらは訪れていない。いや、自らモテ期に突入するのだ!と意気揚々と日々トレーニングに励んでいたある日のこと。

交差点で左折をしようとしていた私の車に車線を逸脱して走行していたプリウスに突撃され車は大破し私は重傷を負ってしまった。
半年に渡る治療の甲斐なく後遺症を抱え生きている。

半年の間は運動という運動も出来ずに気が付いたら体はまたボンレスハムになっていた。

当然モテ期など訪れるはずもなく、太い体で細々と生きるボンレスハムとなったのだ。