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【悲報】新型アルトにはMT設定がない!!

スズキの新型アルトがついに公式から発表された。

パッと見8代目を少し丸くした感じだが、大きな違いはリアテールランプがバンパーではなくボディ両端に配置される形となり原点回帰した感じ。

アルトはデザインに一貫性はなく代を追う毎にまるで別な車に変化する。その中でも特異なデザインはHA24Sだろう。

のブリキの玩具みたいなデザインが可愛いですよね。色もパステルカラーが多くて明らかに女の子が乗ることを意識したような作りです。

それでも質感や収納はまさに質実剛健で低コストで最低限の装備でした。カスタムパーツは確か日産パオになる顔パーツがあったと思います。形もレトロなのでアルトクラシックを作ってほしかったのですが、既にアルトラパンが出ていたのでキャラ被りするかな?

この24系をベースにクラシック仕様で作っていく楽しみもあるのかもしれませんね。

私の愛車はアルトCというレア車です。ミラジーノに対抗して作ってみたものの全く売れず飛ばずで2年程度で生産を終えてしまった悲劇の車です。

形はアルトワークスだが大きな違いは全車ATということ。これがもしMT設定があったならばまた違う形で今頃人気が出ていたかもしれません。

昔はアルトというとおばちゃん専用特別輸送機で助手席にはスーパーの名が印字されたレジ袋に詰められた日用品と食料を積載し、タイムセールに遅れそうならばフェラーリだろうがランボルギーニだろうがGT-Rだろうが煽って煽って追い抜くという爆走してるものでした。

それがいつの間にかエコカー気取りになって低燃費寄りに方針を振りエンジンスペックは緩やかに下降しながらもありえない程の軽量化を施して進化してきました。

その同時期にダイハツは燃費スペシャルの車『ミライース 』を投入しアルトの売りである低燃費をさらに超えた低燃費を実現してしまった。

既に減量末期のボクサーのように究極なまでに軽量化を計ったにも関わらず燃費で負けてしまったアルトは禁断の

『燃料タンクを小さくする』

なんてセコい手段で逆転するが

ダイハツに『燃料タンクが大きい』

というわかりやすいセールスポイントを示され再び惨敗する。

8代目アルトは更なる軽量化を施しエンジンスペックこそ下がったものの純ガソリンエンジン低燃費ナンバーワンの座を獲得する。

そして遂にアルトワークスの復活が実現した。

『今マニュアルに乗る』というキャッチフレーズは大いに歓迎され売れに売れた…のか?

アルトワークスの生産が終了しベーシックなアルトの生産も終了した。その中でなんの告知もなく『アルトバン』がひっそりとカタログ落ちしていた。

そして今回の新型アルトの発表となったがMT設定は無いらしい!?全車CVTだとぉ!?

ワゴンRとアルトにはMT設定が残っていたのはスズキの良心だったのかもしれない。

信じられないかもしれないが長年MTに乗ってきた人にとっては2ペダルは怖いのだ。おじいちゃん世代になるとMTは乗れるけどATは怖いという人も現実にいるのだ。

しかし、時代は流れそんな人も少数派となりMTは必要ないという判断に至ったのだろうか?

そして3ドアのバン設定も無し。グレード展開を一元化することでコストダウンに振ったのだろうか。

この決断が吉と出るか凶と出るかは発売してみてからでないとわからないな。

果たして…?

【ノスタルジック】リハビリのため夜の女川へ

昨年の今頃は超サイヤ人目指して体鍛えていたんだよな…。

体を鍛えるきっかけは肥満による脂肪肝が深刻で体調を崩したことだ。遡ること4年前…。

『今のまま進行した場合5年生きるかどうかわかりませんよ?』とお医者さんに宣告された。怖いのは脂肪肝からの肝硬変だ。

おいおい、酒を呑んでないのに…ましてやラーメン評論家よりも全然ラーメンも食べてないのにどうして肝臓に脂肪が付くのん?しかも貧乏でご飯も腹一杯食べるのも稀なのに…。

私は絶望した。あと5年の命なの?死ぬの?でも絶対に死ぬわけじゃない。確定した未来ではない。

私は幼少の頃、あまり体が丈夫ではなかった。というのも授乳期に両親が不仲であり母乳を満足に飲ませられなかったらしい。そのせいか体は弱く、一年中風邪をひいては小児喘息(大人になってから判明)で運動もままならなかった。

