遥か遠い昔の話だ。
人生で初めて女の子とデートした場所は本吉町の大谷海岸。
緊張という程ではなく、なんとなく付き合うことになったものでいつもと同じように雑談を交わしながら時間を過ごしていた。
寄せては返す波に彼女は嬉しそうにはしゃいでいた。
なんでも太平洋は初めてらしい。
彼女は新潟県出身で母子家庭で育った。母親は夜の仕事で彼女を育てたが折り合いが悪く家出同然で飛び出し仙台へとやってきたのだ。
彼女の父親はというと彼女が産まれる前に家を出ていったらしい。元々結婚すらしていなかったというから不倫の果てに…といったところなのだろうか。
彼女は家庭のことや育ちなどを語りたがらなかったが、私と彼女にはある共通点があり共感を得ることでその距離は唐突に縮めることになった。
その共通点とは片親同士だったということ。
私も幼い頃に両親が離婚しており母親の事はぼんやりとしか覚えていない。
お互いの足りないものを埋め合わせるように相性は良かった。
ときに喧嘩もしたが次の日には仲直りして笑いあっていた。
2人とも若くお金もなくて暮らしは決して楽なものではない。
それでも時間を作ってようやくデートらしいデートをしたのだ。
今にして思えばあの時間は永遠のものだったのかもしれない。
今となっては決して取り戻せない珠玉の時間。
あの時間を取り戻せるならなんでもしたと思う。
途中志津川町(現在は南三陸町)に立ち寄り公園にあるモアイ像を見た。
その時に彼女が言った言葉は今でも覚えている。
「ねぇ、モアイの言葉の意味ってわかる?」
「モアイの言葉の意味?さぁ…名前じゃないの?」
彼女はモアイ像を見上げながら言った。
「現地の言葉で“生きる勇気”って意味なんだって!」
「へぇ~生きる勇気ねぇ…」
その時なんとなく強い言葉に思えた。
生きることは自然であり勇気など必要ないだろうとも思ったが彼女の中では生きることそのものが大変な事だったと思う。
そして私自身も生きていくことに不安を抱えていた。
でもきっと一緒なら大丈夫と思っていたのだ。
それはここまで生きてきた彼女の生き様かもしれないし、病弱な自身への鼓舞だったのかもしれない。
あれから幾度目かの四季を繰り返し人生の折り返し地点に達した今、あの頃を思い出していた。
スマホでいろいろ検索出来るようになって、ふと思い出したようにモアイを調べてみた。
そうしたら彼女は思い違いをしていたのだ。
モアイの本当の意味は
“未来に生きる”
だった。
それを知った時、私の手は震えた。
未来…いわば今を生きてるはずのは彼女はもうこの世界のどこにもいないからだ。
あの時、未来に自分は生きていないと示唆していたのではないかとも思ったが彼女は間違って覚えていたのかもしれない。
今となっては真実はわからないが、今の私にとっては未来に生きるよりも生きる勇気の方が心に残ったんだよ。
また君に逢いたい。
叶わない願いだけど。