5.羆

「シュクレン!すまないな、どうやら町までは送ってやれそうもない…」
武三は落ち着いた口調で話す。
「…大丈夫。一緒に避難してる」
「ああ…」
その日の午後から再び吹雪いてきた。夜になると漆黒の闇に包まれ何も見えない程の猛吹雪となった。
まるで獣の彷徨のような風の音が男達を萎縮させた。中には恐怖に耐えられなくなり酒を飲み始める者もいた。
「ぐ…さっぱり酔えねぇ…手が震えてよ…」
コップを持つ男の手は小刻みに震えている。

7人の男達は何も喋らずにただその時が来るのを待っていた。

「ん?おかしい…」
突然武三が口を開き眼光が鋭くなった。すぐに立ち上がり、外の方に意識を向ける。
「何がだ?」
「風だ…風が止んだ…」
耳鳴りがするほどの静寂が訪れた。唾を飲み込むことさえも躊躇う程の静寂が続く。

男達は視線を送り合いお互いの顔色を伺っている。

そして、男の一人が立ち上がり窓から外を見る。周囲を見渡すが、暗闇が広がるだけで何も見えなかった。やがて、目が慣れてくると100m程先にある黒い影が見えてきた。
それを凝視する。それは動いているように見えた。そして、それは何なのかすぐに理解した。
あまりにも巨大であった。家を覆い尽くさんばかりの巨躯。荒い吐息が男の耳に届いた。
「う…あ…」
その場でへたり込む。
「来たか!」
武三が窓際に立つ。すると突然また吹雪が襲いかかる。男が見たであろう獣の姿は既にそこにはなかった。ただ僅かに残された足跡に絶句する。

そして、家屋に侵入してきた獣臭を感じた。
「そんな…馬鹿な…」
と言った。

足跡は集落へではなく真っ直ぐ槻山家に続いていたのだ。

「…まずいな。しくじった!風だ!風向きだ!!」
武三に焦りの色が見えた。ちょうど武三達がいた家は羆の位置からは風下だったのだ。嗅覚が優れている羆は食べ物の匂いに敏感だ。羆をおびき寄せるはずが風下にいた事で羆には認知されなかったのだ。
普段の武三ならすぐに気が付いたであろうが、息子を羆に殺された事で冷静さを欠いていたのだ。
「すぐに追うんだ!」
「あの熊野郎!!ぶっ殺してやる!」
男達が武器を手に立ち上がる。
「待て!大回りして槻山家の裏に行くぞ!風上に立ったら駄目だ!!風下に回って奇襲をかけるぞ!!」
武三が叫ぶ。

「そんな事してたら間に合わねぇ!おっかぁが…!早く助けるんだ!!」
男達は次々と家屋から飛び出し槻山家へと向かう。

「くそっ!馬鹿野郎!!」
武三は男達とは違う進路を取り走り出した。