視力が弱かったのもそういう原因があったのかもしれない。視力に関しては20歳になるまで自分の目が悪いことはわからなかった。つまり、自分の見えている世界が普通だと思っていたのだ。

20歳で自動車免許を取得するために眼鏡を購入し見た世界は初めてのものだった。ありとあらゆるものが鮮明に見えるのだ。あまりの美しさに頭が痺れたのを覚えている。

本来ならば親が気付くべきことだったのだが、親父は私のことに興味を持たず家には殆どいなかったし、母は物心ついた頃には離婚していなかった。

私は人を愛することもわからないし、愛され方もわからないのだ。結局孤独な人生を歩んではいるが最もそれがストレスを感じることなく気楽に生きていけるものとなった。一抹の寂しさを感じることはある。

だが普通に生きてみたいとも思うし羨ましくも思う。

友人と絡むのも少し苦手だ。ん?友人っているかな…。誰かといるとそれがストレスに感じてしまう。集団になると尚更。自分だけが浮いてしまって周りとの温度差を敏感に感じてしまう。所謂HSPってやつだが自分の特性を知ることができて安心感を得ている。

孤独時間を利用して創作に励んだり、筋トレにハマりこんでそれなりに充実した日々を送っていた。肝臓の数値も落ち着き何となく人生が面白く感じていた。

その矢先に起きたのが今年5月のプリウスミサイルを受けての事故だ。

私は何にも違反してないのにいきなり突っ込まれて車は大破、私は重傷を負った…。

全てが最悪の環境だった…。かかった病院がヤブ医者でまともな治療もしてもらえない。何故か私が3割過失を課せられた。加害者がドラレコが無かったことをいいことに過失を認めなかったからだ。長引くのが嫌でその過失割合を飲んだが当初は5:5と言われ絶句したのだ。

だが今にして思えばそれは保険屋のやり口なんだろうな。有り得ない過失割合を提示してひと揉めしたあとである程度譲歩した過失割合を提示することで合意を得るのだ。

事故から数ヶ月は地獄の日々。痛み止め飲んでも痛くて寝れない。

ようやく最近になって歩けるようになってウォーキングを始めたのだ。

でもなんかスッキリしない日々が続いていた。鬱憤が溜まるというのかな…まともに動かない体に苛立ちを覚え、ちょっと遠くに行ってみるかと向かったのは女川だ。

既に日は落ちかけていた。人の姿はもうない。

商店街は間接照明などが点いて優しい雰囲気だ。なんか心落ち着くなぁ。どこからか音楽も聴こえる。

昔の女川からは想像つかないよね。昔の女川は本当に漁師町で狭い範囲に家が密集してて生活感溢れる町だったよ。

女川は確実に新しい町に生まれ変わったのだ。でも変わらないものがあるんだよな。

なんだろう…新しいのに懐かしいんだよね。

女川に初めて来たのは22歳の頃かな。当時付き合っていた彼女と来て海鮮丼を食べた思い出がある。あの時食べたのはいくらとウニの二色丼だ。

マリンパル女川の展望デッキに登って夕焼けに染まる女川の町を見下ろしたっけ…。

彼女はその年に交通事故で急逝してしまった…。あれ以来私にとって女川は思い出の町の一つになった。

あの時の彼女とまた会えそうな気がしてね。

あれから歳を取って、この町を一緒に歩きたかったな。手を繋いだりしてね。

決して癒されぬ喪失感を抱えたまま今日まで生きてみた。

およそ希望なんて持てないと思っていたけど、こうして女川に足を運び過去に出逢えた人に再び逢いに来れるのだ。

今は歩こう。ひたすら。

思い出だけで生きていく。

落ち込んでるだけの日々だって明日はやってくる。毎日楽しくはなくとも過去に思いを馳せるのも人生じゃないか。

私は今日も生きてみた。明日もきっとそう。これからも。

この日の歩数は12000歩を超えた。

【生活】いろいろ思うことあり

ブログ連続更新68日目!

