今日という日

世の中には同時にたくさんの仕事をこなせる人がいる。それは天才的だ。私には到底真似出来ない。趣味で書いてる小説でもそうだ。ひとつのストーリーで精一杯だ。一時期は同時にいくつかのエピソードを書いていたが現在は無理だなぁ。これが老化ってやつか。

今日は夏本番の前に劣化して穴が空いた網戸を交換した。出来ることから一つだけやる。田舎暮らしなので例年だと網戸にする程夜は暑くはならないのだが今年は少し暑いかもしれないと危惧してのことだ。

もっともにして猫によく破壊されてしまうので網戸の張替えは夏の風物詩みたいなものだな。猫を飼うと本当に大変だ。掃除だって頻繁にやらねばならないし、買ったばかりのソファーもほつれや穴だらけになってしまう。正直猫を飼うことに反対だったのだがね。私は家の中に植物すら置きたくないのだ。つまり人間以外に命あるものは入れたくない。

植物など家の外にべらぼうに生えてるしわざわざ家の中に引き込むこともないだろう。どんなに綺麗な花だっていつかは枯れるし、家の中にあるのは自然ではない気がする。これは屁理屈だが、分かりやすく説明すると『世話をするのが面倒くさい』のだ。自分が生きるだけで精一杯なのに自分以外のものに時間や労力を使えるくらいに余力がないのだ。

でもこの気持ちは年間休日が70日未満のブラック企業の傘下に籍を置いてるから心のゆとりがないだけかもしれない。もう少し稼げて休日もあればまた変わるかもしれないな。

ああ、そうだ。ワクチン摂取の予約を済ませた。本来は打ちたくはない。

『注射は痛いから怖い』からだ。別に思想やなんたらかんたらの複雑な事情ではない。それにワクチン摂取の証明書とやらがないと仕事をやらせないとかいう高圧的なことをされる気がする。もっともにしてそういう現場では働きたくないのだが零細労働者としては選ぶ権利がないのだ。

今日も何事も無く1日が終わろうとしている。実に緩やかな人生とも言えるが刺激がないといえばそれまで。

出来ればもっと小説を書く暇と体力を残しておきたいものだな。とりあえず睡眠はとても大切だ。早く寝よう。

そういえば今日は一度しか空を見上げなかったな…。