カテゴリー: 日記

週休一日のデメリットとメリット

私は週休一日である。これは最低で貰える休日。酷い時は隔月一日である。これは現場の工期によって変わる。底辺労働者なので日曜日の休みは返上しろと言われたらそれに従うしかない。それに対する手当も無ければ代休も無いのが現実だ。

週休一日のデメリットとしては体の疲れが一切抜けないことだ。慢性過労状態で働いてるものだから注意力が散漫になり怪我もしやすくなる。身体能力が落ちるのでちょっとした段差でも躓いて転ぶのだ。あとは遠回りすれば安全に通れるものをリスクを負ってでも近道をしようとする。無論、疲れているので判断力は相当鈍い。

もう一つのデメリットは部屋がとにかく汚れることだ。家に帰って部屋の掃除をするなんて面倒くさいし疲れるしでやりたくない。そういう理由もあるので自室には猫を絶対に入れない。

メリットは休日にお金を使わないことだ。使ってもラーメン食べるくらいだ。悪くいえば経済活動には全く貢献していない。浮いたお金で家具を買ったり寝具を新しくしたりしたい(買いに行くのが面倒くさいから結局買わない…)

昨今はガソリンが異様な高値を更新している。以前のように思いついたら出かけるなんてことは出来ない。それにコロナ禍だからそれなりに外出も控えたいところだ。

とりあえずコロナが終わるまで(終わるのだろうか…)貯蓄と体力増強に努めたいところだ。

週休二日制なんて夢のまた夢の話だし祝日に休めるのも夢の話。一生涯叶わないかもしれない。

ところでもう2ヶ月にもなる腰椎捻挫だがいつ治るのやら…(´;ω;`)

普通とは尊いものだ

特別金持ちじゃなくても美形でもなくていいから普通になりたかった。

普通に働いて、普通に休暇を得て、普通に給料を貰う。そして普通に恋人を作って普通に交際して普通に結婚して子供が出来て家も車も家具も買えて未来に希望をもちたかった。でもこの普通が出来ない人たちも世の中にはたくさんいる。そもそも、私が見ていた普通とは所謂『勝ち組 』というものだったのかもしれない。

私の人生の中で誰かに寄り添うことなどありうるのだろうか?

幸せの形状なんてまるでわからない。どうしたらこのザワザワした気持ちが落ち着くのかも…。

旅をしたい。今は本当に旅をしたい気持ちだ。自分が知らない、自分を知らない土地に行ってみようかと思うがそれもまた難しい御時世だ。

今日はいい事が一つだけあった。昨日猫のベッドを新調したのだが全く使ってくれない。ベッドの脇の硬いフローリングの上で寝ている。ニトリのNクールのベッドで結構いい値段したんだがな…ちょっとガッカリしていたらきちんと中に入ってくつろいでいた。些細なことだが普通に嬉しかったな。

案外当たり前すぎて気付かないことが一番幸せなことなのかもしれない。今日という日が終わろうとしている。

今日の続きで明日がやってくるのではない。人生の中の新しい一日がやってくるのだ。

出来ることから少しずつ

最近は民間の仕事が増えて時間的に余裕が生まれている。以前は公共事業ばかりやっていたので現場は朝8時朝礼だ。ゆえに朝はとにかく忙しい。朝5時に起床し6時には出勤だ。ともすれば5時半に会社出発なんてこともあった。

当然工事が遅れてくれば日曜日も関係なしに何週間も連勤が続く。34連勤なんてのもあった。とにかく建設業なんて労働基準法なんて適用されない業界なのだ。まるで犬鳴村だ。

だが民間は大体は9時からスタートだ。これは朝早くに来られて対応をするのが大変なのと騒音関係もあるだろう。正直週休二日制に出来ないなら一日の労働時間を短くしてほしいと思っている。金は欲しいがそれ以上に時間が欲しいのだ。もっともにして長時間働いても金なんか稼げやしない。

以前公共事業をやっていた時は部屋の掃除すら出来なかった。極端な話だと風呂に入る体力と気力もないのだ。当然運動なんかするわけが無い。ジャンクなフードを食い、携帯いじりながらベッドにいると寝落ちするパターンだ。そして極めつけは日曜日だ。公共事業だと大体日曜日も労働を強要される。だから予定など全く組めないのだ。下手に計画を立てようならば日曜日出勤のダメージは計り知れないものになる。

はっきり言えば人間的な文化的な生活など全く無縁だ。公共事業などやってもピンハネされて中抜きされて絞りカスみたいな賃金しかもらえない。残業代なんか出るわけがない。毎日10時間も働き、週7日稼働するのだ。そういう生活を何年も繰り返していたら気が付いたら自分は歳を取り、友人はいなくなり、同期は結婚して家を立てて人間らしい生活をしている。

私は?