筆無精の私にとっては快挙と言えます。筆無精というか日常は書くことがほぼ何もないためにこうして記事を更新し続けることはありませんでした。

私の日常なんて誰も知りたがらないし、最低週6朝から晩まで超ド底辺労働してるわけなので真面目に書いたら愚痴しか出てこない(苦笑)

とりあえずは100日更新は頑張ってみたいところです。

別に無料ブログやSNSでもいいんじゃないか?という内容なわけですが

無料ブログだと没後でも残り続けることになる!

私の黒歴史が私亡き後も残るのがちょっとやだなって未来予想してみたわけです。人間なんて簡単に死んでしまいますからね?

SNSに関してはいろいろと人に気を使わねばなりませんし、場合によってはコメントのやり取りなども発生するわけです。

一方通行の発信をするだけなら大丈夫ではないかと思いますが例えば記事の連投をしたりするとTLが埋まってしまいフレンドリンク周りからはヒンシュクを買います。あとはそのSNSの趣向に沿った形で書くことも必要かなと思ったりもするわけで小説などの創作物が書きにくい…。

周りのユーザーとの温度差?というのかな。

「どうしてここでそんなもの書いてるんですか?」などと露骨に質問してくる人もいるので。

ならば自分好き勝手に様々なジャンルを確立出来て自由に作り替えることが出来る新世界を作ろうと思ったわけです。

まだまだわたしのやりたいことの半分はできてませんが、一応道は整備しつつあるので楽しみながら更新していこうかなと思ってます。

こういう個人的趣向の強いブログがあってもいいかなと思ってますしね。

ブログで収益!!

とかはあんまり考えてません。一応アドセンスは通りましたが元々収益が発生するくらいPVはありませんし、むしろあったらあったで怖いかもしれない。

この新世界は私の『生存日記』ですからね。消えたら死んだと思って貰えれば…。

それに莫大な収益が発生するとMMD関連が更新できなくなりますので難しくなるんですよね。

…莫大な収益?一生あるわけないので心配ご無用なんですがね…。

読めば頭が悪くなる!ような適当なブログを書いていくので今後ともよろしくお願いいたします。

【独り言】交わらぬこと

いつからか孤独を愛するようになった。極度に誰かと関わることを恐れるようになっていた。

必ず離れていくから…。そして、心も離れていくから。

自分はダメだ。細心の注意を払っていても無意識に人を傷付けてしまうことがあって、後から病んで悔いてしまう。その時は大体遅い。

自分が気付かない内に疎遠になっていき、孤独になっている。ひとりぼっちの人生だ。

もう誰かに好意を寄せることもないと思う。心は閉ざされたまま。誰も私のことを知らないし、私も誰かを深く知ろうとはしないだろう。

思えば子供の頃から孤独だった。酒乱の祖父母は毎晩のように酒を飲んでは喧嘩をしている。私は真っ暗な廊下から隣の家の窓を見た。

いわゆる、普通の家族の団欒があった。笑顔で食卓を囲んでいる。

どうして笑ってるんだろう?どうやったら笑えるんだろう?そう、思っていた。

部屋ではまた祖父母の喧嘩が始まった。怒号と悲鳴と物が壊れる音。私にとってはそれが日常だった。耳を塞ぐと自分の心臓の音だけが聞こえていた。

どうして生まれてきてしまったのだろう?

もう消えてなくなってしまおう。台所に行き、包丁を手にする。何も考えずに左手の中指を切った。激痛と共に血が出てきてすぐに包丁を投げ出した。

その傷は今でも残っている。

何枚も絆創膏を貼り自分を刺したことを悔いた。ものすごく痛かったからだ。ガタガタと震えながら布団に潜り込んだ。時折大きな物音が響いて体をビクつかせる。

朝になると静寂が訪れ、布団から起き上がると痣だらけの祖母が床で寝ている。散らばった酒瓶、ひしゃげたテーブル、血が染み込んだカーペット…。何食わぬ顔で外に出て隣の『幸せな子』と遊んだ。優しいお母さんとかっこいいお父さんがいて羨ましかった。

どうしてあの子にはあって自分には無いのだろう?

