17.羆

「…私が…囮になる…」
シュクレンの申し出に男達二人は安堵の表情を浮かべる。
「大丈夫か?」
武三は目を細めシュクレンを睨むように見ると大きく息を吸った。
シュクレンが頷くと武三は銃に弾を込める。
「もし俺が狙撃を失敗した場合、お前の命は無い…」
武三の言葉に男達は唾を飲み込み、武三とシュクレンを交互に見ている。
「…武三…信じてる…」
二人の間にほんの一瞬沈黙が続くと武三は初めてシュクレンに笑顔を見せた。
「ふふ、これは絶対に外せねぇな!任せておけ!おい!お前達は風よけになってくれ!こうも風が強くちゃたまらねぇ」
「わ、わかった!」
男達は武三の脇に立って風を遮る。
シュクレンは羆の方に近付いていった。少しずつ距離が縮まっていく。凍った髪が頬を叩き体全体が心臓になったように大きく脈打ち始める。己の息さえも凍てつくような厳寒の山嶺で羆と対峙するのだ。
すると羆がシュクレンの存在に気付き、鼻息を荒くして体を起こす。
羆の血塗れの顔には雪が積もっていた。
「…大丈夫…怖くない…怖くない…」
少しずつ羆との距離を縮めていく。すると羆が立ち上がった。
「…あぁ…」
思わず後ずさる。足がガクガクと震え、呼吸が乱れた。背中に冷たい汗が流れる。

その瞬間、銃声と共に羆の胸から出血した。
武三が放った弾丸は羆の心臓を撃ち抜いた。羆が武三の姿を見る。咆吼を上げた瞬間、二発目の弾が羆の眉間を撃ち抜いた。
羆の巨体はぐらりと傾き、大きな振動と共に地面へと倒れた。
羆の体から血が流れ大きな血だまりを形成していった。
「武三!!やったぞ!!」
男達は歓喜し飛び上がっているが武三は微動だにせず撃った姿勢のまま動かなかった。
シュクレンは大きなため息をつくと武三の所まで歩いていく。武三はシュクレンの姿に気が付くと懐から煙草を取り出した。その手はガタガタと震えている。
「倒した…倒したぞ…」
覚束無い手で煙草に火を点けると一気に煙を吸い吐き出した。
ほんの数分の間に武三は憔悴しきったように顔のシワは深くなり、体を肘で支えていた。
そして、シュクレンの方を見ると笑った。
「よく、頑張ったな!」
「武三…笑ってる…」
シュクレンもまた武三の笑顔に安心した。しかし、不安が無くなったわけではない。
主を失った自分はこの不浄セカイが終わると同時に消えてしまうのだ。仮に消えなかったとしても、クロウがいなければ死神でも何でもないのだ。
シュクレンもなんとか笑おうとした。せめて最後くらいは武三と笑おうとした。
しかし、笑う事は出来ずに顔が引きつっただけだった。
男達は羆の死体に近付いて鎌を突き立てたりしている。
「お前さえいなきゃ!!このクソ野郎!!」
「この野郎!ちくしょう!!」
何度も何度も羆を叩く。
武三はふとシュクレンに尋ねた。
「おい、お前。これからどうするんだ?」
その問いにシュクレンは何も答えられなかった。俯き、ただ足元を見ていた。
「他に行く所が無いなら俺の養子にならないか?平太は死んでしまったし、俺も一人だ。こんな山は捨てちまって町で暮らす。なぁに、心配するな。お前一人養うくらいの食い扶持はある」
武三の言葉にシュクレンは顔を見つめる。そして
「…うん」と言った。

その時、男達の悲鳴が上がる。武三とシュクレンがすぐに見ると羆は二人の男達を喰っていた。