何年も変化の無い生活、収入は住民税、所得税、健康保険、年金を払うので精一杯。どうしたら貯金出来るのか?と考えたら休まず仕事して金を使う暇を潰せばよいという地獄の選択しかなかった。

今は少しだけ余裕が生まれた。日曜日も絶対ではないが休めるのは嬉しい。週一の休みでもこんなに輝くのだ。今まで出来なかったことが出来るようになってきた。

部屋の掃除、お風呂、読書は少しだけ、あとは空を見上げることとゆったりと散歩できる少しの時間。

長時間働いたところで幸せにもなれるものでもない。それどころか確実に死に向かっていたのだ。

一日の労働時間は6時間でいいよ。マジで。

 

今日という日

世の中には同時にたくさんの仕事をこなせる人がいる。それは天才的だ。私には到底真似出来ない。趣味で書いてる小説でもそうだ。ひとつのストーリーで精一杯だ。一時期は同時にいくつかのエピソードを書いていたが現在は無理だなぁ。これが老化ってやつか。

今日は夏本番の前に劣化して穴が空いた網戸を交換した。出来ることから一つだけやる。田舎暮らしなので例年だと網戸にする程夜は暑くはならないのだが今年は少し暑いかもしれないと危惧してのことだ。

もっともにして猫によく破壊されてしまうので網戸の張替えは夏の風物詩みたいなものだな。猫を飼うと本当に大変だ。掃除だって頻繁にやらねばならないし、買ったばかりのソファーもほつれや穴だらけになってしまう。正直猫を飼うことに反対だったのだがね。私は家の中に植物すら置きたくないのだ。つまり人間以外に命あるものは入れたくない。

植物など家の外にべらぼうに生えてるしわざわざ家の中に引き込むこともないだろう。どんなに綺麗な花だっていつかは枯れるし、家の中にあるのは自然ではない気がする。これは屁理屈だが、分かりやすく説明すると『世話をするのが面倒くさい』のだ。自分が生きるだけで精一杯なのに自分以外のものに時間や労力を使えるくらいに余力がないのだ。

でもこの気持ちは年間休日が70日未満のブラック企業の傘下に籍を置いてるから心のゆとりがないだけかもしれない。もう少し稼げて休日もあればまた変わるかもしれないな。

ああ、そうだ。ワクチン摂取の予約を済ませた。本来は打ちたくはない。

『注射は痛いから怖い』からだ。別に思想やなんたらかんたらの複雑な事情ではない。それにワクチン摂取の証明書とやらがないと仕事をやらせないとかいう高圧的なことをされる気がする。もっともにしてそういう現場では働きたくないのだが零細労働者としては選ぶ権利がないのだ。

今日も何事も無く1日が終わろうとしている。実に緩やかな人生とも言えるが刺激がないといえばそれまで。

出来ればもっと小説を書く暇と体力を残しておきたいものだな。とりあえず睡眠はとても大切だ。早く寝よう。

そういえば今日は一度しか空を見上げなかったな…。

雨の休日には太麺を

梅雨も終盤だ。朝からシトシト雨が降る金曜日だが今日は休日だ。というのも交通事故の怪我による通院日だ。こういう天候の日は何故か怪我した箇所がやたらに病む。あまりの痛みに呻きながら目を覚ました。

病院は高齢者の集会所のようだ。見れば周りは顔見知りのようで病院に似つかわしくなく笑顔で会話している。一体どこが悪いのだろう?と思ってしまうな。

待ち時間よりも診察はあっという間に終わる。たっぷり1ヶ月分の痛み止めと鎮痛剤を貰う。なんか雑な感じだな…1ヶ月も放置されるのか。その間に良くなればいいが…。

とりあえず体を休めるのも仕事の一つだ。休みなく働くなど美徳でも何でもない。むしろ休日を充実させて方が生産力や精度も上がるし事故の予防にもなると思っている。なので休日はもっぱら掃除や整理整頓に費やす。雨の日はこれが一番良い。どうせ出かけても濡れるだけだ。