それは妬みだろうか。それとも運命に対する憎悪だろうか。

冬の夜。酒乱の祖父を恐れて祖母と夜の町を逃げるように走った。祖父の怒号が夜の静寂を破り恐ろしかった。きっと見つかったら祖母は殺されると思った。

展望台の石碑の影に隠れて時間が過ぎるのを待った。階段を上がってくる祖父の足音が怖かった。

あの時。願ったのだ。神に。

『おじいちゃんを殺してください』と。

私は不幸の塊。きっと関わった人を不幸にしてしまう死神なのだ。だから孤独でいいのだ。

一見すると逃げたように思えるが、幸せでいてほしいから自分から離れる決断をしたのだ。

きっとあいつも幸せに暮らしているだろう。そう思いたい。私にとっての幸せはとても小さなものだった。

【天職】汲み取り屋のおっちゃん

子供の頃、家のトイレと言えばボットン便所。ウン〇コをするとその物量に応じて『おつり』がやってくるやつだ。祖母の家は外にトイレがあり、勝手口から出て歩いたところにあった。

波トタンで作られた扉を開けて輪っかに金具を引っ掛けるだけの簡素な鍵をかけて振り向くと広さ3畳ほどの部屋の真ん中に穴が掘られていて、その上に便器が乗っかってるだけのものだった。その下はすぐに便槽で子供であれば体がすり抜けるほどの大きな開口部は恐怖だった。

それを跨ぎウン〇コをするとかなりの確率でバッチャーン!と尻に跳ね返ってきた。

当然汲み取り屋が来て便槽の中の糞便をバキュームカーで吸っていくのだが、それに携わるおっちゃんがすごくかっこよく感じていた。非常に寡黙で作業服をいつもピシッと着ていた。

普通ならば顔をしかめる臭いでもおっちゃんは表情を崩さずホースの先を見つめていた。その仕事ぶりがかっこよくて憧れていた。いつか自分もおっちゃんみたいになりたいと思ったものだ。

いつもバキュームカーが見えると玄関を飛び出しおっちゃんの仕事を横で見ていた。するとおっちゃんは

「臭いだろ?」と言った。私はウンと頷くとおっちゃんはニコッと笑った。あの寡黙で渋いおっちゃんが笑ったのだ。とにかくかっこよく私の中ではヒーローだったのだ。

おっちゃんが仕事を終えてバキュームカーを走らせると私はその後ろを全力で走って追いかけた。

BGMは井上陽水の『少年時代』だろうか。

あれから何年も過ぎて超ド底辺労働者となった。決まった休みもなく祝日もない。人からは汚いと蔑まされ、ああはなりたくはないと失笑される仕事かもしれない。

でも世界の殆どはそういうやりたくない仕事をしている人達のおかげでストレスなく社会生活を送ることができているのだと思う。私もその数あるうちの小さな歯車だ。

だがその小さな歯車一つ欠けたら大きな歯車は回らないのだ。

金持ちにはなれない。人からも尊敬されない。自分らしくは生きられない。人からは笑われる。

それでも誰かの生活の役には立っているし、なくてはならない仕事だ。

大人になってからおっちゃんの言ったことがわかった。

「これ、おっちゃんの天職だからな」

おっちゃん、かっこよかったよ!私もそういう言葉が言えるような人生になりたいと思います。

【独り言】Googleレビューは苦手

私はGoogleレビューをやらない。参考程度にはするけど自分ではレビューしない。ほぼ誰も来ないであろうブログであれこれ好き勝手に書いてる方が気楽かなぁと思いつつもPVを確認すると結構人が来てるんだよね。

まずGoogleレビューの難しいところは星評価なんだよね。普通だと星3つ?最高だと5だよね?

甲乙付け難いんですよね。まぁ、飲食店で美味しくない店にはあまり当たったことがないです。お店を出している時点で本当に『天才かっ!?』って思うような味ばかり。今の世の中は本当に美味しい物が溢れていて何を食べたらいいのか迷うくらい。

かつて食糧がなくて配給に頼っていた戦中戦後とは比べ物にならないくらいに豊かになったんだね。でもその裏側で何が起きてるかは知らない方がいいかもしれないな。

食文化って個性だと思うんだ。そりゃ追究すればするほどキリが無いとは思うけど、星では評価しづらいかなって部分はある。10人いたら味の感じ方は10通りあると思う。

別にGoogleレビューしている人達を揶揄するわけじゃないけど、私は苦手だからなかなか参加しづらいかなぁ…。

もっともにして気に入ったお店には入り浸りになるので数多くレビュー出来ないというのもあるけどね。この御時世だからなかなか出歩けない現状も加味して大人しくマイペースでブログ書いていこうと思う。

昨日は労働していたので感覚がおかしくなっているけど今日は月曜日なんだね…。今週もMMD静画を作って楽しもうかな。究極に物欲が削がれたミニマリストとしてはMMDは最高の娯楽だ。出来ることならば自分でもモデリングとかしてみたいな!

