カテゴリー: 駄文エトセトラ

【独り言】発達障害としての生き方

長年の疑問

自分はどこか他の子供と違うな…と思っていた。それは特別なことではない。例えば天才とか才能があるとか運動神経抜群というわけではない。何となくだが他の人と時間の感じ方が違うことや人の顔が覚えられないこと。物事を忘れやすく取り組まなければならないことの順序をつけることが出来ないこと。

これは発達障害というものではないだろうか?という疑問があった。だとしても、やっぱりな…という気持ちしかない。元々私に普通の人と同じものが備わっているわけではないのだ。特に何が優れているとかあるわけが無い。凡人以下のスペックで稼働しているのだ。

例えるならば原付バイクで高速道路を走るようなものだ。

普通とは何だろう?

では普通とはなんだろうか?私は幼少の頃より普通の人が普通のことをするよりも三倍時間がかかる。それは勉学でも一緒だ。人の三倍の時間をかけて勉強しなければならない。そしてせっかく身に付けたとしてもすぐに忘れてしまう。何故忘れてしまうのだろう?

私は忘れることで生きてこれたのかもしれない…。両親の離婚、祖父母夫婦の血塗れの夫婦喧嘩、祖父の酒乱、引越しによる友達との離別、イジメ、恋人との死別…全てを明確に覚えていたら生きてるのが辛いだろう。

勿論今でも生きてることはツラい。でも自殺なんて選択肢は無い。せめて与えられた命くらいは全うしようと考えている。生きてることに意味など無いのと同じで死ぬことにも意味がないのだ。ただ、この拭いきれない鬱な気持ちだけは何とかしたいものだ。

良かれと思ったことが全て裏目に出たり、いつも失敗してはいけないシーンで失敗しては自信を失っていった。小さな成功の積み重ねが大切ではあるが、どういうわけか私には難易度の高い仕事ばかりが舞い込んでくる。結果はどうあれ全力で取り組むがどうせ失敗するという弱い気持ちが前に出てきてしまう。

それは車の運転にも現れる。自分が信用出来ないのだ。

『あれ?今の交差点は信号青だったっけ?』ということが頻繁にある。そういうことが重なり道も覚えられない、自分の車を停めた場所を忘れるといったことが如実に認識してしまうから自信が無くなってしまうのだ。

どうせなら自分がバカだとわからないくらいバカな方が幸せだったのかもしれない。

中途半端なバカだから泣くことになるのだ。いつも頭がぼんやりして重い体を引きずって生きてる。

理解出来たところで

生き方が変わるわけでもないし、人生が上手い方向へ軌道修正出来る訳でもない。もっと早く自分が発達障害だと認識していれば生き方を選ぶことが出来たのかもしれない。私にとっての山の頂は普通の人にとっての日常なのだ。

例えば気の合う仲間と酒を飲み交わしてどんちゃん騒ぎ…なんてものは私にとってストレスでしかない。そもそも気の合う友達なんていない。人の顔が覚えられないのだ。というか見えていないのだ。いつも人の顔には黒いモヤというかモザイクがかかってるようで見えていないのだ。だから覚えられないのだ。

何かに興味を示し追及する気持ちも理解出来ていない。私には物欲が存在していない。欲しいものがない。物などいくらあっても満たされないからだ。そもそも満たされる気持ちとはなんだろうか?

好きな人もいない

誰かを好きになる気持ちなんてどっかに忘れてきた。どうせいなくなるし、私の人生から消えていった人もいる。きっと私の知らない世界で幸せに生きているのだと思う。私の世界は寒くて暗くて埃っぽい場所だ。誰もこんな世界に来てほしくない。いつも見上げる空は曇り空で雨も降っている。きっと雲の上は明るくて暖かくてみんなは笑いあっているだろう。

どうして人を好きにならないのか?好きになった瞬間に私の心が壊れていく。それはもう失いたくないという気持ちと失うくらいなら自分から捨ててしまおうという気持ちがぶつかり合うのだ。本当ならその人と一緒に生きて行けたらいいなって思うけど、私が住む世界は暗くて寒くて色がない世界だからきっと離れていなくなるよ。その度に涙を流していたらキリが無いよ。

私が捨てたのは誰かを好きになる気持ちでした。

今は好きな人はいない。誰もいない。失うものもない。それを悲しいとか寂しいとか思う人もいるかもしれないが、私にとってはそれが一番自分を守り抜く生存方法だと思っている。生きていくことに意味など無いのだ。