そうこうしている内にお昼になっていた。昼食どうすっぺ?と考えていたら平日の雨の日など滅多にない機会だ。超絶人気店のあの店に行ってこよう!と向かった先は仙台泉区にある宮城ラーメン人気ランキングにおいて常に上位の名店

『自家製太麺渡辺』である。

この店は日曜日ともなると1時間は並ぶ超絶人気店である。だが私は滅多に来ない!なぜなら一日しかない休日をラーメンに並ぶことに費やしたくないからだ。同じ理由で洗車も嫌いである。どうせ洗ってもすぐに汚れるのに貴重なる休日を洗車に費やしたくないのだ。

なので必然的に気を使わなくていい車になる。さて、並ぶことなくすぐに入店出来たが店内にはまだ待ち客がいた。手指の消毒をして券売機にて食券を買う。選んだのは『らー麺大』である。こちらは麺300gだ。デフォルトで200gだから相当な量だ。

味玉をトッピングしました。相変わらずスープが少ないのですが濃厚な煮干しダシなので十分とも言える。さて麺を一口…うむ、ゴワゴワの太麺だ。そして硬い!イメージとしては10秒どん兵衛だな。太縮れ麺が濃厚な煮干しダシのスープをよく絡ませており、小麦の甘い風味と香りが口と鼻の中で混ざり合う。久しぶりに食べたけど美味しいなぁ。もちろん好き嫌いは分かれるかもしれない。この日は平日で雨という事で行列も出来ていなかった。いつもだと小一時間ばかり並び休日が台無しになってしまう。

メンマは穂先メンマでシャキシャキの歯応えが特徴的。これも適度に柔らかくて繊維の中にスープが含まれていて絶妙な味わいを生み出す。チャーシューは歯が無くても顎で食べられる柔らかさ。口の中で溶ける脂身と肉感がある筋が適度に残っている。

味たまは少し誤算だった…黄身が半熟ではなかった。ゆで卵だった。ポサポサの黄身がマイナスかな…。それ以外は総じて満足のいく一杯でした。

コロナ対策は入口のアルコールのみで仕切りも何も無く隣の人とも相当近い。でもお客は店内では会話もなく黙って食べているのでさほど気にする程でもないと思う。もっとも休日はわからんがね。

20分程で完食し退店。

午後はたっぷり昼寝を楽しむ。痛み止めが効いてる日中は意外な程に眠くなるのだ。

雨音が心地よい眠りを演出してくれる。昼寝と言えば車にはきちんとお昼寝グッズを搭載している。枕にアイマスク、寒い時に羽織るブランケット、耳栓を常備している。もちろん窓に付けるカーテンもだ。何時でも何処でも快適な眠りを得られるようにしているわけだ。

人生が豊かになるのはまずは眠りだと思う。眠りの質を上げれば人は幸せを感じるセンサーがよく働く気がする。寝ないで仕事をするなんてのは自慢にならない。

『起きてる時よりも寝てる時の方が幸せなのだ』

どんなに現実が不幸でもきちんとよく眠れれば幸せってもんだ。極端な話になると死ぬまで寝てていい夢を見続けたいとも思っている。

そういうわけで雨の休日は何気なく過ぎていくのだった。

あわや大事故に…!

午前の仕事を終えて次の現場に向かおうと車で走っていた。比較的のんびりと。すると対向車がやけにセンターラインに寄ってる?一瞬ドライバーを見たら…なんと!

普通に視線を落としてスマホ(?)を凝視しているようだ。これはまずいと路肩に回避準備を始める。すると普通にセンターラインを超えて私の方へ突撃してきた!

ああ!まずい!!と左にハンドルをきって回避しようとする。左側は田んぼだ。正面衝突よりも田んぼに落ちた方がマシだろう。無論、稲作の損害賠償はあるかもしれないがこれ以上怪我して痛い思いするのは嫌だ!と車体がガタガタと揺れる。相手はまだ下を見ている。もっと寄ってくる気か!?もう落ちる!!とサイドミラーを見ると接触まで僅か3cmというところで掠めていった。

私はなんとかハンドルをきり車線に戻ると過ぎ去った対向車は後続車両にクラクションを鳴らされ車体を揺らして車線に戻った。

危うくまた事故に遭うところだった…どうなってんだこの世界は!?もしかして…本当は去年の事故で私は死ぬ運命だったのでは…死の運命から逃れられない的な映画あったよね!?ファイナルデッドコースターとか…あんな感じなの?