とりあえず私の低スペノートPCには『blender』がインストされている。やろうと思えばサイコロ位は作れると思う。人生何かを作ってた方が楽しいんだよね。

あ~、絵も描きたいな。オリジナル小説の『デス・ドアーズ』の挿絵やら描きたい。

今は最強(最狂?)死神のキリコの物語更新中です。いつかは人から評価される作品にしてみたいものだけど難しいねぇ…。

週休一日のデメリットとメリット

私は週休一日である。これは最低で貰える休日。酷い時は隔月一日である。これは現場の工期によって変わる。底辺労働者なので日曜日の休みは返上しろと言われたらそれに従うしかない。それに対する手当も無ければ代休も無いのが現実だ。

週休一日のデメリットとしては体の疲れが一切抜けないことだ。慢性過労状態で働いてるものだから注意力が散漫になり怪我もしやすくなる。身体能力が落ちるのでちょっとした段差でも躓いて転ぶのだ。あとは遠回りすれば安全に通れるものをリスクを負ってでも近道をしようとする。無論、疲れているので判断力は相当鈍い。

もう一つのデメリットは部屋がとにかく汚れることだ。家に帰って部屋の掃除をするなんて面倒くさいし疲れるしでやりたくない。そういう理由もあるので自室には猫を絶対に入れない。

メリットは休日にお金を使わないことだ。使ってもラーメン食べるくらいだ。悪くいえば経済活動には全く貢献していない。浮いたお金で家具を買ったり寝具を新しくしたりしたい(買いに行くのが面倒くさいから結局買わない…)

昨今はガソリンが異様な高値を更新している。以前のように思いついたら出かけるなんてことは出来ない。それにコロナ禍だからそれなりに外出も控えたいところだ。

とりあえずコロナが終わるまで(終わるのだろうか…)貯蓄と体力増強に努めたいところだ。

週休二日制なんて夢のまた夢の話だし祝日に休めるのも夢の話。一生涯叶わないかもしれない。

ところでもう2ヶ月にもなる腰椎捻挫だがいつ治るのやら…(´;ω;`)

出来ることから少しずつ

最近は民間の仕事が増えて時間的に余裕が生まれている。以前は公共事業ばかりやっていたので現場は朝8時朝礼だ。ゆえに朝はとにかく忙しい。朝5時に起床し6時には出勤だ。ともすれば5時半に会社出発なんてこともあった。

当然工事が遅れてくれば日曜日も関係なしに何週間も連勤が続く。34連勤なんてのもあった。とにかく建設業なんて労働基準法なんて適用されない業界なのだ。まるで犬鳴村だ。

だが民間は大体は9時からスタートだ。これは朝早くに来られて対応をするのが大変なのと騒音関係もあるだろう。正直週休二日制に出来ないなら一日の労働時間を短くしてほしいと思っている。金は欲しいがそれ以上に時間が欲しいのだ。もっともにして長時間働いても金なんか稼げやしない。

以前公共事業をやっていた時は部屋の掃除すら出来なかった。極端な話だと風呂に入る体力と気力もないのだ。当然運動なんかするわけが無い。ジャンクなフードを食い、携帯いじりながらベッドにいると寝落ちするパターンだ。そして極めつけは日曜日だ。公共事業だと大体日曜日も労働を強要される。だから予定など全く組めないのだ。下手に計画を立てようならば日曜日出勤のダメージは計り知れないものになる。

はっきり言えば人間的な文化的な生活など全く無縁だ。公共事業などやってもピンハネされて中抜きされて絞りカスみたいな賃金しかもらえない。残業代なんか出るわけがない。毎日10時間も働き、週7日稼働するのだ。そういう生活を何年も繰り返していたら気が付いたら自分は歳を取り、友人はいなくなり、同期は結婚して家を立てて人間らしい生活をしている。

私は?