世界は明日に続く

こんな気持ちでこんな駄文を書き綴っているがいつか読み返して『そんな気持ちもあったよね』って笑うことが出来るのだろうか?その前にこのHPが消えてしまうのかもしれない。結構高額なサーバー代を払っているからね。収益化出来るほどPVも無いし逐一読みに来る人もいないので自分専用落書き帳のようになっている。

ブロガーになるとかそういう才能あるわけが無い。かと言ってそうなる努力もしない。なぜなら、いくら積み重ねた努力でもどうせ忘れるからだ。ただ思い出すのも嫌な記憶や気持ちだけは忘れないでふとした瞬間に思い出されるのだ。

そんなこんなで今日が終わり世界は明日へ繋がっていく。

明日はどんな気持ちで生きるのかなぁ?

天使のささやきの日

今日は天使のささやきの日です。
北海道で日本最寒-41.2度を記録した日です。

天使のささやきとはダイヤモンドダストのことです。

-20度は経験あるけど、空気が針みたいになるんだよね。もう頬にチクチクして空気が痛いのよ。

-40度となると未知の世界だけど、多分秒速で死ぬだろうなぁ…。そういや、子供の頃ってしもやけに悩まされたけど大人になったらならなくなったねぇ。
なんでだろう?

私が子供の頃には毎日膝くらいまで雪が積もっていたんだよね。毎日の雪かきが大変だった記憶がある。今は年に2回もすればいいかな?って感じですねぇ。

地球温暖化とは言われてますが、実際はどうなんでしょうねぇ?
世界中の人を1箇所に集めると琵琶湖に収まるそうです。ですが、地球に存在する蟻を集めるとそれ以上の面積になるとか。

本気で地球温暖化を危惧しているなら戦争なんて辞めて余計な石油を燃やさない事なんですが、人類の歴史は戦争ありきなので難しい話ですよ。
戦争で死ぬ人あれば生きる人もいるのですから。戦争経済なんて認めたくないけど。

地球人全てが尊重し合い理解を深めることなんて宇宙の歴史上においても絶対にありえないでしょうな。

 

吉作落としからの生還を考える

皆さんは吉作落としとはご存知だろうか?

これはまんが日本昔ばなしで語られた話で、天涯孤独の身の吉作が山仕事をしていて断崖絶壁にある岩棚で休んでいたところ、降りるために使っていた縄が吉作の体重で伸びきっていたがために手を離したら元に戻って、手が届かなくなり岩棚で遭難して最後には飛び降りるという救いようのない話だ。

あれで吉作生還ルートは無かったのだろうか?と考えることにした。

この話はあの吉作の立場で作った話である。



俺は吉作。幼い頃に両親を交通事故で亡くし天涯孤独の身となった。
逞しく山の男に成長したが彼女いない歴=年齢だった。

なぜなら村には若いのが俺一人で若い女なんて見たことねぇ。
都会にはデスコとか空桶とかあるとか聞いたことあるが俺にはなんのことかさっぱりわからねぇ。
だから山さ登って崖になってる岩茸を採って生活をしている。
この日も朝早くから山に登って岩茸していた。

そろそろいつもの場所だと岩茸が採れなくなってきたから今度は行ったことがない崖へ向かうことにした。

初めての崖だがおれはいつものように木に縄を縛り付けて降りて行った。

するとなんということでしょう!
たくさん岩茸がなってるでねぇか!
俺はホクホクして次から次に岩茸を採った。

しばらく夢中で岩茸を採っていたら腕が痺れてきた。

下を見ると俺が一人で座れるくらいの岩場があった。
ここから上に上がるのは体力的に厳しいだろう。だからそこで一休みすることにした。

岩場まで来ると掴んでいた縄を離して飛び降りた。

するとその勢いが強すぎたのか岩場は脆くも崩れ去り真っ逆さまに落ちていった。

岩場に体が何度も叩きつけられ腕が折れて体のありとあらゆる骨がボキボキ折れた。

薄れゆく意識の中で思ったことは体力に余裕があるうちに一旦戻ればよかったのだ。
たくさん採れることに夢中になり過ぎたせいだ。

こうして俺は死んだ。

終わり

って、もう死んどるやん!?

次回
『こんな吉作は××だ!』

果たして吉作は生還出来るのか!?