今日は回避したが本当に恐ろしかった。死ぬかと思った。サイドミラーがすれ違う時は本当にスローモーションのようにはっきり見えた。人間の集中力が極限に達すると脳の情報処理能力が倍加するのか…。

とにかく…公道を走っているのは必ずしもまともな人とは限らないのだ。ますます道路を走るのが怖くなってきた。

車はもう『グランツーリスモ』で十分かもしれないな。

七夕の願い

今日は七夕か…。例年通り雨だな。仙台では七夕祭りが8月に開催されるために7月に七夕という認識はやや薄く感じる。

子供の頃、どんな願い事を書いたんだっけ…あまり覚えていないな。

地球からアルタイルまでは17光年。光の速さで願いを届けても17年もかかる。その願いが叶うとしたら更に17年だ。計34年かかるわけだ。

せめて10歳の頃にした願い事が思い出せればいいのだが全く思い出せない…。子供の頃は毎日生きるのに大変だった。およそ『普通の子供』が得られる幸せはなかった。自分が大人になるなんて微塵も思ってなかったし想像すらしていなかった。よって幸せの展望など全くなかったのだ。

周りが進路で賑わう中で私はどうなっていくのか全く考えていなかった。ただ漠然と不安だけが頭の中を支配していた。

七夕は特に何の思い入れも無い。でも彦星と織姫が1年に1度だけ会える日。なんてロマンチックなんだろうね。

でも1年に1度でも会えるならそれも贅沢な話だなと思えてならない。私の大切な人はもう二度と会えないのだから。そして、この世界には私の心の中にしか生きていないのだから。

今七夕の願いを思うならどんな願い事をしようか?今から17年後に願いはアルタイルに届く。それから17年後にその願いは叶う。今から34年後に…そうだなぁ。なんにしようかな…。

大人になると願い事なんて簡単に思いつかないものだな(笑)贅沢な願いかもしれないが…心を許せる誰かが身近にいてくれたらな。

 

 

1日の訪問者は…

私のホームページへの訪問者は平均して一日1人か2人だ(笑)まぁ、特に収益化とか全く考えていないしSNSのように不特定多数が来るようなことを想定していない。自由に書き殴って生きた記録として残せればいいかなと軽く考えている。

軽く考えているけどサーバー代はバカにならないのが現実だ。せめて収益化を目指してサーバー代はチャラに出来れば理想なのだがそういう技術も知識もない。あと収益化を考えると毎日更新しなければならない負担も生ずるので嫌になったら辞めるでいいと思っている。

単純にアクセス稼ぐくらいならニュース記事を転載していけば簡単なんだがね。それよりも日々の思いや考えを綴ってる方が我得って感じだ。

まとめサイトみたいに時事的な記事を書くのも面倒くさいしいちいちニュースを追いかけるのも疲弊してしまう。元々は小さなSNSで小説を書くのが好きだった。交流などはまるで出来なかった。

当時からブラックな事業所で働いていたためにかなり精神を病んでいた。プライベートは無いに等しく休日も仕事のことが頭から離れずに悩んでいたのだ。いつの日か何にも考えずに空を眺める日が来るのかと思う程に脳がエラーを繰り返していたのだ。

そして、同年代が結婚して家を建て子供が出来るようになると今の自分には何もないということに気付いた。ブラック事業所で働いてきた時間は全てが浪費だったのだ。自分には何も無かった…。いつか豊かになる、いつかは悩みから解放されて穏やかな日々を過ごすことが出来る。そのために粉骨砕身踏ん張ってきた。

だが待っていたのは人生の絶望だ。全てを失い…全てを諦めざるを得なかった。

体は決して健康とも言えず、節々が痛みまともに動くことすらままならない。もう後戻りも出来ない程に人生の崩壊が進んでいたのだ。

残された救済は全て諦めることだった。人並みの幸せのありとあらゆることを諦めたのだ。ようやく穏やかな気持ちを得た時はおそらくは何も残されてはいないだろう…。

 

でも自分が書き綴った物語だけは残したいと思った。それが誰かの心の中に少しでも残ればいいかなと思っている。

だがその物語すら書くことが困難である。ああ、どうしてこんなにも疲弊してしまったのだろう。

とてもじゃないがこんな愚痴は数百人が訪れる場所で書けるものではないだろうな。

 

コードレス掃除機を買ったワシ

人生初!コードレス掃除機を買う!!