何年も変化の無い生活、収入は住民税、所得税、健康保険、年金を払うので精一杯。どうしたら貯金出来るのか?と考えたら休まず仕事して金を使う暇を潰せばよいという地獄の選択しかなかった。

今は少しだけ余裕が生まれた。日曜日も絶対ではないが休めるのは嬉しい。週一の休みでもこんなに輝くのだ。今まで出来なかったことが出来るようになってきた。

部屋の掃除、お風呂、読書は少しだけ、あとは空を見上げることとゆったりと散歩できる少しの時間。

長時間働いたところで幸せにもなれるものでもない。それどころか確実に死に向かっていたのだ。

一日の労働時間は6時間でいいよ。マジで。

 

今日という日

世の中には同時にたくさんの仕事をこなせる人がいる。それは天才的だ。私には到底真似出来ない。趣味で書いてる小説でもそうだ。ひとつのストーリーで精一杯だ。一時期は同時にいくつかのエピソードを書いていたが現在は無理だなぁ。これが老化ってやつか。

今日は夏本番の前に劣化して穴が空いた網戸を交換した。出来ることから一つだけやる。田舎暮らしなので例年だと網戸にする程夜は暑くはならないのだが今年は少し暑いかもしれないと危惧してのことだ。

もっともにして猫によく破壊されてしまうので網戸の張替えは夏の風物詩みたいなものだな。猫を飼うと本当に大変だ。掃除だって頻繁にやらねばならないし、買ったばかりのソファーもほつれや穴だらけになってしまう。正直猫を飼うことに反対だったのだがね。私は家の中に植物すら置きたくないのだ。つまり人間以外に命あるものは入れたくない。

植物など家の外にべらぼうに生えてるしわざわざ家の中に引き込むこともないだろう。どんなに綺麗な花だっていつかは枯れるし、家の中にあるのは自然ではない気がする。これは屁理屈だが、分かりやすく説明すると『世話をするのが面倒くさい』のだ。自分が生きるだけで精一杯なのに自分以外のものに時間や労力を使えるくらいに余力がないのだ。

でもこの気持ちは年間休日が70日未満のブラック企業の傘下に籍を置いてるから心のゆとりがないだけかもしれない。もう少し稼げて休日もあればまた変わるかもしれないな。

ああ、そうだ。ワクチン摂取の予約を済ませた。本来は打ちたくはない。

『注射は痛いから怖い』からだ。別に思想やなんたらかんたらの複雑な事情ではない。それにワクチン摂取の証明書とやらがないと仕事をやらせないとかいう高圧的なことをされる気がする。もっともにしてそういう現場では働きたくないのだが零細労働者としては選ぶ権利がないのだ。

今日も何事も無く1日が終わろうとしている。実に緩やかな人生とも言えるが刺激がないといえばそれまで。

出来ればもっと小説を書く暇と体力を残しておきたいものだな。とりあえず睡眠はとても大切だ。早く寝よう。

そういえば今日は一度しか空を見上げなかったな…。

七夕の願い

今日は七夕か…。例年通り雨だな。仙台では七夕祭りが8月に開催されるために7月に七夕という認識はやや薄く感じる。

子供の頃、どんな願い事を書いたんだっけ…あまり覚えていないな。

地球からアルタイルまでは17光年。光の速さで願いを届けても17年もかかる。その願いが叶うとしたら更に17年だ。計34年かかるわけだ。

せめて10歳の頃にした願い事が思い出せればいいのだが全く思い出せない…。子供の頃は毎日生きるのに大変だった。およそ『普通の子供』が得られる幸せはなかった。自分が大人になるなんて微塵も思ってなかったし想像すらしていなかった。よって幸せの展望など全くなかったのだ。

周りが進路で賑わう中で私はどうなっていくのか全く考えていなかった。ただ漠然と不安だけが頭の中を支配していた。

七夕は特に何の思い入れも無い。でも彦星と織姫が1年に1度だけ会える日。なんてロマンチックなんだろうね。

でも1年に1度でも会えるならそれも贅沢な話だなと思えてならない。私の大切な人はもう二度と会えないのだから。そして、この世界には私の心の中にしか生きていないのだから。

