9.テトテト散歩~哀愁釜石編

~前回からのあらすじ~

遂に蓬莱島へ到着した。
その直後に全ての記憶を取り戻し女将の名前を思い出したのであった。


 前をテトが歩いている。あの歌を囁きながら。
 あの日も同じように有子さんが前を歩いていた。


有子『嬉しいこともあるだろさ♪悲しいこともあるだろさ♪だけど僕らはくじけない♪泣くのはいやだ笑っちゃお♪』
 か細い声で囁くように歌っていた。

「あの…その歌は?」


有子『ひょっこりひょうたん島の歌よ。あの島の風景は美しいでしょう。落ち込んだ時によくここに来るのよ』
 有子さんは振り向き微笑みを浮かべた。その表情は少し寂しさを思わせた。


有子『私ね、バツイチなんだ。子供もいるのよ。でもね、会えないの…親権を旦那に取られたから』
 有子さんに感じていた寂しさの正体はそれだった。店で客と会話し笑っている有子さんの裏の顔だった。

「あの…どうしてその話を僕に?」

有子『あなたは一人で釜石に来てるのでしょう?家族と離ればなれ…私とは違うだろうけど、なんとなく同じような雰囲気を感じたのよ。きちんと家族と会話してる?』

「いや…」
 はっきり言えば家族とは不仲でまともな会話を何年もしていなかった。

有子『あなたはまだ若いのに随分疲れた顔をしているわ。そういうお客さんも結構来るからすぐにわかったの』
 全て見抜かれていたような気がした。

 繰り返される労働の日々に辟易していたのだ。仕事が終われば部屋に戻り一人で過ごす。
 そして、朝がやってきて同じことを繰り返すのだ。
 何よりも人と深く関わることを避けてきたのだ。
 そういう生活をこれからも繰り返して生きていく事に退屈さと失望感に打ちひしがれていたのだ。

「有子さん…あの!」
 有子さんは一瞬驚いたような顔をすると再び寂しげな笑顔を見せた。私の言葉を待っているようだったが、出てくるはずの言葉が喉元でつかえ出てこなかった。

 ただ気持ちを伝えるだけでいいんだ。

 これからも繰り返される惰性の日々でも有子さんが居てくれたら…そんな想いが溢れてきたがその気持ちをどんな言葉に託したら良いのだろう?
 頭の中、胸の中、腹の中…ありとあらゆる場所から言葉を探すが見つからない。
 どうしたら有子さんの心に響く言葉をかけられるのか。
 あと少し…頭の中で漠然と浮かんでいた言葉が徐々に形になっていく。

有子『私ね、再婚するんだ。お店も頃合いを見て閉めるかもしれない…だから』
 突如として出てきた有子さんの話に口元まで出てきそうだった言葉が一瞬で壊れ形を失った。
 それはドロドロとしたものに変わり喉に嫌らしく絡みついてきた。

「そ、そんな話をするために僕をここに連れて来たんですか!?」
 思わず声を荒らげた。期待していたことと大きく乖離した展開に精神が対応出来なかった。

 これは嫉妬だ。

 醜くて愚かな黒い気持ちだ。油を飲み干したような気持ち悪さが喉を通り過ぎて胸を締めつけた。

8.テトテト散歩~哀愁釜石編

~前回からのあらすじ~

蓬莱島へ向かう途中に過去の思い出に浸る私。
その記憶の中で蘇った居酒屋の女将との関係。
その全容を思い出すために島へ近付いていた。


『おい』

 テトの声に我に返る。
 ほんの僅かな間だったが遠い過去の記憶が鮮明に蘇っていたのだ。

 ただ、女将の顔だけは思い出せなかった。

「昔のことを思い出していたよ」

テト『頼むからきちんと前を見て運転してほしいな。頼むぞ本当に!』

 市街地を抜け出し山間部へ差し掛かる。確かにここは通った覚えがある。

「この道はいつか来た道だね」
 私がそう呟くとテトは私の顔を覗き込む。

テト『この旅は君のルーツを辿る旅だ。君が今まで生きてきて忘れてきたものを取り戻すんだお』

「忘れてきたもの?」

テト『ああ、人って大切なことから忘れていくんだお。それはとても残念なようだけど便利なものなんだ』

「どういうことだい?」

テト『大切にしていればいるほど記憶の奥底にしまってしまうんだ。その代わりふとした事でいつでも引き出しから出せるんだ。無くさないように。それは時に重荷にならないようにでもあるんだ』

 そうだ。
 大切な想いであれば忘却の彼方へと追いやられるのだ。
 どんな大切なものでもずっと抱え込んでいたら重荷になってしまう。新しいことを受け入れなくなってしまう。
 そうしたら人は前に進めなくなるのだ。

テト『君が完全に記憶から失われたと思っていたものはきっとそこに行けば必ずあるお!』

 蓬莱島へ近付けば近付くほど記憶が徐々に鮮明になっていく。もう少しだ!


テト『あった!あれだお!?』
 テトが指差した先に蓬莱島が見えた。その姿を見た時…落ちそうで落ちなかった雫が落ちて鏡のように張り詰めた静かな水面を叩くような音が聞こえた気がした。
 それと同時に波紋のように記憶の波が広がり胸の中一杯に広がった。

 港に車を駐車場し、蓬莱島へと続く岸壁に降り立った。

テト『今から遠い昔にここに来たんだろ?誰かと…』


「ああ…来たよ」
 私は笑っていたかもしれない、それとも泣いていたかもしれない。とにかく今の自分がどんな顔をしているかわからないぐらいに心が打ち震えた。


テト『行こう!あの島へ!』
 テトが意気揚々と歩き出す。このシチュエーションはあの頃と同じだった。


テト『左右で波が違うんだな!面白いな!』
 そう、この景色に感動したんだよ。そして、あの人はこう言ったんだ。


『諦めちゃダメよ。もっと自分から行動していろんな所に行かなきゃ』


「女将さん…いや…」
 何度も胸の中の壁を叩いていた。それが不意に扉が開いて飛び出した。
 その言葉はとても愛おしいと思った。その言葉を呟いただけで幸せな気持ちになれたんだ。

「そうだね…有子さん」
 それは女将の名前だった。