今まで気にはなっていたのだが購入を先送りにしていたコードレス掃除機。充電して使うのだが購入を先送りにしていたのはまだ使っている掃除機が現役で動いていたからだ。

掃除機は長寿命の家電の一つだ。下手すりゃ爺さんが買ったものを孫が使っていても不思議ではない。だが物には限界というものがある。壊れもするし最新家電ともなれば電気代が安く済む場合がある。だが掃除機にかかる電気代など知れたもので年間数百円の節約のために買い替えなどしないだろう。

そんな私がコードレス掃除機を買うきっかけになったのは先日、部屋の床を猫の毛が毛玉になってコロコロ転がってるのを見ていた。

さすがに着るものや布団に舞い降りたのではなかなか厄介なので掃除機をかけることにしたのだ。我が家のは20年前に購入したが壊れもせずに現役で稼働している。コードを引き出しスイッチオン!すると全く吸う気配がない。モーターは動いているのに吸わない。すぐにタンクを開けると中に入っている紙パックがパンパンだ。

うむ、これでは吸うわけはない。物置を漁り紙パックを探す。無いな…。これは面倒くさくなってきた。

あっちの部屋、こっちの部屋、タンスの引き出しから冷蔵庫の中まで探したが見つからない…これは…使い切ってしまったのかもしれない。

それではホームセンターに買いに行くしかあるまい。しかし20年前の機種に適合する紙パックなどまだ売ってるのだろうか??

家電コーナーを見ているとコードレス掃除機があった。へぇ、これがコードレス掃除機かとスイッチオンしてみたらこれはなかなかパワフルではないか!しかも軽くて吸ったゴミがタンクの中でクルクル回ってるのが見える。これは…面白いぞ!!

今年初めて一万円以上の買い物をしたのだ。意気揚々と帰宅し早速充電して使ってみる。

ギュオオォォォンと音と共にゴミがみるみるタンクに溜まっていく。2段階のパワー調整ができるが弱でも十分な吸い込みだ。

タンクはあっという間に髪の毛で一杯になった。なんて言うか…阿寒湖のマリモみたいな感じだ。結構大きい毛玉になっている。猫の毛よりも明らかに私の毛の方が多い…。

捨ててまた掃除機をかける。またタンク一杯になり捨てる。また掃除機をかけるとまたタンクが一杯に…そしてまたかけると繰り返したらゴミ箱の中には結構な髪の毛が…。

頭に乗っかってる髪の毛よりも多くないか!?

あまりの量に不安になったが髪型など気にしない年齢に達したので別にどうでもいい。むしろ髪など無い方が人生は豊かになるのだ。無いものねだりが一番の不幸の原因だ。去る者は追わないのが私の主義である。

しかし、コードレス掃除機はめちゃくちゃ面白いぞ!ゴミがみるみる溜まっていくのを見ると達成感が得られる。そして綺麗になった部屋を見て感慨深いものを感じた。

掃除こそが人生を豊かにするメゾットなのだ。楽しい掃除機ライフは始まったばかりだ。

【独り言】あの日に帰りたい

ふと懐かしい人を思い出した。最後に別れて13年になる。あれから身の回りは変化していったが、私だけは何も変わらず以前と同じ暮らしをしている。歳を取った分つまらなくも感じるが…。

あの日に帰りたいと思う瞬間がある。決して懐かしむようないい思い出があるわけでもないが、みんな若くて活発だったあの頃。今よりもずっと自由で好きな場所に何時でも行けた。好奇心もあって、いろんな場所や事柄に興味を持てた。

 

何よりも『未来はきっと良くなる』と思っていた。

嗚呼、現実は辛いものだ。ただ歳を取っただけでこんなにも気持ちが落ち込むのか。歳を取れば悩みなど無くなると思っていたが歳を取ったら取っただけ新たな悩みが出てくる。未来のことなど誰にもわからないのに来るのかどうかわからない老後のことを考えてしまう。

何よりも…自分を取り巻く環境がどんどん変わっていくのに自分だけが時が止まったように変化の無い毎日に辟易している。それを幸せと取るかどうかは別にして…。

あの人は今、どこで何をしているだろう?誰と暮らしてるのだろう?きっと今頃笑っているだろうか?