今七夕の願いを思うならどんな願い事をしようか?今から17年後に願いはアルタイルに届く。それから17年後にその願いは叶う。今から34年後に…そうだなぁ。なんにしようかな…。

大人になると願い事なんて簡単に思いつかないものだな(笑)贅沢な願いかもしれないが…心を許せる誰かが身近にいてくれたらな。

 

 

愛した記憶

かつて誰かを愛した記憶はある。でもそれは忘れようと必死になっていたが結局忘れられなくてぼんやりとしたものになってしまった。

当時二人で通ったレストランはまだ営業している。いつもオムライスを食べていたっけ…。お互いまだ若くてお金が無くてたまにの贅沢だった。

君が旅立ってから22年が過ぎようとしている。あれからずっと喪失感を抱えて生きてきたし、幸せになることが烏滸がましく思えてならない。そもそも幸せとはなんだったのだろうか?

たらればを言ったらキリが無いが、もしあの時に一緒に同棲する方を選んでいたら?と悔やむことはある。

でもこの世界はとても静かだった。雑音もなかったし、静寂そのものだった。君の声はまだ忘れてはいない。余計な音を聞かなかったからね。

ただ、叶うならばもう一度話をしたかったなぁ。どんな事でもいい。

生きることってのはそれだけで苦しいものだな。君がいない世界というものは酷くつまらなく思えてならない。

愛した記憶はある。それ以上に失ったショックの方が大きかったのだ。

こんな気持ちを抱えながら生きなければならない人達が今現在もいる。飲酒運転はクソだ。クズがすることだ。死刑でも気が済むものでもない。

どうして悲しみは伝えられないのだろう?どれほどの涙が流れればわかるのだろう?

何度も思うんだ。時間が戻ればって。

1日の訪問者は…

私のホームページへの訪問者は平均して一日1人か2人だ(笑)まぁ、特に収益化とか全く考えていないしSNSのように不特定多数が来るようなことを想定していない。自由に書き殴って生きた記録として残せればいいかなと軽く考えている。

軽く考えているけどサーバー代はバカにならないのが現実だ。せめて収益化を目指してサーバー代はチャラに出来れば理想なのだがそういう技術も知識もない。あと収益化を考えると毎日更新しなければならない負担も生ずるので嫌になったら辞めるでいいと思っている。

単純にアクセス稼ぐくらいならニュース記事を転載していけば簡単なんだがね。それよりも日々の思いや考えを綴ってる方が我得って感じだ。

まとめサイトみたいに時事的な記事を書くのも面倒くさいしいちいちニュースを追いかけるのも疲弊してしまう。元々は小さなSNSで小説を書くのが好きだった。交流などはまるで出来なかった。

当時からブラックな事業所で働いていたためにかなり精神を病んでいた。プライベートは無いに等しく休日も仕事のことが頭から離れずに悩んでいたのだ。いつの日か何にも考えずに空を眺める日が来るのかと思う程に脳がエラーを繰り返していたのだ。

そして、同年代が結婚して家を建て子供が出来るようになると今の自分には何もないということに気付いた。ブラック事業所で働いてきた時間は全てが浪費だったのだ。自分には何も無かった…。いつか豊かになる、いつかは悩みから解放されて穏やかな日々を過ごすことが出来る。そのために粉骨砕身踏ん張ってきた。

だが待っていたのは人生の絶望だ。全てを失い…全てを諦めざるを得なかった。

体は決して健康とも言えず、節々が痛みまともに動くことすらままならない。もう後戻りも出来ない程に人生の崩壊が進んでいたのだ。

残された救済は全て諦めることだった。人並みの幸せのありとあらゆることを諦めたのだ。ようやく穏やかな気持ちを得た時はおそらくは何も残されてはいないだろう…。

 

でも自分が書き綴った物語だけは残したいと思った。それが誰かの心の中に少しでも残ればいいかなと思っている。

だがその物語すら書くことが困難である。ああ、どうしてこんなにも疲弊してしまったのだろう。

とてもじゃないがこんな愚痴は数百人が訪れる場所で書けるものではないだろうな。