もう声も届かない場所にいるあの人が幸せに暮らしていると信じつつ孤独に昼飯を平らげて初夏の空を見上げていた。

…あの人の心の中にほんの一片でも私のことを思い出す瞬間はあるのだろうか?

その人と語り合ったのは時間にして30分程度だったと思う。その人のことを知るにはあまりにも短い時間ではあったが私にとって何年も忘れられない時間となったのだ。

初夏のぬるい風が車内を吹き抜けていった。午後も頑張ろう…。

免許持ってても変な人はいる!

自動車免許を取得してても一定数おかしな運転する人はいる。今夜はこんな人に出会った。

やたらに車間距離が開く!!前の車に追従していけないというか流れに乗らない人。とにかく前者との車間距離がどんどん離れていく。速度はやはり遅い…。

それで異変に気付いたのはずっとハイビームだったことだ。おやや?対向車が来てもハイビーム?もちろん対向車はパッシングして眩しいとアピールしているが当該車両はお構い無しでずっとハイビーム。

そういや最近ハイビームをやたらに推奨しているな。ハイビームなんて山道くらいしか使わないし街中だとほとんど操作する必要がないのではないかと思う。

しかし前の車はずっとハイビーム。信号機でていしゃした時だけロービームに戻すが走り始めるとすぐにハイビームに切替える。

これは少しおかしな運転だなぁと感じた次第。相変わらず前者との車間距離が開くしちょっと後続車としてはイライラするな。信号機で停車する時もかなり手前でブレーキを踏んでトラック一台分くらいの車間距離を開ける。そしてノロノロと前に進む。

当然私とその車両の間には結構な距離が開くので合わせて進むと急に止まる。と思いきやまた徐々に走り始めて車間を詰めていく。

イライラしながら待っていると青信号になるや否や急発進するのかと思いきや…ワンテンポ遅れて発進…なんか、運転のリズムが合わない。

そうだ、運転のリズムって大事だよね?なんかどうしてもリズムが合わなくて後続だとイライラすることがある。リズムが合わないとは周囲の車の動きと明らかに違う動きをする車。

そういう車と出会ったら気分転換にコンビニにでも寄ってコーヒー飲みながらリフレッシュするのが一番なようだ。

初夏の一日

気付いたら夏になろうとしている。茹だるような暑さも目前に迫るが我が家はまだコタツが鎮座している。ファンヒーターも出たままだ。

歳を重ねるにつれて時間の感覚が鈍くなってきたような気がする。人生を諦めてからは尚更そう感じる。主役にも何者にもなれない人生なんてつまらないだろうと思うが、この世に生まれてきたものが全てヒーローになれるわけがないし多くの人はモブとしての生涯を送る。

ん?モブとしての生き方?私なんてRPGで言ったら村の入口で「ここは〇〇村じゃ!」なんて台詞を言い続けるNPCでしかないのだよ。でもそんなキャラクターでもいなければゲームとしては成立していないわけで、世の中も多大な影響力を持つインフルエンサー一人よりも多数のモブの力の方が大きいんだよな。

子供の頃は選ばれた勇者で強大な魔王に立ち向かうべく日々レベルアップのために頑張るみたいな気概はあったけど、今はいくら頑張っても所詮モブはモブなんだなって思うことの方が多くなった。

創作とてそれで有名になりたいわけじゃなく、辛い現実から逃れて頭の中でお花畑を咲かせたいだけなんだよ。妄想が形になる世界を舞台にしたのはそういうヒントがあったからなんだけどね。

昔は正義と悪が戦うなんて物語を書いてたけど、とある期間からそのどちらでもない立場で動いていく物語を書くようになった。

なんだろうなぁ、それも歳のせいだろうか。血気盛んな戦闘描写も出来る訳もなく、新しいエピソードにも全く手が付けられない。それでも少しずつ更新していつかは終わらせたいと思う。今の物語が終わったら次の物語が始まる予定もないがね。

現在書いてるデスドアーズはまだほんの一片でしかない。